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くりくりあおぞらくらぶより
小学生のみなさんへ(3/27)

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■主日礼拝  
毎週日曜日 午前10時〜

教会学校(現在休止中)
毎週日曜日 午前1115分〜
・幼稚科
・小学科(低学年・高学年)
・少年少女科
・青年科
・ペアレント科
・成人科

祈祷会
毎週水曜日 朝1030分〜
                  夜  730分〜
リンク
投稿者 : webmaster 投稿日時: 2011-09-25 10:28:09 (980 ヒット)

             「偶像」について
 人間が、自分の目的(たとえば、願望や不安の解消など)のために神をつくり像を刻む、これが偶像崇拝です。  「像を刻む」とは、まさにイメージを彫りつける行為ですが、単に木や石を彫って造ることだけを意味するのでなく、「枠組みを決めてしまうこと」や「形にして、解るようにしてしまうこと」なのです。このようにして彫りつけられ、設置されて誕生する神がいます。人間は、その神のもとを訪れては頭を垂れます。その頭を礼拝行為はたいへん敬虔で信心深い姿に思えますが、根本的には、神の力の範囲・効能・目的を、人間側が限定づけてしまっている、たいへん不遜な姿だと言えます。私たちが、時に注意を払わねばならないことこそ、敬虔を装った傲慢な宗教心のことです。
 このように、神と人間の欲望との関係が逆転現象を起こしてしまうことを、聖書では「罪」と呼んでいます。これが放置されていくとき、「神崇拝」が逆に人間の欲望を達成する装置になってしまい、悲劇の種となります。この御し難い人間の本性をどうすれば良いのか。それが聖書のテーマでもあります。
                 ●9月25日週報巻頭言    吉高 叶


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2011-09-10 14:08:03 (1013 ヒット)

            【静まって、主のわざを拝す】
 後ろから迫りくる残虐なエジプト軍。行く手を海に阻まれ、絶体絶命の恐怖におののくイスラエルの民。「出発すべきでなかった!」「奴隷の方がましだ!」「戻りたい!」騒ぎ立つしかないおののき。持って行き場のない苛立ち。押さえられない怒り。それらが恨みの飛礫(つぶて)となって、モーセに襲いかかる。
「静まって、主の御業を見よ!」モーセの杖が天を指し、民が天を仰いだとき、あろうことか、海は割れ、乾いた地が現れ、道ができたのだった。
「静まれ!」これこそが、危機の中で聞くべき言葉、なすべき業であった。
 3.11東日本大震災から6ヶ月目の節目を迎えた。未だに見つからない遺体。思うように進まない復興。収束できない原発。広がり続ける放射能の影響。「早くなんとかして!」「責任者はだれ!」「どうしてくれるんだ!」「どうなってしまうんだ!」 私たちは、いま、狼狽えている。悲しさと、恐ろしさと、怒りと、焦りとで、騒ぎ立っている。
 無理もない。無理もないが、その中で静まろうではないか。神の慰めと、神の御業を求めて、祈ろうではないか。                (出エジプト14章より)
                ●9月11日週報巻頭言 吉高 叶 


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2011-09-04 16:24:47 (966 ヒット)

                  【「出発」への出発・ふたたび】出エジプト記3:1-12
 エジプトの宮廷で育ったモーセは、常に自分のアイデンティティーに苦しんでいました。エジプトの王子として教育を受けながら、しかし自分の身体にはヘブル人の血が流れているからです。その葛藤が、大変な事件を引き起こしてしまいます。ヘブル人奴隷に対して、あまりに残酷な扱いをするエジプト人を殴り倒し、死なせてしまったのでした。
 謀反の罪に問われたモーセは、エジプトを追放され、ミディアンの地に流れ着き、そこで出会った族長の娘と結婚し、イスラエルともエジプトとも無関係な、のどかな人生を送っていきます。
 ところが、迷子の羊を探して進入したホレブの山中で、モーセは神の召命を聞くのです。神は、彼に「エジプトで苦しむ民のために、おまえが指導者となって、民族脱出作戦に取り組むように」命じるのでした。「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」と名乗るこの神は、父祖たちを「出発する人生」へと招いたように、いま、ふたたび、イスラエルの民全体の「大出発」のために、ミデアンから出発するようにと、モーセにチャレンジするのでした。
                 ●9月4日週報巻頭言 吉高 叶


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2011-08-27 11:02:44 (961 ヒット)

           【新しい背景】 創世記45:1-15
 ファラオが見た夢の謎を見事に解き明かしたヨセフは、ファラオの信頼を克ちとり、エジプトの宰相に任じられます。彼は「夢の予言」に従って、7年間の大豊作時代に、経済や流通の手綱を引き締め、国家をあげての備蓄事業に取り組みます。やがて「夢の予言」どおり、未曾有の大凶作・大飢饉が、エジプトのみならず近隣世界を呑み込んでしまいます。
 飢餓に貧したあらゆる地域から、たくさんの人々が食料を買い求めて、エジプトを訪れるようになりました。その中に、ヨセフの兄たちがいたのでした。ヨセフのことを疎み、共謀して奴隷商人に売り渡してしまった兄たちでした。恨みと怒り。懐かしさと愛しさ。20数年の時を超え、絡み合いながらこみ上げてきます。
 ヨセフは、自分の人生をどのように受けとめたのでしょうか。そして、いま、この「再会」をどう理解し、兄たちに対して、何を語るのでしょうか・・・。
 愛する家族から引き離され、独りエジプトで耐え抜き、闘い抜いたヨセフ。彼はいま、自分の人生を動かしてきた神の計画を確信し、深い感動に包まれ、涙を流して兄弟たちとの再会を喜ぶのでした。
                  ●8/28 週報巻頭言  吉高 叶


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2011-08-19 10:12:20 (978 ヒット)

                 【最善の備え】
 エジプトの王(ファラオ)は、古代世界において人間の知恵と力を総結集できる権力者です。しかし、そのファラオが、不安に怯え途方に暮れています。彼を悩ませていたのはひとつの夢でした。それは、神がファラオに与えた予言でした。
 不運な成りゆきでエジプトに奴隷として売られ、そのうえ獄につながれていたヨセフが、ひょんなことからファラオの前に連れ出され、見事に夢解きをしてのけます。彼は臆することなく、媚びることなく、エジプトとファラオの慢心を戒め、世界に対する大国の使命を伝えます。明快で威厳に満ちた夢解きの前に、王は頭を垂れ、ヨセフの言葉に基づき施政を転じます。やがて全世界を襲った大干ばつ・大飢饉に予め備えることができたエジプトは、自国民のみならず世界の人々を餓死から救い出したのでした。
  この世の王(知恵と力)は、常に己れの力を過信し、現在の繁栄に溺れてしまうものです。しかし、想定できない未来、計り知れない神の業の前に、人間は実に無力なのです。解き明かされるべきもの、耳を傾けるべきものは神の夢(言)です。神の夢を受けとめ、神の言を聞き続けていること、それこそが、人間の最善の備えなのです。
                           ●8月21日週報巻頭言 吉高 叶


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