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■主日礼拝  
毎週日曜日 午前10時〜

教会学校(現在休止中)
毎週日曜日 午前1115分〜
・幼稚科
・小学科(低学年・高学年)
・少年少女科
・青年科
・ペアレント科
・成人科

祈祷会
毎週水曜日 朝1030分〜
                  夜  730分〜
リンク
投稿者 : webmaster 投稿日時: 2010-06-02 22:11:55 (1057 ヒット)

                 【ふくらんでいく天の国】
 マタイ13章には、いくつかの「種の譬え話」が集められています。「譬え話」とは、その全体を通して「一つのこと」に気づかせようとする話法です。主イエスは、生命の真の源としての神さまと、生命を受けて生きる人間との関係性を、これらの譬え話を通して教えてくだっています。それが、種と土の関係であり、酵母と粉の関係です。生命には、神さまという真の核・真の主体があり、人は、それを受けとりながら、自分自身の人生の主体となっていく。この神と人の「原本的な関係」を憶えよと言うのです。
 天の国(神の国)とは、死んだ後の世界ではありません。神の支配のことであり、それはすでに私たちの命の中に吹き込まれていますし、私たちの人生の中で始まり、育っていくものです。と同時に、人間には「自由」が与えられていますから、その神の支配という種を芽吹かせることなく生きることもできます。しかし、もし、神さまと私たちの関係に気づきながら生きるなら、天の国は、豊かにふくらみ、私たちの人生を包み込んでくれるのです。
              ●5月30日 週報巻頭言 吉高 叶


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2010-05-24 18:41:15 (1145 ヒット)

 みんなは「それ」を何といっているか。「彼」のことをどう考えるか。三人称で物事を捉えることを<認識>と呼びます。イエス様のことを、当時の人々は、経験や学問に照らして「彼は○○だ」と評論していました。面白いほどにいろんな認識が並びました。
 けれども、イエス様は弟子たちに向き直って「では、あなた(たち)は、私を何と言うか」と問いかけます。<告白>とは、このように一人称・二人称の関係の中で引き起こされるものです。教会は、神について学ぶ場所ではありません。救いについて考える場所ではありません。交わりについて検討する場所ではありません。それらは、全て三人称の作業です。
 教会は、一人称・二人称の世界を生きています。「イエス様、あなたは、わたしの救い主です。」「わたしたちは、あなたこそ神と信じ、礼拝します。」そして「私たちは、交わります。」
 イエス様を「あなた」として向き合う「わたし」や「わたしたち」が生きているところに、教会の何とも不思議なパワーと一致が生み出されます。
                ●5月23日週報巻頭言 吉高 叶


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2010-05-24 18:40:03 (1090 ヒット)

 本日の聖書テキスト(マタイ8:18-27)には「嵐を静めるイエス」の事件が含まれています。いわゆる奇跡物語です。けれども18節からの文脈全体からは別のテーマが響いてきます。
 イエスに従う道においては、/諭垢らの拒絶を受けること ⊃閥瓩平諭垢箸侶菠未鯒られること M鬚里茲Δ丙て颪冒遇すること、が待ち受けているということです。つまり、主イエスと共にあれば「嵐が起こらない」のではなく「嵐に出会うだろう」と、私たちの期待とは逆のことを、このテキストは言っています。
 ただし、さらに重要なことですが、その嵐の中でこそ、人は真にキリスト(救い主)と出会うのだというのです。
 「人はどこで神を見いだすのか」。それは人間の望む平穏な場面でではなく、順調な流れの中ででもない。まさに危機と揺さぶりの中で、人は、神を、救い主を発見するのです。しかも、「向こう岸へ渡ろう」という主の招きに従う中で改めて己(おのれ)が揺さぶられ、その揺さぶりの中で、ほんとうにキリストと出会うのです。
                       ●5月16日週報巻頭言 吉高 叶


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2010-05-09 22:09:30 (1013 ヒット)

                  【聴いて建てる家】
 多くの御利益信仰は、今必要なもののために祈願をします。しかし、聖書は「信仰とは望んでいる事柄を確信し、まだ見ていない事実を確認すること」だと教えます。創世記に登場するノアは、箱舟をつくりました。長い年月がかかったでしょう。誰が見てもばからしく思えたその箱舟によって、しかし彼らは守られ、洪水の中から救い出されました。そのように、私たちは、今必要なもののためだけに働くのでなく、本来必要なものや、やがて決定的に必要になるもののために働き、生きることが大切なのではないでしょうか。
 人間の存在価値が、カネに換算されモノのように扱われる非人間性の洪水の中で、私たちはそれらに流されたり、損なわれたりしてはならない貴い命なのです。主イエスは、私たちの命を慈しみながら、堅い岩の上に家(人生)を建てよと呼びかけてくださいます。
 キリスト教信仰は、聖書を読みながら、本当に必要なものは何か、いざという時、やがての時に大切なものは何か。命と人生を支える土台は何か。それをたずねて生きる信仰です。
                   ●週報巻頭言5月9日 吉高 叶


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2010-05-09 22:06:45 (1124 ヒット)

             【主の祈り・世の祈り・命の祈り】
 祈りの熱心さとは何でしょう。熱心な祈りとは何でしょう。
 自分の中の願いが膨れて、そこから神の業を起こそうとするのではなく、隠れたことや人間にほんとうに必要なものを既に知っている神様の御心に聴こうとすることが祈りの本質だとするなら、熱心な祈りはいよいよ沈黙に近づいていくのではないでしょうか。
 とはいえ、祈りは瞑想ではありません。現実の生の中から天の父に向かい合って交わされる対話でもありますから、現実の生にうごめく様々な感情や求めが心から口にあふれ出さざるを得ないでしょう。ただ、そこにおいてなお、神の御心に聴く位置に居続けていなければならないのです。
 主イエスが教えてくださった「主の祈り」は、祈りの一例ではありません。祈りの本質と限界を教えてくれています。人は何を祈るべきか。そして人は何者として祈っているべきかをです。
 人は、祈りにおいて、人間の力の限界や生の範囲を学ぶのです。と、同時に、神の祝福と愛を知るのです。そこで、真のいのちの姿が創られます。
                                                  5月2日週報巻頭言より


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