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■主日礼拝  
毎週日曜日 午前10時〜

教会学校
毎週日曜日 午前11時15分〜
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・青年成人科

祈祷会
毎週水曜日 午前10時30分〜
                    午後 7時30分〜
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投稿者 : webmaster 投稿日時: 2018-04-13 14:42:48 (55 ヒット)

✣ キリストの土台の上に ✣

    今日の聖書箇所の前の段落で、パウロは、コリントの教会に起こった問題、すなわち「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」などと互いのグループの間にねたみや争いが絶えない問題に対し、宣教者とはいったい何者であるのかと問う。
    「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です」。パウロもアポロも、それぞれがそれぞれの役割で神の働きに仕えた者でしかなく、大切なのは神であると、パウロは強調する。
    コリントの教会に見られる分派の争いから起こる混乱は、こんにちの教会にも起こり得ること。宣教活動の主体は何か。いつも自分たちの信仰を吟味する必要がある。
    「私は、私に与えられた神の恵みに従って、建築家たちのうちの知者のようにして、土台を据えた。他の者は、その上に建築するのである。しかし各自は、どのようにその上に建築するか、注意しなさい。」(汽灰螢鵐3:10、岩波訳)
    ここでいう土台とは、十字架につけられたキリストのこと。パウロは、この土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできないと、そしてイエス・キリストの土台の上にどんな家を建てるのかを問いかける。今の時代の文脈において、わたしたちは、キリストの土台の上にどんな教会を形成していくのか、一緒に考えていきたい。

●4月15日 週報巻頭言  牧師  村上 千代


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2018-04-06 13:22:27 (58 ヒット)

✣ 神からの知恵キリスト ✣

    コリントの教会の設立者であるパウロが教会を去った後、教会内にさまざまな問題が起こり、混乱が生じていたことが手紙の内容から知らされる。中でも分派の争いや、パウロが伝えた福音とは逆の福音理解に立つ伝道者からのパウロ批判は、教会内に深刻な分断を生じさせていたものと思われる。
    パウロが、キリストの弱さを誇り、自分の弱さを誇り、十字架の悲惨、弱さ、愚かさこそが福音であると説いて教会を形成していたのに対し、後から入ってきた人たちの主張は、強いキリスト理解によってこの世的な力の強さや優秀さを誇ることであった。このような教会の状況を憂えたパウロは、「兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを思い起こしてみなさい。」(汽灰螢鵐1:26)と、信仰の原点であり、人間存在の根拠であるイエス・キリストを指し示す。誇りとは何か。知恵とは何か。
    「主はこう言われる。知恵ある者は、その知恵を誇るな。力ある者は、その力を誇るな。富ある者は、その富を誇るな。むしろ、誇る者は、この事を誇るがよい。目覚めてわたしを知ることを。わたしこそ主。この地に慈しみと正義と恵みの業を行う事、その事をわたしは喜ぶ、と主は言われる」。(エレミヤ9:22、23)

●4月8日 週報巻頭言  牧師  村上 千代


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2018-03-30 17:17:08 (83 ヒット)

✣ ガリラヤでこそお目にかかれる ✣

    イースターおめでとうございます!
    イースターの朝、牧師として栗ヶ沢教会の一員となり主の復活を祝う礼拝を共にささげることができますことを感謝します。「死んだイエスが生きている」、キリスト教がキリスト教たり得るのはイエスさまの復活があってのこと。ですが主の復活をすぐに信じられるかというとどうでしょうか。
    十字架に架けられ決定的な死の中にあったイエスを神が復活させて(起こして)くださったという出来事は、わたしたち人間の知識や理解を超えており、驚きや恐れでしかありません。「婦人たちは墓を出て逃げ去った。…そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである」。土壇場でイエスを見捨てて逃げた男の弟子たち同様、十字架と埋葬まで見届けた女性たちも結局は逃げてしまって誰にも何も言えなかったのです。人間の弱さの現実です。
    「…弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。…そこでお目にかかれる』と」。神の働きによって彼女たちの心にこの言葉がよみがえった時、彼女たちは主の愛の深さを知りガリラヤへと向かったのでしょう。
    現代の私たちにとってのガリラヤとはどこでしょうか。キリストの良き知らせを携えて、復活のイエスが先に行っておられるところにここから出発です。

●4月1日 イースター礼拝 週報巻頭言  牧師  村上 千代


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2018-03-22 17:18:47 (93 ヒット)

✣ 反面教師バビロン ✣

    「バビロン捕囚」(BC586〜538)は、今から2,500年余り前のイスラエルの民に降りかかった災難だけにとどまらない。科学文明の恩恵のなかに生きる、私たち現代人こそ、「バビロン捕囚」の真っ只中にあると言える。「バビロン」は、神の言葉に耳を傾け神に向かわせようとする心を閉ざさせ、失望させ、神を見失わせるものの象徴だからである。私たち、特に現代の多くの日本人は、神無しでも結構楽しく、面白く暮らしている。神を必要としない風潮が、大手を振っている状況にある。
    しかし、神はその大きな愛を以って私たちにかかわろうとされる。それは私たちが、滅びの民となってはならない、神の造られた、神にあって大切なかけがえのない存在だから。ゆえに「バビロン捕囚」は、私たちにとっても必要悪、反面教師として位置づけられる。それは、私たちにとって「試練」でもある。神から離れようとする誘惑・罪に対して、自らを省み、神に立ち帰るべき「気づき」をもたらす大切な機会である。その気づきこそ、主イエスの苦しみ・愛の深さを覚えるときだ。神の配剤に感謝、感謝。

●3月25日 受難週 週報巻頭言 齋藤 隆(前・逗子第一教会 牧師)


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2018-03-15 20:52:37 (111 ヒット)

✣ 父よ、彼らをお赦しください ✣

    イエス様は十字架上で七つの短い言葉を発せられました。受難週を前にして、改めてそれらの言葉を聞きたいと思います。最初の一言は「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」というものでした。苦悶のうちに血が流れ、やがて死を迎えようとしているその瀬戸際に、父なる神へ向かってのとりなしの叫びでした。 彼らとは十字架へ追いやった世の敵対勢力だけではなく、神の被造物である私たち全ての人間を指していると思います。父なる神と人の狭間に瀕死の身を置いて、自らの命を犠牲として捧げることにより、造り主との応答に生き得ない人の罪を許してください…との祈りでもありました。
    産業や科学技術の発展が著しい現代において、神とイエスキリストに対する無関心、あるいは神など必要としない驕りが、蔓延しているように感じます。むさぼりや力の支配を強める姿には、「自分が何をしているのか知らない」という十字架上の言葉が、今を生きる全ての人に向かって発せられているように思います。とりなしの犠牲により、私たちは赦される。その恵みの声に耳を傾けたい。そして具体的な生き方、何がみ旨にかなうあり方なのかを模索したいと願います。

●3月18日 週報巻頭言  教会員  渡辺 光雄


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