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■主日礼拝  
毎週日曜日 午前10時〜

教会学校
毎週日曜日 午前11時15分〜
・幼稚科
・小学科 
・少年少女科  
・青年科
・成人科

祈祷会
毎週水曜日 午前10時30分〜
 
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投稿者 : webmaster 投稿日時: 2017-12-14 17:58:02 (72 ヒット)

✣ しずかな、やわらかな心で ✣

    小学生のころ、クリスマスのたびにぎもんに思っていたことがありました。「イエスさまがお生まれになったとき、『おびただしい天の軍勢(ぐんぜい)が現れ…』と聖書には書いてあるけれど、そんな大変なことに、どうして数人の羊かいたちしか気づかなかったのだろう?」と。空をおおうほどの天使たちを思いながら、教会のクリスマス会でもこの聖書のかしょを読んでいたことをおぼえています。
    そんなわたしも高校生になりました。クリスマスイブの夜、眠りにつこうとしたときのことです。わたしはまっくらな音のない自分の部屋のベッドの上でひざに両手をおき、それをのぞきこんでいます。最初は手のひらにひらひらと雪がまっているのかと思いました。よく見ると、それはたくさんの天使たちで、あるものは角笛をもち、あるものはおどり、にぎやかにおいわいをしているのです。そこでわたしは目を覚ましました。夢でした。暗いてんじょうに向けて思わずのばした手のひらに、はっきりと天使たちがいた感しょくが残っていました。
    そのときわたしは小さいころからのぎもんが少しわかった気がしました。自分のところにも「天の軍勢」は来て、イエスさまのおたんじょうをおいわいしていたけれども、わたしのまわりやわたし自身がうるさすぎたり、明るすぎたりして、気がつかなかっただけではないのかしらと。

●12月17日 第3アドベント合同礼拝 週報巻頭言  教会員  入江 恵里子


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2017-12-07 19:46:30 (60 ヒット)

✣ インマヌエル 苦悩の只中に ✣

    2005年の12月に、私はイスラエル旅行に行きました。ベツレヘムにある、イエス様が生まれた場所とされている教会を訪れました。丁度待降節でしたので、教会では立派な服を着た聖職者たちが礼拝のような儀式を行っていました。
    私たちは、生まれたばかりのイエス様が寝かされていたと言われている場所の写真を撮ったり、手で触れたりして、感動しながら教会の中庭に出て、ヒエロニムスの像の前で、天を仰ぎながら「きよしこの夜」を讃美しました。しかし、その中庭の壁一枚隔てた外側の路上では、貧しい小さな子どもたちが、観光客に「一ドル、一ドル」と言って物を売っていたのです。彼らは必死でした。なぜなら、稼ぎが悪い時には、家に帰って親に叩かれてしまうからだそうです。私は、その事実を聞いてとても複雑な思いになりました。天を仰ぎ、喜びと感動に浸って、気持ちが高揚している自分が少し恥ずかしくなりました。
    イエス様がこの世にお生まれになったのは、私のためであると同時に、あの壁の向こうで必死になって物を売っている子どもたちのためでもあるのだと、思い知らされたからです。
    彼らは、イエス様が生まれたとされる教会の直ぐ近くで生まれ育ちながら、イエス様を知らないのです。その時私は、インマヌエルの神はどこにおられ、誰と共におられるのかと考えさせられました。

●12月10日 第2アドベント 週報巻頭言  松 準(前・横浜JOYバプテスト教会 牧師)


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2017-11-30 20:02:42 (78 ヒット)

