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投稿者 : webmaster 投稿日時: 2017-01-05 19:48:24 (871 ヒット)

✣ あなたがたは幸いである ✣

    キリストの十字架に目を向けると、見えて来るものがあります。神に従う“ひたむきな姿勢”、小さい者を尊ぶ“濁りのない愛”、更に神の子が低い所へ降る“気高い精神”です。
    キリストに従うとき、私たちは「罪人」でありながら、十字架の“絶対恩寵”によって“義なる人”とみなされます。ここでいう“義”とは、「神の小羊なるキリスト」と共にある「我」を意味します。“義なる人”には、見分ける知恵が神から与えられます。
    例えば、お金で「家」は買えても“家庭”は買えない、「薬」は買えても“健康”は買えない、「地位や名誉」と“尊敬されること”は別物だということをしっかり見分けます。
    見分ける知恵が働くと、自分の足元にある「偽(ニセモノ)・ギ」を“義(ホンモノ)・ギ”に変える選び取をします。この選択には必ず試練が伴います。そこで“義なる人”は、祈らずにはいられなくなり、「主よ、助けてください…我を憐れみたまえ…」と、一所懸命、祈り始めます。これが《義に飢え渇く人々》の姿です。キリストは、《幸いだ…その人たちは満たされる》(マタイ5:6)と、力強く語りました。
    他者はどうあれ、「私は“神の義”を選ぶ」という人を神は放っておきません。《幸い》はその人のものです。なぜなら、キリストが来て下さるから 約束された《幸い》は時空を超えて“義なる人”を満たします。

●1月8日 週報巻頭言  牧師  山田 幸男


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2016-12-30 15:50:06 (792 ヒット)

✣ イエス、洗礼を受ける ✣

    2017年元日は“日曜日”です。教会で礼拝が行われる日です。まず礼拝をささげる、それから行動へ。これはキリスト者の生活の基本です。今年、神さまはカレンダーの並びを用いて人々を“祝福”へ招いているかのようです。“祝福”への招きといえば、バプテスマ(洗礼)は、「罪人」が神さまから受ける“最高の賜物”です。イエスさまも洗礼者ヨハネからバプテスマを受けました。ヨハネが“悔い改めへの招き”のバプテスマを行っていると、そこへイエスさまが来て、自分も受けたいと申し出ます。ヨハネは当惑します。なぜなら、ヨハネのバプテスマは罪に汚れた人へのものであり、イエスさまは受ける必要がないと考えたからです。ヨハネは、むしろ自分の方がイエスさまからバプテスマを受けるべき「罪人」だと思ったほどでした。
    イエスさまはヨハネからバプテスマを受けるに際して、【今は止めないで欲しい…我々にふさわしいことです】(マタイ3:15)と語りました。このバプテスマには、救いを必要とする人々と“イエスさまが連帯する”という意味があります。イエスさまは、ヨハネからバプテスマを受けることで、ご自分から「罪人」へ歩み寄られたのです。
    バプテスマ(洗礼)を受ける。それは、一人の「罪人」が“イエスと連帯した”ことを意味します。十字架を負ってキリストに従う歩みが、ここから始まるのです。 

●1月1日 新年・元旦礼拝 週報巻頭言  牧師  山田 幸男


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2016-12-22 18:04:23 (959 ヒット)

