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投稿者 : webmaster 投稿日時: 2024-06-16 16:17:59 (39 ヒット)

礼拝説教「神に従いなさい」  ヤコブの手紙(James)  4:1-7
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週報巻頭言「神に従いなさい」

  本日のヤコブの手紙4章1節以下では、なぜ人間相互の間で争いが起きるのかという問題に対する答えが書き記されています。ヤコブによると、それは「あなたがた自身の内部に争い合う欲望があるからだ」と言われます。
  多くの人は、できれば隣人と平和に過ごしたいと願うものです。ところが、それにもかかわらず、どうしても手に入れたいものが生じると、それを手に入れようとして競争相手を屈服させるために争いや戦争が起きるのです。その根本原理は、いつの時代にも変わりありません。いまだ、戦争終結の道筋さえ見えないウクライナ戦争、あるいはイスラエルによるガザ地区への侵攻を見ると、それらは共に「領土」をめぐる争いに端を発しています。土地に対する執着を捨てきれないのです。
  このような「争い」から自由になるために、ヤコブは「神に服従し、悪魔に反抗しなさい」と勧めます。神に心から従う者となるためには、私たちが正しい祈りをもって神に近づかねばなりません。本日はこのヤコブ書から、メッセージに耳を傾けます。 

●6月16日   週報巻頭言  牧師 木村 一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2024-06-09 16:18:29 (66 ヒット)

礼拝説教「父の胸元で安らぐ」  ルカによる福音書(Luke) 16:19-29
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週報巻頭言「父の胸元で安らぐ」

  主イエスが語られたたとえ話の中で、死んだ後の世界が語られているものが一つあります。それが本日の「金持ちとラザロ」の物語です。ラザロは、全身にできものができていた貧しい病人でした。施しによって生きるほかないこの人は、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた金持ちの庭先に横たわり、その食卓から落ちる残飯で腹を満たし、命をつなぐ日々を過ごしていました。金持ちも、ラザロを追い払うことはしませんでした。ユダヤ人の家庭に生きてきた者として、律法が説く貧しい者への施しの精神を持っていたのです。
  やがて、ラザロもこの金持ちも死にました。金持ちの方は「死んで葬られた」とあることから、丁重な葬儀がおこなわれたことを示しています。ラザロが死んだ時は、葬儀さえなかったのです。
  ところが、天に上げられたあとの二人の立場は逆転します。ラザロは、父アブラハムの胸元で安らいでいました。一方、金持ちは炎の中で、もだえ苦しんでいたというのです。本日の物語は何を伝えようとしているのか、そのことを御言葉(みことば)を通して共に考えます。

●6月9日   週報巻頭言  牧師 木村 一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2024-06-02 18:32:38 (98 ヒット)

礼拝説教「からし種のたとえ」  マルコによる福音書(Mark) 4:30-32
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週報巻頭言「からし種のたとえ」

  この朝は、イエスが語られた「神の国のたとえ」を共に分かち合います。主イエスは、神の国を語る際に、地中に蒔かれた種が、蒔いた農夫の働きや努力とは関係なく、「ひとりでに」実を結ぶということを最初の例として挙げながら、「どうしてそうなるのか、その人は知らない」といいます。それは、大地がもたらす「豊かな恵み」の結果であり、決して農夫個人の功績によるものではありません。
  さらに続けて、イエスは「からし種のたとえ」を語られます。神の国はからし種のようなものであると言われるのです。この「からし種」は「黒辛子」と呼ばれる地中海、西アジア地方を主産地とする香辛料で、マスタードの原料になるものです。その種は、直径が1ミリにも満たないもので、イスラエルの野菜の中で、種としてはもっとも小さいものでした。ところが、それが地中に蒔かれて成長すると、何とその葉の陰に、鳥が巣を張るほどの大きさになると言うのです。本日は、この二つのたとえを通して、神の国とはどういうものかを共に分かちあいます。

●6月2日   週報巻頭言  牧師 木村 一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2024-05-26 16:34:17 (146 ヒット)

礼拝説教「思いわずらうな」  マタイによる福音書(Matthew) 6:25-31
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週報巻頭言「思いわずらうな」

  この朝与えられた聖書箇所であるマタイによる福音書6章は、5章から始まる山上の説教のちょうど真ん中に位置していて、「空の鳥、野の花を見よ」と主イエスが語られたところです。
  「空の鳥」と聞くと、私たちは通常ヒバリや山鳩のような鳥を想像しますが、並行記事のルカによる福音書12章をみると「烏(からす)」となっています。この鳥は旧約聖書では汚れた鳥とされ、食べてはならないとされていました(レビ11:15)。
  また「野の花」も他の翻訳にあるような「百合の花」などではなく、アザミのようなどこにでも見られる雑草のことを指していたと考えられています。
  だとすると、主イエスはここでロマンチックな感傷のもとに、日常生活の忙しさからいったん離れ、広々とした空を飛びまわる鳥や草原で美しく可憐に咲く花に、しばしの間目を注ぎなさいと語られたわけではないことになります。「空の鳥、野の花を見よ」という主のお言葉の真意がどこにあったのか。そこに注意しながら、主イエスが語られた神の国のメッセージに耳を傾けたいと思います。

●5月26日   週報巻頭言  牧師 木村 一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2024-05-19 16:17:19 (137 ヒット)

礼拝説教「悔い改めなさい」  使徒言行録(Acts) 2:29-33
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週報巻頭言「ペンテコステ賛美礼拝」

  本日の礼拝は、ペンテコステ賛美礼拝としてささげます。ペンテコステとは、ギリシャ語で「50日目」を意味する言葉で、イエス・キリストの復活の日から50日目に、エルサレムで祈っていた弟子たちの上に天から聖霊が降ったことを記念して祝う教会の祝祭日です。旧約の時代には「七週の祭り」として祝われ、新麦の初穂を主にささげました(レビ記23:16参照)。
  今年は、当教会が小金原の地で伝道を開始してから55年、また教会組織を経て日本バプテスト連盟に加盟してちょうど50年となる節目の年です(週報一面右上をご覧ください)。このことを覚え、50周年記念の一環として、本日ペンテコステ賛美礼拝をささげます。
  聖霊とは、復活のキリストから注がれる神の息とも言われる風のようなものであり、私たちの信仰を強め、それによって教会を建てあげてゆく神の力です。聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」と告白することができないと聖書にあります。本日の聖霊降臨の出来事を喜び、50年の歩みを感謝しつつ、主をほめたたえる礼拝をささげます。

●5月19日  ペンテコステ賛美礼拝 週報巻頭言  牧師 木村 一充


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