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■主日礼拝  
毎週日曜日 午前10時〜

教会学校
毎週日曜日 午前11時15分〜
・幼稚科
・小学科 
・少年少女科  
・青年科
・成人科

祈祷会
毎週水曜日 午前10時30分〜
 
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投稿者 : webmaster 投稿日時: 2018-01-18 20:02:34 (18 ヒット)

✣ イエスの眼差し ✣

    マルコによる福音書3章1節以下には「手の萎えた人」が出てきます。彼は、手が萎えているのは自分の罪のせいだと言われ、人々から虐げられ、会堂の片隅に追いやられていたのです。しかし、イエス様はこの人に「真ん中に立ちなさい」と言われます(3節)。周囲の人々から虐げられ、肩身の狭い思いをし、いつも片隅に置かれていた人を中心に据える。それはまるで、この人の救いこそが礼拝の中心である…と宣言しているかのようです。イエス様のこの人を見る眼差しは、人々の非難の眼差しとは全く対照的です。その人を片隅に追いやるのではなく真ん中に置いて、馬鹿にし無視するような冷たい眼差しではなく、憐れみ受け入れ支えようとするあたたかい眼差しです。この世の価値観と神の国の価値観との違いが、ここに示されています。その眼差しの中で、彼の手は癒されていくのです。
    一方、その様子を非難の目で見ていた人たちの間に、「安息日」を巡っての問答が起こります。彼らは律法的な正義を振りかざすのですが、イエス様はそんな彼らに「怒り」と「悲しみ」を覚えるのです。安息日の律法を破ってでも、一人の人の命を救うことにこそ、イエス様の本当の思いがあるからです。
    本日の聖書の個所を通して示されるメッセージは、_燭問題を抱えたり、失敗したり間違えたりして、非難や批判を浴びなければならない人に対する、私たちの眼差しへの問いです。∋笋燭措身が問題を抱えたとき、私たちに注がれている、イエス様の眼差しです。私たちは、イエス様によって真ん中へと招かれています。

●1月21日 週報巻頭言 松 準(前・横浜JOYバプテスト教会 牧師)


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2018-01-11 19:24:29 (29 ヒット)

✣ クリスチャンとしての旅路 ✣

        1962年 鹿児島バプテスト教会谷山伝道所にてバプテスマを受ける
                     (当時カトリックの私立高校2年生)

1964-1967年 大学進学時に船橋バプテスト教会に出席するようになる

        1968年 新小岩バプテスト教会に転会後、妻・眞喜子さんと結婚

1969-1976年 新小岩教会の篠崎伝道に参加

1984-1989年 茗荷谷キリスト教会、家庭集会等を経て、市川八幡キリスト教会に転会。
                     同教会の市川大野伝道に参加

1989-1999年 仕事の都合により米国オハイオ州に移住後、ヒルスボロー第一
                    メソジスト教会に出席

1999-2015年 ワシントン州への移転により、シアトル日本人バプテスト教会(JBC)に
                    転会(2001年 JBC日語部牧師に招聘されると共に、シアトル大学
                    神学部に入学)

        2015年 JBCを引退し日本に帰国。市川大野キリスト教会に転会

        2016年 市川大野キリスト教会の協力牧師に就任現在に至る

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●1月14日 週報巻頭言 山 幸男(市川大野キリスト教会 協力牧師) 


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2018-01-05 14:31:26 (45 ヒット)

✣ 先導者ヨハネのイノベーション ✣

    荒れ野で叫ぶ者の声がする。
    主の道を整えその道筋をまっすぐにせよ。

    イザヤ書にも書いてあるように、ヨハネは、罪を告白しヨルダン川で悔い改めのバプテスマを受けるよう、人々へ呼びかけました。この呼びかけに、多くの人がヨハネのもとに来て、罪を告白しバプテスマを受けました。
    ヨハネが始めたバプテスマは、旧約聖書に記されているものではなく、当時の全く新しい技でした。これに、イエス様は自ら臨まれたのです。イエス様は、宣教では旧約聖書に記されていることを解き明かされます。しかし、その公生涯のスタートに採用されたのは、ヨハネの新技だったのです。
    イエス様が水の中から上がると、天が裂け霊が下り、天から声が聞こえました。イエス様が主であることの証です。と同時に、ヨハネのバプテスマの技法が、天に正式に奥義として認められた瞬間でもあります。それから2000年以上たった今でも、そしてこれからも、その奥義は絶えることはありません。イエス様がバプテスマを命じたからです。(本日の招詞 マタイ28:19)。
    一度のバプテスマで、悔い改めが主から認められ、主の命じられたことを守ることができます。その恵みに感謝します。

