本日のルカによる福音書5章では、シモン・ペトロが主イエスの最初の弟子となるきっかけとなったガリラヤ湖での出来事が書かれています。
ペトロは、その日夜通しの漁の仕事を終え、湖畔で網を洗っていました。そこをイエスが通りかかります。イエスの周りには大勢の群衆が押し寄せていました。そこで、イエスはペトロの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すように頼まれ、舟の上から群衆に向かって神の言葉を語り始められました。話が終わると次にペトロに言われます。「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」それは、ペトロの意表を突く言葉でした。
ペトロはもう何十年もこのガリラヤ湖で漁師として働いてきたプロの漁師です。しかも、前夜の漁はまったく成果がなかったのです。長年の経験から言って、日が昇ったこの時間に網を打っても魚が取れるはずがありません。それでもペトロは「しかし、お言葉ですから網を降ろしてみましょう」と言って網を降ろしました。すると、どうでしょう。網が破れそうになるほど魚が取れたのです。本日は、この箇所から神の言葉に耳を傾けます。
●5月11日 週報巻頭言 牧師 木村一充
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モーセに率いられたイスラエルの民は正月(ニサンの月)14日にエジプトを脱出し、約束の地カナンを目指しました。それから一ヶ月が過ぎ、イスラエルの民は「シンの荒れ野」に入ります。そこは、気候条件の厳しい、砂漠の地でありました。荒れ野に入ると、共同体全体はモーセとアロンにむかって次のような不平を述べます。「われわれは、エジプトで主の手にかかって死んだ方がましだった。…あなたたちは我々をこの荒れ野に連れ出し、この全会衆を餓死させようとしている」エジプトでは、肉もパンも腹いっぱい食べられたのに今はどこにも食べ物がない、と不平を言ったのです。
モーセとアロンは、これを聞いて主の前に祈りました。すると、天からの声が響きます「あなたたちは、夕暮れには肉を食べ、朝にはパンを食べて満腹する」このパンこそ、「マナ」と呼ばれる食ベ物でした。それは、荒れ野の地表を覆って降った霜のような形状で、薄くて壊れやすいウェハースのような物です。イスラエルの民は、それを必要な分だけ集め分かち合って食べました。このことは何を意味するのか、本日はここから御言葉(みことば)に聞きます。
●5月4日 週報巻頭言 牧師 木村一充
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本日のマタイによる福音書28章16節以下では、イエスが復活された後、11人の弟子たちが、かねてより指示されていた山に登った時のことが記されています。彼らは、そこで復活のイエスに出会い、ひれ伏して主を拝みました。しかし、疑う者もいたとあります。この記述は、初代教会の信徒の中にも主の復活をリアルに信じきれなかった人がいたことを示しています。
ここで主イエスが弟子たちにお命じになった言葉が、19節以下に記されています。すなわち、(1)「だから、あなたがたは行ってすべての民をわたしの弟子としなさい」(2)「彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」の二つの言葉です。この二つは「イエスの大宣教命令」と呼ばれています。
キリスト者になるとは、洗礼を受けイエスの弟子となって、主がお語りになった教え(神の言葉)を実践するということです。すなわち、御言葉(みことば)の学びと訓練によって練達した働き人、主のしもべになるということです。本日はこの箇所から神の言葉に耳を傾けます。
●4月27日 週報巻頭言 牧師 木村一充
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イエス・キリストが十字架につけられて息を引き取ったのは金曜日の午後3時頃のことでした。次の日は土曜日でユダヤの安息日になります。十字架上で刑死した犯罪人の遺体は、その日のうちに降ろす決まりになっていました。こうしてイエスの遺体は、アリマタヤのヨセフによって、彼の園の墓に納められました。
週の初めの日、マグダラのマリアがイエスの墓に行くと、墓を塞いでいた石が取り除けられ、わきに転がっているのを見ました。墓の中をのぞくと中は空っぽで、イエスの遺体がなくなっていたのです。そこに白い衣を着た天使が現れてマリアに言います。「なぜ、生きておられる方を死者の中に探すのか。」「あの方はここにはおられない。復活なさったのだ」と。
イエスは死人のままで墓に留まるということをなさいませんでした。むしろ、墓を打ち破り、甦られて弟子たちの前に姿を現わされたのです。それは、かつてのような肉の体ではなく、霊の体による復活です。本日はパウロの手紙から、復活の意味について考えます。
●4月20日 イースター礼拝 週報巻頭言 牧師 木村一充
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主イエスがゲッセマネの祈りを祈り終えられる頃、イエスを裏切ったユダが民の長老や律法学者が遣わした群衆を引き連れてゲッセマネの園にやってきました。彼らは剣や棍棒を手に携えてイエスを捕え、大祭司(カィヤファ)の家に連行してゆきます。マルコ、マタイの福音書によれば、そこには(真夜中であるにもかかわらず)最高法院の議員たち全員が集まり、イエスの裁判(訊問)が始まったことが記されています。
ペトロは、捕縛された主イエスの後に従い、そのまま大祭司の中庭に入ると、そこで焚火にあたっていました。すると、そこにいた数人の人から「この人も、あのイエスと一緒にいた」という告発の言葉を聞きます。3人目の告発者は、ペトロがガリラヤ訛りの言葉だったことから、「この人もあの男の仲間だ」と証言したのです。ペトロはこれを聞いて、「わたしはあの人のことを知らない」と、3度にわたってイエスを否認しました。本日はこの箇所から神の言葉を聞いてゆきます。
●4月13日 受難週主日礼拝 週報巻頭言 牧師 木村一充