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■主日礼拝  
毎週日曜日 午前10時〜

教会学校
毎週日曜日 午前11時15分〜
・幼稚科
・小学科 
・少年少女科  
・青年成人科

祈祷会
毎週水曜日 午前10時30分〜
                    午後 7時30分〜
       (但し、4/25午後は休会)
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投稿者 : webmaster 投稿日時: 2018-01-05 14:31:26 (103 ヒット)

✣ 先導者ヨハネのイノベーション ✣

    荒れ野で叫ぶ者の声がする。
    主の道を整えその道筋をまっすぐにせよ。

    イザヤ書にも書いてあるように、ヨハネは、罪を告白しヨルダン川で悔い改めのバプテスマを受けるよう、人々へ呼びかけました。この呼びかけに、多くの人がヨハネのもとに来て、罪を告白しバプテスマを受けました。
    ヨハネが始めたバプテスマは、旧約聖書に記されているものではなく、当時の全く新しい技でした。これに、イエス様は自ら臨まれたのです。イエス様は、宣教では旧約聖書に記されていることを解き明かされます。しかし、その公生涯のスタートに採用されたのは、ヨハネの新技だったのです。
    イエス様が水の中から上がると、天が裂け霊が下り、天から声が聞こえました。イエス様が主であることの証です。と同時に、ヨハネのバプテスマの技法が、天に正式に奥義として認められた瞬間でもあります。それから2000年以上たった今でも、そしてこれからも、その奥義は絶えることはありません。イエス様がバプテスマを命じたからです。(本日の招詞 マタイ28:19)。
    一度のバプテスマで、悔い改めが主から認められ、主の命じられたことを守ることができます。その恵みに感謝します。

●1月7日 新年礼拝 週報巻頭言  教会員  武若 智之


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2017-12-28 19:10:36 (97 ヒット)

✣ 希望の中に歩む ✣

    生老病死。古今東西、人の生涯は苦悩に満ちています。人生の普遍的な苦しみを克服しようと、古来、無数の宗教や秘法が生まれました。また、近代に至っては、技術の進歩に根ざした物質的な豊かさ、生活の快適さの内に、苦しみを克服しようとする試みもなされてきました。しかし、それらの努力もむなしく、私たちは未だに、世の苦しみから逃れる有効な術を得られずにいます。ところが、今から2000年も前のこと、特別な秘法を行うことなく、世の苦しみを脱した、少なくともそう見受けられる、一人の老人が現れました。シメオンと呼ばれるその人は、「主が遣わすメシア(救い主)に会うまでは決して死なない」とのお告げを受けていました。彼は、幼いイエス様をひと目見て、この幼子こそメシアだと確信し、こう言います。「今こそあなた(神様)は御自分の僕を去らせてくださいます。主よ。あなたのお言葉どおり、平安のうちに。」シメオンは救い主を目のあたりにして、人々が忌み嫌う「肉体の死」を喜び勇んで受け入れます。彼はこの幼子イエス・キリストを通して神様の御国に通じる道を見、救いを確信したのです。」「わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる(ヨハネ10:9)」「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる(ヨハネ11:25)」イエス様のこの御言葉は、単に心の慰めや倫理問題に終始するものではありません。御自身の「十字架」と「体のよみがえり」により、霊的な救いはもとより、肉体をも合わせた「完全なよみがえり」、すなわち「真の生命」を保証してくださっているのです。新たな年が、この御言葉の中に歩む希望の年でありますように。

●12月31日 週報巻頭言  教会員A


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2017-12-21 17:20:48 (138 ヒット)

