メインメニュー
インフォメーション
リンク
投稿者 : webmaster 投稿日時: 2017-05-11 19:17:55 (996 ヒット)

✣ 死んで生きる ✣

    バプテスト派の教会では、バプテスマを「洗礼」ではなく「浸礼」と呼びます。全身を水に沈めます。これは死と復活の象徴です。即ち、古い人は十字架のキリストと共に葬られ、復活のキリストと共に生きる新しい人になるのです。
    バプテストとは「浸礼を受けた人」という意味です。バプテスト教会は新しくされた(死んで生きる)人々によって構成されます。特徴はバプテスマの形式(浸礼)だけでなく、復活のキリストと共に生きる“証し(応答する信仰)”です。“証し”はキリストを伝える最善の方法です。
    そうは言っても、バプテスマを受けたら一足飛びにすべて新しくなる訳ではありません。新しい生活が始まると、脇目も振らずゴールに向かって全力疾走する人もいれば、マラソンのように着実に進む人もいます。ゆっくり歩いて行く人、疲れて休む人、その人を介抱して一緒に行く人もいます。間違えないでください。新しい生活は競争ではありません。
    進み方は違っても、皆、復活のキリストと共に新しい命を生きている。ここに“バプテスト教会の証し(応答する信仰)”があります。
    新しくされた人は、ゴールへ至る速さよりもプロセス(途中経過)を大切にします。キリストの愛の豊かさ、幸いを体験しながら、神が約束したゴールへ必ず到達する。死んで生きるからそう信じることが出来るのです。

●5月14日 週報巻頭言  牧師  山田 幸男


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2017-05-04 19:04:00 (934 ヒット)

✣ 苦難と忍耐、そして希望 ✣

    『…ある人が「神は誰にでも宿題を与えておられる。こんな幸せな人はなかろうと思うような人も、体の丈夫な人も、家族の問題、事業の問題…いろいろの問題を持っている…その一つ一つを考えてみると、神から宿題を与えられているようなもの」と語っていた。
    苦難をどのように受けとめ…そこから飛躍していくか…意味を見いだすことが大事…私たちは意味のないことを忍耐できない…意味を見いだすから…希望を持つ…。』(榎本保朗著「新約聖書一日一章」262頁より)。
    使徒パウロは信仰義認に続いて、“神に義とされた人(キリストの十字架と復活を信じた人)”の生き方を語ります。特徴は、【神の栄光にあずかる希望を誇る】(ロマ5:2)こと、それに加えて【苦難をも誇る】(5:3)ことです。
    なぜ苦難をも誇るのでしょうか? それは、“義とされた人”【苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む】(5:3-4)ことを知っているから、とパウロは力強く語ります。
    ここでいう【忍耐】とは、一人で頑張るのではなくキリストと共に苦難を生きること。【練達】心の不純物を取り除かれて純化されること。その結果、“神の光”を見て本当の【希望】に満たされる。“義とされた人”は、「この世」ではなく【神を誇る】(5:11)。パウロの実体験による逆説の福音です。

●5月7日 週報巻頭言  牧師  山田 幸男


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2017-04-27 19:38:29 (1112 ヒット)

✣ 信仰義認 〜新しい生き方 ✣

    使徒パウロはローマ伝道のビジョンを神から示され(使徒18:21、23:11)、第三回伝道旅行のときに「ローマの信徒への手紙」を書きました(55-58年頃、コリントにて。推定年齢55-58歳)。
    まだ会ったことのない人々へ自己紹介と福音理解を伝え、ローマ伝道への協力を要請します。しかし、内容のほとんどは「キリスト教の教理」です。何故、パウロはこんな難しい手紙を書いたのでしょう。理由はローマの教会の成立過程にあります。いつ、だれが“福音”をローマに伝えたのか? 聖書に答えがあります。

1)デアスポラ
…パレスチナ地方を旅行していたローマのデアスポラ(離散のユダヤ人)が、福音に触れ、ローマに戻ってから伝道した(使徒2:10)

