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■主日礼拝  
毎週日曜日 午前10時〜

教会学校
毎週日曜日 午前1115分〜
・幼稚科
・小学科 
・少年少女科  
・青年成人科

祈祷会
(8月中午前休会)
毎週水曜日 午前1030分〜
                    午後 730分〜
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投稿者 : webmaster 投稿日時: 2018-05-04 15:13:21 (84 ヒット)

✣ 主の晩餐にあずかる ✣

    主の晩餐とは何か。日本バプテスト連盟宣教研究所発行の『バプテスト教会において豊かな式を形作る言葉と祈りのために』には、次のように書かれています。「バプテストにとって主の晩餐という礼典はサクラメント(救いの手段)では無く、オーディナンス(主の命令への応答)です。主の晩餐にあずかったものが救われるのではなく、救われたものの主への感謝、応答として主の晩餐にあずかるのです。よってそれにあずかることによって救われる聖なる儀式、『聖餐式』ではなく、人間がキリストの命令によって行う『主の晩餐(式)』と呼んできました」。そして、エドゥアルト・シュヴァイツアーという聖書学者によれば、その基本的意味は、 屬垢任法弋こったあがないの業の記念、◆屬い沺弋こされている教会の交わりへの参与、「やがて」起こされてゆく救いの完成の希望、この3点だといいます。
    わたしたちは今朝、イエスの十字架の死を想い起こし、復活されたキリストが今もわたしたちと苦しみを共にし、わたしたちを教会として結び付けてくださることに感謝しつつ、主の晩餐にあずかります。ですが、それは自分の満足のためにではなく、この時この場にいない一人ひとりをおぼえながらのものでありたいと願うのです。

●5月6日 週報巻頭言  牧師  村上 千代


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2018-04-27 19:16:03 (89 ヒット)

✣ ほんとうにいいこととは ✣

    学者アラムハラドが子供たちにたずねます。「小鳥が啼かないでいられず、魚が泳がないでいられないように、人はどういうことをしないでいられないだろう。」 小さなセララバアドが「人はほんとうにいいことが何だかを考えないではいられないと思います」と答えました。これは、宮沢賢治の作品の中の話です。わたしたちは、ふだんこの「ほんとうにいいこと」を、何を規準に考えているのでしょうか。ほんとうにいいことと思って言った言葉で、人を傷つけたり、ほんとうにいいことと考えてしてくれただろう行いを、うっとうしいと思ったりします。
    このことを、聖書はどう説いているのでしょうか。パウロは、いろいろな教会の信徒へ手紙を書いていますが、その中で「心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。」(ローマ12:2)と言っています。そしてその内容は、「愛は隣人に悪を行いません…」(ローマ13:10)「兄弟をつまずかせないために…」(汽灰螢鵐8:13)とつながっていきます。パウロは、キリストにあって自由にされた者が、自分の立場や主張する意見によって隣人が害を受けていないかどうか自覚して行動するとき、人は「ほんとうにいいこと」が何かを考えることができると教えています。

●4月29日 週報巻頭言  教会員  佐藤 満子


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2018-04-20 12:17:05 (93 ヒット)

✣ 神の召しにかえる ✣

    「おのおの主から分け与えられたに応じ、それぞれ神に召されたときの 身分 のままで歩みなさい」(汽灰螢鵐7章17節、下線筆者)。この1節だけをこの訳そのままで読むと、現代の私たちには理解しがたいのではないだろうか。
     若い頃に観たアメリカ映画、タイトルは忘れてしまったが、人種差別をテーマとした映画を観た時の衝撃を思い出す。白人至上主義者による、アフリカンアメリカンいわゆる「黒人」への、差別と暴力の問題が描かれた映画だった。「黒人」への人権侵害は神によって肯定されていることだと、暴力を正当化する人たちが、その根拠として旧約聖書の言葉をあげていた。キリスト者になってまだ年数の浅い私には、ものすごい衝撃だった。聖書には、その全体を通して「神の救い」が語られているのであるが、読み方によっては、聖書の言葉が「救い」にもなれば人を殺す「道具」にもなることを、その時知らされたのだ。その映画から、聖書の言葉を自分の都合の良い部分だけを切り取って絶対化しないことを教えられた。
     今日与えられた聖書箇所から、主が私たちに何を示しているのかを聴き、互いに語り合い聞き合うことは、教会の大切な営みなのだと思う。互いに学び合う分級の場で、十字架の主に召された者として、自分を絶対化することなく自由に語り合うことを今日もたのしみたい。

●4月22日 週報巻頭言  牧師  村上 千代


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2018-04-13 14:42:48 (74 ヒット)

✣ キリストの土台の上に ✣

    今日の聖書箇所の前の段落で、パウロは、コリントの教会に起こった問題、すなわち「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」などと互いのグループの間にねたみや争いが絶えない問題に対し、宣教者とはいったい何者であるのかと問う。
    「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です」。パウロもアポロも、それぞれがそれぞれの役割で神の働きに仕えた者でしかなく、大切なのは神であると、パウロは強調する。
    コリントの教会に見られる分派の争いから起こる混乱は、こんにちの教会にも起こり得ること。宣教活動の主体は何か。いつも自分たちの信仰を吟味する必要がある。
    「私は、私に与えられた神の恵みに従って、建築家たちのうちの知者のようにして、土台を据えた。他の者は、その上に建築するのである。しかし各自は、どのようにその上に建築するか、注意しなさい。」(汽灰螢鵐3:10、岩波訳)
    ここでいう土台とは、十字架につけられたキリストのこと。パウロは、この土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできないと、そしてイエス・キリストの土台の上にどんな家を建てるのかを問いかける。今の時代の文脈において、わたしたちは、キリストの土台の上にどんな教会を形成していくのか、一緒に考えていきたい。

●4月15日 週報巻頭言  牧師  村上 千代


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2018-04-06 13:22:27 (72 ヒット)

✣ 神からの知恵キリスト ✣

    コリントの教会の設立者であるパウロが教会を去った後、教会内にさまざまな問題が起こり、混乱が生じていたことが手紙の内容から知らされる。中でも分派の争いや、パウロが伝えた福音とは逆の福音理解に立つ伝道者からのパウロ批判は、教会内に深刻な分断を生じさせていたものと思われる。
    パウロが、キリストの弱さを誇り、自分の弱さを誇り、十字架の悲惨、弱さ、愚かさこそが福音であると説いて教会を形成していたのに対し、後から入ってきた人たちの主張は、強いキリスト理解によってこの世的な力の強さや優秀さを誇ることであった。このような教会の状況を憂えたパウロは、「兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを思い起こしてみなさい。」(汽灰螢鵐1:26)と、信仰の原点であり、人間存在の根拠であるイエス・キリストを指し示す。誇りとは何か。知恵とは何か。
    「主はこう言われる。知恵ある者は、その知恵を誇るな。力ある者は、その力を誇るな。富ある者は、その富を誇るな。むしろ、誇る者は、この事を誇るがよい。目覚めてわたしを知ることを。わたしこそ主。この地に慈しみと正義と恵みの業を行う事、その事をわたしは喜ぶ、と主は言われる」。(エレミヤ9:22、23)

●4月8日 週報巻頭言  牧師  村上 千代


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