✣ 喜ばしい知らせ ✣

    子どもが与えられることは、ザカリヤとエリサベトにとってずっと願って祈ってきたことでした。ですが実際に神様がそれをお与えになると告げられた時には、疑ってしまいました。
    御使いは、「あなたにこの喜ばしい知らせを伝えるために来た」ということと、「あなたは口が利けなくなり、このことの起こる日まで話すことができなくなる」ということを告げます。そうしてザカリヤは、その子ヨハネが産まれるまで、本当に口を利くことが出来なくなります。
    「時が来れば実現する私の言葉を信じなかったから」とガブリエルは言いましたが、このことは決してザカリヤに対する罰などではなく、神様からのお恵みでした。産まれてくるわが子が、自分たち夫婦の喜びだけでなく、人々の、この世の、そして神様の喜びとなる、大切な使命を帯びて産まれてくることになります。
    そんなザカリヤを神様が憐れみ、ザカリヤの願いを現実のものにして下さったのです。叶えられるのは、私たちの弱い信仰によってではなく、いつでも神様によってなのだと、また知ることになります。
    ザカリヤとエリサベトには長い年月与えられた苦難とその後与えられた大きなお恵みが、クリスマス、イエスキリストを通して、私たちにとっても恵みの出来事とされていることを、感謝したいと思います。

●12月3日 第1アドベント・世界バプテスト祈祷週間 週報巻頭言  教会員  面川 真菜


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2017-11-23 18:42:20 (91 ヒット)

✣ 神との格闘 ✣

    初めまして、松崎準と申します。私は、1972年長野県長野市で生まれ、中学校時代は勉強嫌いで高校に進学することができず、親の勧めでハワイの高校に入学しました。その2年後、アメリカ本土のジョージア州アトランタの公立高校に転校し、牧師家庭でホームステイを始めました。その後18歳の時にイエス様と出会いバプテスマを受け、20歳で高校卒業をし、その年に妻と結婚しました。その後帰国し、長野県で警察官、東京・群馬でサラリーマンとして働き、31歳の時に、牧師になる召命を受け献身し、福岡の西南学院大学神学部に入学しました。神学部で3年間、大学院修士課程で2年間の学びを終え、2009年4月より、帯広バプテスト教会で5年半、2014年10月より、横浜JOYバプテスト教会で2年半、牧師として仕えさせていただきました。
    今年6月より、アメリカノースカロライナ州のラーレー日本語バプテスト教会に赴任する予定でしたが、ビザがおりず、現在は日本バプテスト連盟の宣教師館に住まわせていただきながら待機しているところです。
    私たちの人生には、心配事や思い煩いは付き物です。そんなとき、私たちは色々なことを考えたり、思い巡らしたりして、何とか自らの力でそれらから逃れようと一生懸命に努力をするものです。
    今日は、私たちがそのような苦しい状況の中にあるとき、どうすれば良いのか、何が必要なのか、どう生きれば良いのか、ということを創世記のヤコブの物語から、ご一緒に学ばせていただけたら幸いです。

●11月26日 世界バプテスト祈祷週間礼拝 週報巻頭言  松 準(前・横浜JOYバプテスト教会 牧師)


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2017-11-16 19:28:02 (83 ヒット)

✣ あしあと ✣

ある夜、私は夢を見た。私は、主とともに、なぎさを歩いていた。

暗い夜空に、これまでの私の人生が映し出された。

どの光景にも、砂の上に二人のあしあとが残されていた。

一つは私のあしあと、もう一つは主のあしあとであった。

これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、私は砂の上のあしあとに目を留めた。

そこには一つのあしあとしかなかった。

私の人生でいちばんつらく、悲しいときだった。

このことがいつも私の心を乱していたので、私はその悩みについて主にお尋ねした。

「主よ。私があなたに従うと決心したとき、あなたは、すべての道において私とともに歩み、私と語り合ってくださると約束されました。それなのに、私の人生の一番辛いとき、一人のあしあとしかなかったのです。

一番あなたを必要としたときに、あなたがなぜ私を捨てられたのか、私にはわかりません」

主はささやかれた。

「私の大切な子よ。私はあなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みのときに。

あしあとが一つだったとき、私はあなたを背負って歩いていた。」

(マーガレット・F・パワーズ作)

●11月19日 週報巻頭言  教会員  播磨 実結


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