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投稿者 : webmaster 投稿日時: 2024-07-22 17:30:00 (34 ヒット)

礼拝説教「神の威光を仰ぐ」  詩編(Psalms) 8:1-10
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週報巻頭言「神の威光を仰ぐ」

  本日の箇所である詩編8編は、主日礼拝における交読文(交読文3)にも採用されているたいへんよく知られた詩です。この詩編は、創造者としての神の威光が、大空の月や星に顕著に表れていることを歌いつつ、同時に地上の小さく弱い存在である人間を通して、さらに強くご自身の力と知恵を表しておられることを、驚嘆の思いをもって表現している詩編です。
  「御手によって造られたものをすべて治めるように/その足元に置かれました。」という7節の詩文に表されている内容は、地上において神の代行者とされた人間の持つ特権と、その責任の大きさを告白するものです。しかし、残念ながら、詩人はそのような重責を担うべき人間が、堕落してしまい、創造時の栄光を失ってしまっていることを認識しています。
  だからこそ、神の恵みと力によって本来あるべき人間の本性が回復され、神への信仰を新たに持つことによって、その職務を正しく担うことができる者になるように、という願いが、この詩には込められているのです。本日は、この詩編8編から響いてくる神さまのメッセージに耳を傾けることにします。

●7月21日   週報巻頭言  牧師 木村 一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2024-07-14 17:27:54 (45 ヒット)

礼拝説教「赦されて生きる」  ルカによる福音書(Luke)  7:36-43
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週報巻頭言「赦されて生きる」

  本日のルカによる福音書の7章では、イエスがあるファリサイ派の人から、食事に 招かれ家にいる時、一人の罪深い女がその家に入ってきたことが記されています。
  彼女は、後ろからイエスの足元に近づくと、持っていた石膏の壺から香油をイエスの足に注ぎかけたというのです。このようなフォーマルな食事の席で、彼女のとった行動は、ほとんど非常識とも言うべき振舞いでした。
  これを見たファリサイ派の一人が「この人がもし預言者なら、自分に触れている女がどのような人か分かるはずだ。罪深い女なのに」と言って、イエスを責めました。
  しかし、この言葉を耳にしたイエスはあるたとえを語られます。ある金貸しが二人の男に、それぞれ500デナリ、50デナリを 貸した。ところが、二人とも金が返せなくなったため金貸しは両方の借金を帳消しにしてやった。この二人のうち、どちらがより多く、この金貸しを愛するだろうかと。当然ながら、ファリサイ派の男は「500デナリ」を借りた方だと答えました。イエスはその通りだと言われます。このたとえで主は何を語ろうとされているのか。本日はこのことを共に考えます。

●7月14日   週報巻頭言  牧師 木村 一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2024-07-07 19:04:21 (59 ヒット)

礼拝説教「神の選び」  創世記(Genesis) 25:27-34
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週報巻頭言「神の選び」

  本日の聖書箇所である創世記25章ではイサクの妻リベカが、エサウとヤコブの双子の男の子を産んだときのことが書かれています。リベカは、出産を間近に控えて、主なる神から「兄が弟に仕えるようになる」という言葉を聞くのです。
  通常イスラエルの家では、長男が後を継ぎ、長子として他の兄弟の2倍を受け継ぐことになっていました。ところが、次の事件を通して、下の弟ヤコブが長子の権利を兄から奪い取るのです。
  ある日のこと、ヤコブが煮物をしていると、エサウが疲れきって野原から帰ってきました。エサウは狩人として、獲物を追う日々を過ごしていましたが、その日は成果がなかったのでしょう。エサウは、ヤコブの作った料理(レンズ豆の煮もの)を見ると、それを食べさせてくれと頼みます。これを聞いたヤコブは、交換条件として、長子の特権を譲るように持ち掛けるのです。
  相手の弱みに付け込むヤコブの姿はとても褒められたものではありません。しかし、エサウもヤコブのこの申し出をあっさり認めています。なぜ、弟のほうが後継者となり、イスラエルの父祖として名を残すことになったのか。本日は、それを考えます。  

●7月7日   週報巻頭言  牧師 木村 一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2024-06-30 17:17:23 (66 ヒット)

礼拝説教「しもべは聞きます」  サムエル記上(Samuel) 3:1-9
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週報巻頭言「しもべは聞きます」

  士師の時代が続いていた頃、イスラエルの人々は主の目に悪とされることを行い、神の言葉に聞き従おうとはしませんでした。そのころ、主の言葉が臨むことは少なく、幻が示されることもまれであったと書かれています。
  このような中で登場した人物が、神の人と呼ばれたサムエルでした。サムエルは、母ハンナが神殿で魂を注ぎ出すような祈りをささげ、主に誓願した結果、与えられた男の子でした。サムエルは、幼い時から祭司エリのもとで引き取られ、神殿で雑用係としての仕事をしながら育った少年でした。祭司エリは高齢となり、目がかすんで見えなくなっていたとあります。それは、エリが神殿に仕える職にありながら、二人の息子たちを正しく指導する心の目までかすんでいたことを暗示しています。
  そのような中、ある夜、主の神殿で寝ていたサムエルに「サムエルよ」と呼びかける声がありました。祭司エリから呼ばれたものと思ったサムエルが「お呼びですか」と尋ねると、エリは「私は呼んでいない」というのです。そのようなことが三度も続きました。本日は、この箇所から神の言葉に耳を傾けます。

●6月30日   週報巻頭言  牧師 木村 一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2024-06-23 17:40:37 (76 ヒット)

礼拝説教「見よ、生きており」  コリント信徒への手紙二  6:1-10
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週報巻頭言「神学校週間礼拝」

  本日は、日本バプテスト連盟に関わる3つの神学校の働きを覚え、神学生たちの学びを支援するために、全国壮年会連合の呼びかけに応え、神学生を支援するための活動をおこなう8日間の初日に当たります。日本バプテスト連盟には、現在315の教会と伝道所がありますが、その中で無牧師の教会が30以上あります。そのような教会・伝道所で働く献身者養成のための学びの場として、これらの神学校があります。そこは、多くの献身者にとって自分の信仰をひとたび壊される場所であり、さらに復活の主イエスのように、再び立ち上がる場所でもあります。
  全国壮年会連合は、このような神学生たちを経済的に支援するために立ち上がりました。具体的には、神学生たちの授業料のみならず、書籍代や生活費にいたるまで奨学金というかたちで支援することを考えたのです。本日は、そのためのささげものを呼びかける主日です。
  本日は同時に、「沖縄の日(命どぅ宝の日)」でもあります。沖縄戦がどれだけ悲惨な戦いであったのかを覚え、心の中に平和の砦を築く日として、この日を心に刻みたいと思います。

●6月23日  神学校週間礼拝 週報巻頭言  牧師 木村 一充


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