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新型コロナウイルス
感染症(COVID-19)への
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礼拝説教
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なりました。('21/8/27)

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■主日礼拝  
毎週日曜日 午前10時〜

教会学校(現在休止中)
毎週日曜日 午前1115分〜
・幼稚科
・小学科(低学年・高学年)
・少年少女科
・青年科
・ペアレント科
・成人科

祈祷会
(8月9月休会
のみ実施)

毎週水曜日 朝1030分〜
                  夜  730分〜
リンク
投稿者 : webmaster 投稿日時: 2021-09-12 14:56:21 (75 ヒット)

礼拝説教「カナの婚礼」 ヨハネよる福音書 2:1-11
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週報巻頭言「カナの婚礼での奇跡」

 ヨハネによる福音書2章には、主イエスが、公生涯の最初の働きとして、ガリラヤのカナで行われた結婚式に弟子たちと出席し、そこで、水瓶の水をぶどう酒に変えるという奇跡(最初のしるし)を行ったことが記されています。9月は、イスラエルではぶどうの収穫の季節に当たります。このときのぶどう酒がどれほど美味しいものだったのか、私どもには聖書本文によるしかありません。しかし、このときの奇跡を一番喜んだのは、式を挙げた二人でもなければ、婚礼の参列者たち、あるいは宴会の世話役でもありません。間違いなく、この奇跡を一番喜んだのは、主イエスの言葉に従い、水を汲んできた「しもべたち」です。主イエスは、その彼らの働きに目を注がれています。同じように、神さまは私たちの目立たない奉仕、裏方としての地道な働きをしっかりと見ておられます。そして、そのような奉仕を励む者に、大きな祝福を与えて下さるのです。
 コロナ感染防止のために、もう1年半以上の礼拝自粛の期間が続いています。しかし、そのような中でも私たちにできる奉仕はあります。長期欠席者や療養中の方にお手紙やお電話を差し上げ、近況を分かちあうのも良いでしょう。また、それらの方を覚えて、牧師とともに祈るという働きもあります。礼拝には出席できなくても、神さまが喜ばれる奉仕を見つけ、教会の働きを支える「しもべたち」になりましょう。

●9月12日 週報巻頭言  牧師 木村 一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2021-09-05 15:18:47 (97 ヒット)

礼拝説教「執拗な祈り」 ルカによる福音書 11:5-9
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週報巻頭言「『祈り』を生活の中に!」

 P.T.フォーサイスという英国の神学者が著した、「祈りの精神」という本があります。「最大の罪は祈らないことである」という冒頭の言葉で有名なこの本は、わたし自身が祈りについて思いめぐらすとき、必ず書架から取り出し、その言葉によって励まされ、力を受ける書物です。
 フォーサイスは次のように言います。「この世に生活していくために、人は労働をしなければならない。同様に、魂を養うために人は祈りに労苦しなければならない。それは何と崇高な労働であろうか。『主イエス、悲しみ迫りて祈りたまえり。』必要であれば、血涙してでも祈らなければならない。神と力を合わせることは神を受け入れることである。その受け入れは、積極的、労働的である。・・・祈りは単なる願いではなく、意志を携えて神に求めることであり、意志がこもるのである。行動的に神を知り、出会うことなくして本当に祈ることはできない。」
 神と出会うことなくして祈ることはできない、というフォーサイスの言葉は、まさにその通りです。その時の気分で、祈ったり祈らなかったりするのではありません。また、困ったときだけ祈るのでもありません。祈りを通して信仰を整え、それによって生活を整えるのです。祈りは神と出会う場であり、私たちの霊性を高めるための大切な奉仕です。祈りを生活の中に取り入れましょう。

●9月5日 週報巻頭言  牧師  木村 一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2021-08-30 12:39:49 (139 ヒット)

礼拝説教「ヤコブ―神の顔を見た者」 創世記 32:23-33
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週報巻頭言「ヤコブと天使との格闘」