2)ヘレニスト
…教会迫害で散らされたヘレニスト(ギリシア語を話すユダヤ人キリスト者)が宣教の使命感からローマへ行き伝道した(使徒11:19以下)

    二千年昔、世界の中心地ローマへ最初に“福音”を伝えたのは、イエスの12弟子でも使徒パウロでもない。普通の信徒たちでした。一説によると、紀元50年頃には既に有力な教会が存在したと伝えられています。大都市には多様な背景を持つ人々がいました。“福音”を信じた人々は、それぞれの流儀で信仰生活を始めたので、ローマの教会は混乱しました。そこでパウロは“信仰義認(神の絶対恩寵)”を強調。新しい生き方を示します。

●4月30日 週報巻頭言  牧師  山田 幸男


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2017-04-20 19:39:04 (905 ヒット)

✣ 福音の力 ✣

    教会暦では“復活節”に入りました。“聖霊降臨日(ペンテコステ:今年は6/4)前日までの7週間です。福音書の時代のように“復活のキリスト”が、私に近づいてくださることを確認する季節です。喜びを体験した人々は、集まって一緒に祈り始めました。こうして“キリスト復活”の日から数えて50日目に、信徒たちの証しによる伝道が開始されました。世界初の“キリスト教会誕生”です。現代に於いても、“復活のキリスト”を信じた人々が集まり、心を合わせて祈れば、そこにいのちに満ちた“キリストの体なる教会”が立て上げられるのです。
    今年の“復活節”は「ローマの信徒への手紙」を学びます。著者パウロは生涯を“キリストの使徒”として歩み、世界宣教の礎となりました。彼は信仰の初心を忘れず信仰の軸がぶれない人でした。まだ会ったことのない人々へ、手紙の冒頭で自己紹介をしています(ローマ1:1)。

1)キリストの僕(しもべ)
…僕は「奴隷」の意味。自分に不利でもキリストの命令ならば従う覚悟だ。

2)福音宣教のために選ばれた
…神はアブラハム、モーセ他を選び立てたように、福音を伝える器として、この私に目を留め、選び立てた。

3)使徒の責任を果たす
…私は福音を恥としない(16)。あなた方と一緒に神に仕えたい。

    この手紙には、パウロの「ローマ福音宣教」への思いが熱く語られています。

●4月23日 週報巻頭言  牧師  山田 幸男


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2017-04-13 19:25:09 (1050 ヒット)

✣ 復活する(恐れ・驚き・喜び) ✣

    日本人が無神論に傾倒する理由を、あるクリスチャン生物学者が、『進化論に居心地のよい住居を提供した「罪」のため』と指摘しました。
    この学者の説によると、人が物事を考えるとき、何を土台にするかによって進む方向がまったく違って来るといいます。進化論を土台にする場合と、聖書の神による創造論を土台にする場合、その違いは明らかです。

1)進化論
…その土台は「偶然、無秩序、弱肉強食、そして合理性」です。世界的に見れば進化論は仮説の一つに過ぎません。が、日本では権威を持ち、絶対視されている。

2)創造論
「存在の意味、調和、いのちの尊厳」が土台です。合理性を否定しませんが、それだけでは説明出来ない「無駄、不合理」を認め、そこに“神の摂理”があるとする。

    進化論には「罪」の解決はありませんが、創造論には“キリストの十字架と復活”による“救い”があります。「弱肉強食、合理性」はいのちを切り捨てる。一方、「無駄、不合理」を認める世界は違うことを尊重する。
    人は聖書を通して“復活のキリスト”に出会い、創造論を理解します。創造論的人生とは、聖書から養いを受けて、日々新しくされる歩みです。躓いても、尚、神が備える希望があると信じて前進する人生です。進化論的人生では味わえない豊かな生き方です。

●4月16日 イースター礼拝 週報巻頭言  牧師  山田 幸男


« 1 ... 84 85 86 (87) 88 89 90 ... 162 »

日本バプテスト連盟   栗ヶ沢バプテスト教会

  〒270-0021 千葉県松戸市小金原2-1-12 TEL.047-341-9459


 栗ヶ沢バプテスト教会 Copyright© 2009-