本日の聖書箇所である「ヨシュア記」は、モーセの後継者となったヨシュアが主の助けと導きによってイスラエルの民と共に約束の地カナンに入り、そこの先住民と戦って勝利し、カナン全土を征服して、ユダ、エフライムなどの9部族とマナセの半部族にこの地を相続地(嗣業の地)として割り当てた45年間の歴史を書き記す書物です。モーセは、神が言われた通り約束の地に入ることができず、ピスガ山(死海の北部、ヨルダン川東の山地)の山頂で、約束の地を眼下に見ながら召されてゆきました。まだ目もかすまず、気力も衰えていなかったと聖書は書きます。しかし、命を与えまた取られるお方は神さまです。出エジプトの事業は、ヨシュアに引き継がれました。
しかし、カナン侵攻がどれほど困難な事業であるかをヨシュアは分かっていました。指導者が動揺したり、たじろいていては、民の士気が上がりませんが、ヨシュアもまた弱さを抱える人でした。そのようなヨシュアに、「強く雄々しくあれ」との主のみ声がかけられます。今朝は、ここからみ言葉に耳を傾けます。
●8月31日 週報巻頭言 牧師 木村一充
ルカによる福音書12章13節以下にはイエスの前に、遺産相続の調停を頼みに来た一人のユダヤ人とイエスとの対話の様子が描かれています。この人は、兄弟と円満に相続問題を片づけることができずに困っていました。そこで、その解決のためにユダヤの教師(ラビ)であったイエスのもとに相談にきたのです。
これを聞いてイエスは言われました。「だれがわたしを、あなたがたの裁判人や調停人に任命したのか」と。つまり、イエスの第一の関心事は、神の国のことであって、この世の民事的な紛争についてラビとして深く関わることはしないと言われるのです。
主イエスの一番の関心事は、何よりも「いのち」の問題でありました。原文には「魂」を意味する「プシュケー」という言葉が何度も登場しますが、これは「いのち」とも訳せる言葉です。魂が平安でないところで、どれほど地上の富、お金を持とうと、それは「愚かなこと」(20節)だとイエスは言われるのです。今朝は、ここから響いてくる神の国のメッセージに耳を傾けたいと思います。
●8月24日 週報巻頭言 牧師 木村一充
本日のマタイ福音書13章には、さまざまな主イエスの「神の国のたとえ」が記されています。たとえば、「からし種のたとえ」では、神の国の広がりのことが語られています。天国は初めはからし種のように小さいが、やがては成長し、そこに空の鳥が巣を作るほどの大きさになるというのです。思えば、イエスの弟子たちは、初めは12人しかいませんでした。しかし、その弟子たちの数が、何千人、何万人と増えていったのです。イエスのお言葉通りになりました。
本日の箇所では、畑に隠していた宝物の話と、高価な真珠のことが書かれています。そのいずれにも共通する主題(モチーフ)があります。それは、それらの宝物を見つけた人が、「持ちものをすっかり売り払って」その畑や真珠を買うという行動を取っていることです。それらの行動は、一体何を意味しているのでしょうか。本日は、マタイによる福音書から、主イエスが語られた神の国のたとえから響いてくる神の国のメッセージに耳を傾けたいと思います。天国とはどのようなところかをご一緒に想像しつつ、み言葉に聞いてゆきましょう。
●8月17日 週報巻頭言 牧師 木村一充
本日のマタイによる福音書5章1節以下は、いわゆる「山上の説教」としてよく知られている箇所で、ここでは主イエスの祝福の言葉(「幸いなるかな」)が、8通りの人々に向けて語られています。
本日の9節は、その一つである「平和を実現する人々」に対する祝福が語られているところです。それまでの6つは形容詞で示される人の性質(心の貧しい、柔和な、憐み深いなど)を備える人々への幸いが語られますが、7番目で初めて「平和を実現する(人々)」と、動詞で修飾される人々が登場します。そこには深い意味があります。すなわち、平和は静止しているものではなく、むしろ動的なものであり、それは争いの後にやってくるのではなく、逆にその前に来るもの、すなわち争いに先んずるものなのです。
教会は、「キリストによる平和」をこの世界に向かって宣べ伝えます。それはイエス・キリストの十字架の死によって実現した神と人との和解の出来事をこの世に伝える働きです。罪を赦し、敵を愛するという人間にはできない和解の業を神の子であるキリストだけが、なし得たのです。
●8月10日 平和祈念礼拝 週報巻頭言 牧師 木村一充
本日の「エフェソの信徒への手紙」は使徒パウロがコリントの次に訪問したアジアの港町である「エフェソ」で立てた教会の信徒たちに向けて書き送った手紙です。エフェソは、アジア第一の都市として知られ、パウロの時代はエジプトやオリエント(東方)の穀物や商品をギリシャやローマに運ぶ貿易港として栄えました。さらに、エフェソには女神アルテミスを祀る神殿があり、世界中の人が神殿詣出のためにやってくるという、ギリシャ文化が色濃く漂う異邦人の町でありました。
パウロは、このようなエフェソの教会の信徒たちに本日の箇所でこう述べます。「だから、あなたがたは滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、神にかたどって造られた新しい人を身につけ、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなさい」(4:22-23)。キリスト者とは、イエスキリストを信じる信仰によって罪が赦され、古き自分に死に、新たな命に生きるようにされた者です。本日は、そのキリスト者の新しい生き方について、エフェソの信徒への手紙を通して、神のみ言葉に聞きます。
●8月3日 週報巻頭言 牧師 木村一充