 創世記の32章には、父イサクを欺き、兄エサウから祝福を奪い取ったヤコブが、母の里であるパダン・アラムに逃亡し、そこで叔父ラバンのもとで14年間働いた後に、家族と多くの家畜を得て、カナンの地に帰って来たときのことが描かれています。カナンの地に帰還するに当たり、ヤコブがどうしても果たさねばならなかったことは、兄エサウとの和解でした。
 ヤコブは、この夜ヤボク川のたもとにたどり着きます。この川はヨルダン川の支流で、ヨルダン川を越えると、そこはカナンの地です。ヤコブは、家族と家畜をすべて向こう岸に渡らせたのちに、ただ一人後に残りました。兄と再会する前に、かつて自分が犯した罪(兄を欺き、祝福を奪い取ったこと)を主なる神の前で悔い改めるためであったと思われます。
 しかし、このときヤコブが行ったことは「何者かと夜明けまで組み打ちする」ということでした。自分自身の罪深さは百も承知していながら、素直になれない。あの「祝福」を、天使と格闘するようなしかたで、再び神から求めずにはいられない。それが、ヤコブの正直な姿でした。このヤコブの姿は、イスラエル民族の歴史をそのまま物語っています。この格闘でヤコブは神に勝ち切ることができず、神に股関節を外され、足を引きずりながら兄と再会します。兄エサウとの和解は、その「痛み」のなかで実現するのです。

●8月29日 週報巻頭言  牧師  木村 一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2021-08-20 18:49:24 (107 ヒット)

礼拝説教「屋根をはがす信仰」 マルコによる福音書 2:1-11
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週報巻頭言「苦しみに会うこと」

 旧約聖書の詩編119篇71節に、心に刻むべき次のようなみ言葉があります。
「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによって、わたしはあなたのおきてを学ぶことができました。」(口語訳聖書)
私たちの人生には、時として、思いがけない試練や困難が襲いかかって来るものです。病気や事故、仕事や人生計画の挫折、大切な人との別れなど、極端に申せば、私たちの人生は試練の連続ではないでしょうか。
 しかし、詩編の作者は、そのような苦しみにあったときそれを「良いことです」と言い切ります。なぜそう言えるのでしょうか。それは、私たちが苦しみを経験することで、自らの力に限界があることを悟り、自らの弱さを通して働かれる神の恵みを知るためです。さらに、信仰によって、人は試練を通して自らが謙虚になることを学び、その中で試練を乗り越える知恵や勇気を与えられます。そうして、その試練がその人の成長のための「肥やし」になるのです。
 いま、新型コロナウイルス感染症の拡大によって、世界中のひとびとが苦難と動揺の中にあります。しかし、このことを通して神さまは私たちに何かを伝えようとされているのではないでしょうか。混乱のなかにあって、神が示される御心を謙虚に学ぶ強(したた)かな信仰を養いたいと思います。

●8月22日 週報巻頭言  牧師  木村 一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2021-08-13 19:10:21 (327 ヒット)

✣ 平和―神の義の実現 ✣

    本日は8・15、終戦記念日です。76年前のこの日、わが国はポツダム宣言を受け入れて無条件降伏し、玉音放送によって太平洋戦争は終わり、占領軍の統治下におかれました。GHQ(General Headquarters=「連合国軍最高司令官総司令部」)は、わが国の民主化を実現するために、平和憲法の制定、極東軍事裁判の実施、普通選挙制度の導入、財閥の解体、農地解放、公職追放、教育制度の改革など、多方面にわたる改革を進めました。
    あの日から76年たった今も、先の大戦の傷跡は深く残っています。つい先日も、広島高裁で争われた「黒い雨訴訟」の判決を受けて、政府は上告しないという判断を下しました。8月を迎えるたび、年配の方は戦後の混乱期を必死の思いで生きたあの頃を思い起こすことでしょう。
    現在のわが国の平和は、先の大戦に対する深い反省に依拠しています。「二度と同じ過ちは繰り返さない!」という強い決意が、今の平和憲法の根底にあるのです。
    ひとつの国が戦争を決断するには大きなエネルギーが必要ですが、それと同じくらいのエネルギーが「二度と戦争をしない」という決断をするために必要です。そのためには「信仰」=「神の義の実現への意志」が必要なのではないでしょうか。ゆえに、8・15は自らの信仰を顧みる日でもあります。

●8月15日 平和祈念礼拝 週報巻頭言  牧師  木村 一充


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