✣ 異邦人のクリスマス ✣

    新約聖書によると、世界で最初のクリスマスをお祝いしたのは、マリアとヨセフ、貧しい羊飼いたち、そして東方の博士たちでした。博士たちのことは、【占星術の学者たち】(マタイ2:1)と紹介されています。彼らはユダヤの民(選民)ではありません。異邦人(ペルシャ人の祭司・偶像礼拝者)です。彼らは、哲学、薬学、宇宙科学に精通する当時のスペシャリストで、マギ(学者)と呼ばれ、人々から尊敬されていました。
    彼らがベツレヘムの家畜小屋で“幼子イエスさま”にお会いしたとき、宝の箱から高価な品物を三つ献げたので、「三人の博士」というのが通説になりました。
    「三人の博士」は、東の国で偶像の神々を拝み、星占いをしていました。ユダヤの民からみればとんでもない人々です。ところが、そんな彼らも“救い主(メシア)の到来”を待望していたのです。輝く星に導かれてユダヤ地方へ来た彼らは、宮殿を訪ねヘロデ王と謁見します。
    そのとき、ユダヤの宗教指導者たちが「救い主はベツレヘムに生まれると預言者が書いている」と、自慢げに知識を披露しました。
    しかし宗教家は捜さない。無関心でした。
    一方、異邦人である「三人の博士」は“救い主”を熱心に捜し求め、飼い葉桶に眠る“幼子”を見つけます。こうして、異邦人も最初のクリスマスの光に包まれたのです。

●12月25日 クリスマス礼拝 週報巻頭言  牧師  山田 幸男


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2016-12-15 19:30:38 (770 ヒット)

✣ 共に生きるとは ✣

    社会運動家であり、キリスト教の伝道者として有名な賀川豊彦(1888-1960年)の言葉です。『クリスマスの精神を最も面白く、有効に象徴するのはサンタクロースである。その伝説はクリスマスの大切な意味を三つの観点から告げている…』。
    賀川豊彦がいう『クリスマスとサンタクロース』の関係を要約してみました。

1)教育の観点
…1年で最も闇の深い冬至の頃、サンタクロースは来る。その意味は『闇を破る光』。すべての人を照らす光が来ることを、サンタクロースは子どもたちに教えている。

2)奉仕の観点
…サンタクロースは、そりに乗り、プレゼントを携えて、遠い地にいる子どもたちを訪ねる。子どもたちは『無条件の恵み』を受けて喜ぶ。奉仕の原点は喜びである。

3)苦難突破の観点
…人は、わがままな思いを十字架にかけて、意識的に『神の子となる心』を持つとき、神の無償の愛が「有限なる人」に宿る。こうしてサンタクロースの伝説が継承される。それは新しい世界への招き。

    賀川は、これを知らずに過ごすなら、そんなクリスマスは一種の戯言(たわごと)に過ぎないと記していました。
    聖書は終始一貫、『この人(イエス・キリスト)を見よ』と語ります。キリストが何千回ベツレヘムに生まれても、あなたの心に生まれなければ無意味です。心に光を灯しましょう。

●12月18日 週報巻頭言  牧師  山田 幸男 


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2016-12-08 18:06:04 (916 ヒット)

✣ 強いられた恩寵 ✣

    イエスさまは、すべての人を「罪」の縄目から解き放つために、二千年昔、ベツレヘムの家畜小屋にお生まれになりました。大工ヨセフと少女マリアが地上での父親と母親になりました。しかし、二人にとって、この出来事は素直に喜べない『強いられた恩寵』でした。
    マリアは結婚する前にヨセフの知らないところで胎に子を宿します。当世流行の「できちゃった結婚」の感覚なら、あたり前のことかもしれません。しかし、二千年昔のユダヤの社会は現代とは違うのです。正式な結婚以外の性的関係は「姦淫罪」です。神の秩序を乱す「大罪」として、死刑(石打ち刑)にされました。当時は神の律法(戒め)によって、精神的にも肉体的にも“愛の尊厳”が大切にされていたからです。そのためヨセフの悩みは深刻でした。彼はマリアとの結婚の解消を考えていました。
    ところが、ある夜、夢に天使が現われて、“愛の尊厳”の意味を啓示します。眠りから覚めると、ヨセフは態度を一転してマリアを妻に迎えます。ヨセフは大切なことに気づいたのです。
    私たちは、今、イエスの時代よりも飛躍的に進歩した時代を生きています。知識は増し、生活レベルは高くなりました。でも、私たちの“愛”は増しているか “愛”のレベルは高くなっているか? クリスマスはあなたの“愛の尊厳”を回復するときです。

●12月11日 週報巻頭言  牧師  山田 幸男


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