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投稿者 : webmaster 投稿日時: 2017-06-15 20:34:41 (816 ヒット)

✣ わたしたちは主のもの ✣

    榎本保郎著『新約聖書一日一章(ローマ人への手紙 P.281)』の一節が心に響きました。
    『私が同志社に行っているとき、御所の庭で宗教部の集会が開かれた…20〜30名集まり…先生を迎えて話を聞いた。私は信仰を持っていない友人を一人連れていった…腰をおろして話を聞くことになったとき…先生は聖書と讃美歌を置いて、その上に腰をおろした。草のしみがつくからと思ってひょいとしたのである。そのとたん、私が連れていった友人は帰ってしまった。
    聖書は一つの本であり…内容が大事…と言ってしまえばそれまでだが、人に対する配慮がなさすぎたと思った。人がつまずこうがどうしようが、わが道を行くというのではなく、信仰の弱い人のことを考えて、つまずかないようにしていくのが愛である。【キリストはその兄弟のために死んでくださったのです】(ロマ14:15新共同訳)。この言葉が、私の心が本当に開かれる一つの鍵となった。』
    パウロはローマ教会にくすぶる問題に切り込みます。それは初代教会が抱える共通の悩みでした。キリストは違う意見の「あの人」のためにも十字架で死なれた。【キリストの愛がわたしたちを駆り立てている】(2コリント5:14)。だから、私たちは“光の子”として、互いに思いやりの心を持とう、というのです。

●6月18日 週報巻頭言  牧師  山田 幸男


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2017-06-08 18:27:54 (714 ヒット)

✣ キリストの愛を知る ✣

    ある朝読んだ黙想書に“富士山”が取り上げられていました。日本で暮らす外国人が記した信仰の証しです。要約して紹介します。
    『…晴れた日の夕方には、あざやかな夕焼けを背景にした荘厳な“富士山”が、美しい姿を見せます。しかし、雨の日や曇りの日、霧がかかっているときは、日本の最高峰は全く見えません。悪天候のときに、外国から初めて我が家へ来た人に、「霧のむこうに美しい“富士山”があるのですよ」と言っても、なかなか信じてもらえません。
    これは“神の存在”を疑う人の反応に似ていると思いました。試練に直面して心騒ぐとき、そこに“神が共いる”と言われても、疑う人が多いのです。“富士山”はいつもそこにあります。雨雲や霧が視界を邪魔して見えないだけです。同じように、“天地を創造した神”は、どんなときも私たちと共にいてくださいます。そう思ったら、私は両手を広げて叫びたくなりました…』。
    聖書は、【神は万事を益とする】(ロマ8:28)と約束しています。それにもかかわらず、私たちは自分の小さな頭であれこれ考え、悲観的な結論を下します。自分の基準で神を量り、神の働きに枠をはめてしまうのです。発想を転換しましょう。“神の愛”は、人の知識を超えて、広く深いのです。

●6月11日 初夏の音楽礼拝 週報巻頭言  牧師  山田 幸男


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2017-06-01 19:02:28 (788 ヒット)

✣ 新しい生活 〜応答する信仰 ✣

    「ローマの信徒への手紙(ローマ書)」は、1-8章教理(人の罪と福音の力)9-11章イスラエルの選び(選民の堕落と異邦人の救い)12章以降は新しい生活(神への応答)の順で記されています。この手紙を書いたパウロは、これを読む人々(元ユダヤ教徒、異邦人)が、“キリストに結ばれている”という前提で話を進めます。
    12章以降は、“キリストに結ばれている”という要点を外して読むと「壁」に跳ね返されるかもしれません。パウロの論点は、信仰の目標ではなく“信仰の実”が実際に結ばれること。
    12章冒頭で、パウロは“キリストに結ばれた人”に【自分の体を神に献げ】【心を新たにして神の御心をわきまえ】【慎み深く生きる】ように勧めます。神の恵みに“応答する心”を持ちなさい。これが“新しい生活”です。
    人の知恵や力では達成不可能でも、“キリストに結ばれた人”“神の絶対恩寵(光)”に包まれるなら実現されるとパウロは語ります。
    人は、礼拝に身を置き、聖書の言葉に養われ、祈ることによって、自分自身が更新され、キリストの似姿に造り変えられて行きます。
    イースター後、50日目に起きた“聖霊降臨(ペンテコステ)”パウロが語る“新しい生活”の証(実)です。人々は“恩寵(光)”の中で信仰の友らとの一体性、多様性、調和を備えたキリストの体(教会)を造り上げたのです。

●6月4日(ペンテコステ) 週報巻頭言  牧師  山田 幸男


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2017-05-25 19:56:56 (755 ヒット)

✣ 思い上がるな ✣

    使徒パウロは同胞(イスラエルの民)がキリストに結ばれることを切実に願っていました。【わたしには深い悲しみがあり、…心には絶え間ない痛みがあります】(ロマ9:2)と、同胞への思いを綴っています。「神の選民(イスラエルの民)の堕落」と「異邦人の救い」をパウロは雄弁に語ります。「ローマの信徒へ手紙 9〜11章」に記された内容を大胆に要約してみました。

1)パウロの同胞は“神に選ばれた民”
    選民の特権は取り消されない(11:29)。しかし、選民の歴史は、選民の中の“神に忠実な人々”が祝福を受け継いだと伝えている。

2)神は“異邦人”も祝福する
    神は、神に背を向けた選民を反面教師として“救い”を異邦人に向けた。異邦人の中にも神に従う人々がいる。パウロは、そのような異邦人へ福音を宣べ伝える使徒とされた。

3)選民は“砕かれた心”を回復せよ
    律法によって神の御心を知るも、それを実行しない選民がいた。一方、熱心に実行して自己陶酔し、他者を裁く選民もいた(かつてのパウロ)。選民は異邦人から「軽蔑」された。

4)異邦人は“接ぎ木された枝”
    「選民の堕落」「異邦人の救い」は神の計画。選民は再び神に立ち返る(11:32-33)。異邦人は、“接ぎ木された枝(11:24)”に過ぎないのだから、高ぶるな。神を恐れよ。

●5月28日 週報巻頭言  牧師  山田 幸男


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2017-05-18 19:08:05 (744 ヒット)

✣ キリストに結ばれる幸い ✣

    「ローマの信徒への手紙(ローマ書)」は、使徒パウロが伝道旅行中にコリントの町(今のギリシャ南部)で記したと伝えられています。この手紙の冒頭には、世界の中心地ローマへ行き、伝道したいとのパウロの熱い思いが記されています(1章)。自己紹介に続いて、パウロが体験した福音の力、信仰義認やバプテスマの意味、更にキリスト者の新しい生活について、たたみかけるように綴(つづ)られています。
    「ローマ書」は「難しいから嫌い!」という人もいます。その気持ち、私も分かります。今は講壇から説教を語る私も、かつてはそうでした。しかし、伝道者になる召命を受けたら、「嫌いだから読まない」では通りません。
    そんなわけで、“強いられた恩寵”として神学生時代に「ローマ書」を何度も読みました。不思議なもので、繰り返し読むうちに面白さがわかるようになりました。心に響く御言葉と出会いました。その一つが8章28節。【神は、神を愛する者たち、すなわちご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにしてくださることを、わたしたちは知っています】(口語訳)。
    神学校卒業後、赴任した教会の礼拝堂正面に、この聖句が掲げてありました。新米牧師は大いに励まされました。32年後の今も、私を力強く支える御言葉です。

●5月21日 週報巻頭言  牧師  山田 幸男


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