●1月7日 新年礼拝 週報巻頭言  教会員  武若 智之


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2017-12-28 19:10:36 (45 ヒット)

✣ 希望の中に歩む ✣

    生老病死。古今東西、人の生涯は苦悩に満ちています。人生の普遍的な苦しみを克服しようと、古来、無数の宗教や秘法が生まれました。また、近代に至っては、技術の進歩に根ざした物質的な豊かさ、生活の快適さの内に、苦しみを克服しようとする試みもなされてきました。しかし、それらの努力もむなしく、私たちは未だに、世の苦しみから逃れる有効な術を得られずにいます。ところが、今から2000年も前のこと、特別な秘法を行うことなく、世の苦しみを脱した、少なくともそう見受けられる、一人の老人が現れました。シメオンと呼ばれるその人は、「主が遣わすメシア(救い主)に会うまでは決して死なない」とのお告げを受けていました。彼は、幼いイエス様をひと目見て、この幼子こそメシアだと確信し、こう言います。「今こそあなた(神様)は御自分の僕を去らせてくださいます。主よ。あなたのお言葉どおり、平安のうちに。」シメオンは救い主を目のあたりにして、人々が忌み嫌う「肉体の死」を喜び勇んで受け入れます。彼はこの幼子イエス・キリストを通して神様の御国に通じる道を見、救いを確信したのです。」「わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる(ヨハネ10:9)」「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる(ヨハネ11:25)」イエス様のこの御言葉は、単に心の慰めや倫理問題に終始するものではありません。御自身の「十字架」と「体のよみがえり」により、霊的な救いはもとより、肉体をも合わせた「完全なよみがえり」、すなわち「真の生命」を保証してくださっているのです。新たな年が、この御言葉の中に歩む希望の年でありますように。

●12月31日 週報巻頭言  教会員A


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2017-12-21 17:20:48 (68 ヒット)

✣ クリスマスのこころ ✣

    クリスマスは、自由を悪用して神に背き罪を犯した貧しき私たち人間に、神からの救い主が与えられたことを祝い、感謝する日です。さらに、この世を完成させるために再臨される主イエスを、緊張と歓びとをもってお迎えする準備のときです。
    キリストの正確な誕生日は記録にありません。紀元後3世紀頃までは5月20日、4世紀になり12月25日に祝われるようになりました。ローマでは、当時盛んだった太陽神崇拝ミトラス教が、ローマ暦冬至に当たる12月25日を、不滅の太陽神の誕生日としていました。教会では、キリストこそ真の正義の太陽であると考え(マラキ3:20)、この日を主の降誕日として祝うようになりました。キリスト教が定着するために、異教の祝いを排除するよりもむしろ、その祝いにキリスト教的意味を持たせようとした、一つの例といえます。
    ……暗い闇に差し込む光、長い寒い冬を暖める太陽としてのキリストの誕生を祝うのは、真冬、雪の降り積もる光景をも彷彿とさせる12月にふさわしいことでしょう。暗い闇・寒い冬は、私たちの貧しい淋しい心の比喩でもあります。クリスマスは、ジングルベル・セール・パーティそして「プレゼント」などの華やかさに埋もれることなく、「静けき日の真夜中」にお生まれになった幼子の存在「プレゼンス」に想いを向け、行く年に感謝し、迎える年への祝福を願うときでもあります。 

●12月24日 クリスマス礼拝 週報巻頭言 齋藤 隆(前・逗子第一教会 牧師)


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