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■主日礼拝  
毎週日曜日 午前10時〜

教会学校
毎週日曜日 午前11時15分〜
・幼稚科
・小学科 
・少年少女科  
・青年科
・成人科

祈祷会
毎週水曜日 午前10時30分〜

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投稿者 : webmaster 投稿日時: 2017-10-19 18:50:48 (30 ヒット)

✣ 「わたし」のもとに ✣

    本日のメッセージ主題は「『わたし』のもとに」です。その「わたし」と言われるお方について、共に聞き、共に出会って行きたいと思っています。一方、そのメッセージを取り次ぐ私は何者なのか、その自己紹介をいたします。
    私は福岡県の久留米キリスト教会の牧師家庭にて生まれ育ちました。ゆえに神の存在を絶対的価値として抱き、11歳の頃にバプテスマを受けクリスチャンとなりました。教会という場所が家庭であり、教会員は家族でした。両親はもとより、私を囲む多くの信仰者の生き方から多くのことを学び、そこに神存在のリアリティー、そして十字架の主イエス・キリストの救いを確信して、今日まで歩んできました。途中「牧師にだけはならない(なれない)」と豪語していた私でしたが、大学浪人期の19歳の時に「神学校に行きなさい」との招きが胸に響き、献身、そして21歳で神学校の道に進みました。それは私の思いではなく、「わたし」たるお方の御計画であったと信じます。26歳で神学校の学びを修め、函館6年、別府12年半、そして現在の相模中央教会での務めにあたらせて頂いています。
    牧師としての最大の喜びは、何よりも「バプテスマ」です。一人の人がイエス・キリストに救われること、これ以上の喜びはありません。一期一会、主が設けてくださった皆様とのかけがえのない出会いに感謝し、私ではなく「わたし」たるお方との出会いのみが皆様の心に記憶されることを願い、ご奉仕させて頂きます。

●10月22日 週報巻頭言
 秋の特別伝道礼拝 講師 吉田 真司(相模中央教会牧師)


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2017-10-12 19:14:12 (40 ヒット)

✣ 嵐の中で聞く神の声 ✣

    理不尽な理由でサタンと神の賭けの対象となったヨブ。「罪もない私に苦しみを与える神とは一体何者か」とヨブは激しく問い続けます。しかし神は沈黙されて答えません。
    その神がついに嵐の中からヨブに答えられます。「これは何者か。知識もないのに、言葉を重ねて、神の経綸を暗くするとは」「わたしが大地を据えたとき、お前はどこにいたのか」ヨブは逆に神に問われてしまいます。
    わたしはお前の全てを知っているが、お前は私の何を知っているのか。自分の小さな知恵の故に悩んだり、疑ったりして生きているのはどうしてか。さあ目を開いてわたしの創造の業、この美しい世界を見よ。わたしはこの全世界と同じだけお前を愛している。神はご自身をヨブに示して下さいました。
    「なぜですか」の答えではないけれど、神の声を聞くことによって、ヨブは心から悔い改め、「主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」という心を取り戻しました。まさに神がサタンに勝利した瞬間です。
    栗ヶ沢教会では新しい牧師を求める日々が始まりました。自分の望みばかりを述べ立てず、時には黙して神の言葉を聞きたいと思います。

●10月15日 週報巻頭言  教会員  箕輪 治子


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2017-10-05 18:48:07 (56 ヒット)

✣ 絶望から希望へ ✣

    ルツ記は士師記と同じ時代を背景にしていますが、士師記とは対照的に、ルツ記の明るさは心を和ませます。
    ルツ記のテーマは、第一は混乱の時代に生きた、神と人に忠実な人物を示す事です。主人公のルツは、異邦人モアブの女性で、姑のナオミの信じる主なる神を自分の神と信じ、ナオミの民ユダを自分の民として、故国モアブから、ベツレヘムにやって来たのです。
    第二は神の深いご計画です。ルツは「たまたま」ボアズの畑に導かれ、彼と結婚します。彼は「買い戻し=贖い」の権利を持つエリメレクの親戚でした。そして外国人ルツとの間に子孫としてダビデ王が生まれ、更には主イエスがお生まれになったのです。
    ルツ記はまた、美しい愛の物語とも言えます。その一つは、ナオミとルツの姑・嫁の愛であり、もう一つは、ボアズとルツの男女の愛です。
    更には、姑ナオミの「行きて帰りし信仰物語」と言えるかと思います。
    御教会は10月から新しい信仰の旅路が始まりました。旅路には困難や試練が伴うかも知れませんが、必ず主は解決の道を与えて下さると堅く信じて歩みたいものです。

●10月8日 週報巻頭言  平山 公司(アーク福音ミニストリー 牧師)


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2017-09-28 21:47:31 (62 ヒット)

✣ 主は与え、主は奪う ✣

    栗ヶ沢教会の無牧師の期間が始まりました。つい三ヶ月前まで私は、そんな日が今日訪れるとは全く思ってもいませんでした。思えば私たちの人生は、そうしたことの繰り返しで成り立っているのではないか…と、改めて感じさせられます。
    旧約聖書ヨブ記の冒頭の1-2章は、一人の信仰深い人間の人生が、神の試みによって、急転落していく物語を伝えています。
    ヨブ記の主人公ヨブは、イスラエルの民ではない異邦人でしたが、地上の誰よりも主なる神を畏れて、主に悪とされることを避けて生きていました。そんな彼は神の祝福の中でとても裕福に暮らしていましたが、ある日突然、10人の子どもと全ての財産を奪われてしまいます(ヨブ1:13-19)。悲嘆にくれるヨブは、それでも神を呪うことはせずに、言います。
「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」(1:21)
    私達がヨブの立場に立った時、同じように語ることができるでしょうか。苦難に遭った時、そこに神の大いなる意思が存在していると信じていても、「主よ、なぜですか!?」と言わずにはいられない…。そんな愚かな私達に、神様は御手を差し伸べてくれます。十字架の苦しみの後に復活された、キリスト・イエスの栄光を示して。

●10月1日 週報巻頭言  教会員  衣笠 壮


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2017-09-21 19:48:37 (92 ヒット)

✣ 主イエスに結ばれた者として ✣

    現代社会が抱える問題の一つに「無責任」があります。政治、経済の世界で、教育、医療、福祉の現場で、他にもさまざまな場所で「無責任」がまかり通っています。
    「ケシカラン!」と叫ぶ私たちも、知っていながら知らないふりをする、自分のことは棚に上げて人を責める、上辺をつくろって済ませる等、家庭で、職場で、学校で、或いは教会で、自分の果たすべき務めを、いい加減にしていないでしょうか。
    「現代は、先が見えない不安な時代だからやむを得ない…」という人もいます。しかし、こういう時代だからこそ、“真実の光”が必要ではないでしょうか。
    では、“真実の光”を世に届けるのは誰か? 聖書は、神の手足として召し出された“キリスト者”だ、と言っています。ところが、“キリスト者”の福音理解が不十分、言動が「俗人」と変わらない…これでは“真実の光”は輝きません。
    使徒パウロは、初代教会のそのような“キリスト者”に対して、【あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者になりなさい】(エフェソ5:1)と厳しく戒めました。
    旧約聖書「士師ギデオン」の晩年の物語は、立派な実績を残した信仰の人も、例外なく「世俗化」する教訓を伝えています(士師記8:27)。牧師退職に際し、私はこの物語を心にしっかり刻もうと思います。

●9月24日 週報巻頭言  牧師  山田 幸男


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