本日は、高齢者祝福礼拝として礼拝をささげます。旧約聖書に登場する信仰の父祖たちの亡くなった年齢を調べてみると、みな相当に年老いてから召されています。このことは、旧約聖書の著者たちが、長寿を主なる神からの祝福の結果であると 考えていたことを示しています。ただ、長く生きればよいというわけではありません。召されるその時まで、神によって持ち運ばれたことが大切なのです。
本日のイザヤ書46章には、「ベル」や「ネボ」という名前の神が登場します。これらはバビロンの神々ですが、祭りの際に、それら青銅の像が荷車に乗せられ家畜によって運ばれました。しかし、その重さに耐えかねて家畜たちが倒れると、神々の像も一緒に倒れ伏したとあります。国家を守るバビロンの神々が、お祝いの儀式の最中(さなか)に、獣たちと一緒に倒れる様子は、滑稽にすら思えます。イザヤは、イスラエルの神が「持ち運ばれる神」ではなく、逆にイスラエルの民を白髪に至るまで持ち運ぶ神であることを、明らかにするのです。本日は、この箇所から神の言葉に聞いてゆきます。
●9月14日 高齢者祝福礼拝 週報巻頭言 牧師 木村一充
本日の聖書箇所である使徒言行録9章には、「サウロの回心」と呼ばれる出来事が記されています。サウロは、教会の迫害者としてシリアの諸教会あての書状を手にしてダマスコに向かいます。そこのキリスト者を捕らえて、エルサレムに連行するためでした。
ところが、その途上で、彼は復活の主に出会います。サウロは道に倒れ、「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか?」というイエスの声を聞くのです。このあと、サウロは目が見えなくなります。
さて、ダマスコにはアナニアという信仰者がいました。主はアナニアに声を掛け、「立って、『直線通り』と呼ばれる通りへ行き、サウロという名のタルソス出身の者を訪ねよ。彼は、祈っている」と言われます。アナニアは、サウロがどれほど教会を迫害してきたかを知っていたため、難色を示しました。しかし、主は「あの者は、わたしが選んだ器である」と言われるのです。敵対者であっても、助けるようにと主は言われたのです。本日は、このアナニアの祈りに注目しつつ、神の言葉に耳を傾けたいと思います。
●9月7日 週報巻頭言 牧師 木村一充
本日の聖書箇所である「ヨシュア記」は、モーセの後継者となったヨシュアが主の助けと導きによってイスラエルの民と共に約束の地カナンに入り、そこの先住民と戦って勝利し、カナン全土を征服して、ユダ、エフライムなどの9部族とマナセの半部族にこの地を相続地(嗣業の地)として割り当てた45年間の歴史を書き記す書物です。モーセは、神が言われた通り約束の地に入ることができず、ピスガ山(死海の北部、ヨルダン川東の山地)の山頂で、約束の地を眼下に見ながら召されてゆきました。まだ目もかすまず、気力も衰えていなかったと聖書は書きます。しかし、命を与えまた取られるお方は神さまです。出エジプトの事業は、ヨシュアに引き継がれました。
しかし、カナン侵攻がどれほど困難な事業であるかをヨシュアは分かっていました。指導者が動揺したり、たじろいていては、民の士気が上がりませんが、ヨシュアもまた弱さを抱える人でした。そのようなヨシュアに、「強く雄々しくあれ」との主のみ声がかけられます。今朝は、ここからみ言葉に耳を傾けます。
●8月31日 週報巻頭言 牧師 木村一充
ルカによる福音書12章13節以下にはイエスの前に、遺産相続の調停を頼みに来た一人のユダヤ人とイエスとの対話の様子が描かれています。この人は、兄弟と円満に相続問題を片づけることができずに困っていました。そこで、その解決のためにユダヤの教師(ラビ)であったイエスのもとに相談にきたのです。
これを聞いてイエスは言われました。「だれがわたしを、あなたがたの裁判人や調停人に任命したのか」と。つまり、イエスの第一の関心事は、神の国のことであって、この世の民事的な紛争についてラビとして深く関わることはしないと言われるのです。
主イエスの一番の関心事は、何よりも「いのち」の問題でありました。原文には「魂」を意味する「プシュケー」という言葉が何度も登場しますが、これは「いのち」とも訳せる言葉です。魂が平安でないところで、どれほど地上の富、お金を持とうと、それは「愚かなこと」(20節)だとイエスは言われるのです。今朝は、ここから響いてくる神の国のメッセージに耳を傾けたいと思います。
●8月24日 週報巻頭言 牧師 木村一充
本日のマタイ福音書13章には、さまざまな主イエスの「神の国のたとえ」が記されています。たとえば、「からし種のたとえ」では、神の国の広がりのことが語られています。天国は初めはからし種のように小さいが、やがては成長し、そこに空の鳥が巣を作るほどの大きさになるというのです。思えば、イエスの弟子たちは、初めは12人しかいませんでした。しかし、その弟子たちの数が、何千人、何万人と増えていったのです。イエスのお言葉通りになりました。
本日の箇所では、畑に隠していた宝物の話と、高価な真珠のことが書かれています。そのいずれにも共通する主題(モチーフ)があります。それは、それらの宝物を見つけた人が、「持ちものをすっかり売り払って」その畑や真珠を買うという行動を取っていることです。それらの行動は、一体何を意味しているのでしょうか。本日は、マタイによる福音書から、主イエスが語られた神の国のたとえから響いてくる神の国のメッセージに耳を傾けたいと思います。天国とはどのようなところかをご一緒に想像しつつ、み言葉に聞いてゆきましょう。
●8月17日 週報巻頭言 牧師 木村一充