✣ クリスマスのこころ ✣

    クリスマスは、自由を悪用して神に背き罪を犯した貧しき私たち人間に、神からの救い主が与えられたことを祝い、感謝する日です。さらに、この世を完成させるために再臨される主イエスを、緊張と歓びとをもってお迎えする準備のときです。
    キリストの正確な誕生日は記録にありません。紀元後3世紀頃までは5月20日、4世紀になり12月25日に祝われるようになりました。ローマでは、当時盛んだった太陽神崇拝ミトラス教が、ローマ暦冬至に当たる12月25日を、不滅の太陽神の誕生日としていました。教会では、キリストこそ真の正義の太陽であると考え(マラキ3:20)、この日を主の降誕日として祝うようになりました。キリスト教が定着するために、異教の祝いを排除するよりもむしろ、その祝いにキリスト教的意味を持たせようとした、一つの例といえます。
    ……暗い闇に差し込む光、長い寒い冬を暖める太陽としてのキリストの誕生を祝うのは、真冬、雪の降り積もる光景をも彷彿とさせる12月にふさわしいことでしょう。暗い闇・寒い冬は、私たちの貧しい淋しい心の比喩でもあります。クリスマスは、ジングルベル・セール・パーティそして「プレゼント」などの華やかさに埋もれることなく、「静けき日の真夜中」にお生まれになった幼子の存在「プレゼンス」に想いを向け、行く年に感謝し、迎える年への祝福を願うときでもあります。 

●12月24日 クリスマス礼拝 週報巻頭言 齋藤 隆(前・逗子第一教会 牧師)


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2017-12-14 17:58:02 (142 ヒット)

✣ しずかな、やわらかな心で ✣

    小学生のころ、クリスマスのたびにぎもんに思っていたことがありました。「イエスさまがお生まれになったとき、『おびただしい天の軍勢(ぐんぜい)が現れ…』と聖書には書いてあるけれど、そんな大変なことに、どうして数人の羊かいたちしか気づかなかったのだろう?」と。空をおおうほどの天使たちを思いながら、教会のクリスマス会でもこの聖書のかしょを読んでいたことをおぼえています。
    そんなわたしも高校生になりました。クリスマスイブの夜、眠りにつこうとしたときのことです。わたしはまっくらな音のない自分の部屋のベッドの上でひざに両手をおき、それをのぞきこんでいます。最初は手のひらにひらひらと雪がまっているのかと思いました。よく見ると、それはたくさんの天使たちで、あるものは角笛をもち、あるものはおどり、にぎやかにおいわいをしているのです。そこでわたしは目を覚ましました。夢でした。暗いてんじょうに向けて思わずのばした手のひらに、はっきりと天使たちがいた感しょくが残っていました。
    そのときわたしは小さいころからのぎもんが少しわかった気がしました。自分のところにも「天の軍勢」は来て、イエスさまのおたんじょうをおいわいしていたけれども、わたしのまわりやわたし自身がうるさすぎたり、明るすぎたりして、気がつかなかっただけではないのかしらと。

●12月17日 第3アドベント合同礼拝 週報巻頭言  教会員  入江 恵里子


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2017-12-07 19:46:30 (132 ヒット)

✣ インマヌエル 苦悩の只中に ✣

    2005年の12月に、私はイスラエル旅行に行きました。ベツレヘムにある、イエス様が生まれた場所とされている教会を訪れました。丁度待降節でしたので、教会では立派な服を着た聖職者たちが礼拝のような儀式を行っていました。
    私たちは、生まれたばかりのイエス様が寝かされていたと言われている場所の写真を撮ったり、手で触れたりして、感動しながら教会の中庭に出て、ヒエロニムスの像の前で、天を仰ぎながら「きよしこの夜」を讃美しました。しかし、その中庭の壁一枚隔てた外側の路上では、貧しい小さな子どもたちが、観光客に「一ドル、一ドル」と言って物を売っていたのです。彼らは必死でした。なぜなら、稼ぎが悪い時には、家に帰って親に叩かれてしまうからだそうです。私は、その事実を聞いてとても複雑な思いになりました。天を仰ぎ、喜びと感動に浸って、気持ちが高揚している自分が少し恥ずかしくなりました。
    イエス様がこの世にお生まれになったのは、私のためであると同時に、あの壁の向こうで必死になって物を売っている子どもたちのためでもあるのだと、思い知らされたからです。
    彼らは、イエス様が生まれたとされる教会の直ぐ近くで生まれ育ちながら、イエス様を知らないのです。その時私は、インマヌエルの神はどこにおられ、誰と共におられるのかと考えさせられました。

●12月10日 第2アドベント 週報巻頭言  松 準(前・横浜JOYバプテスト教会 牧師)


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