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■主日礼拝  
毎週日曜日 午前10時〜

教会学校
毎週日曜日 午前1115分〜
・幼稚科
・小学科 
・少年少女科  
・青年成人科

祈祷会
毎週水曜日 午前1030分〜
                    午後 730分〜
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投稿者 : webmaster 投稿日時: 2018-10-13 14:20:33 (61 ヒット)

✣ 顧みてくださる神 ✣

    詩編8編の作者は、神の偉大さ、神の業の偉大さをほめ讃える一方で、人間の弱さ小ささ、被造物としての人間の限界をあらわし、この賛美を口ずさむ者に、人間とは何かという聖書の人間観を探らせている。
    今日の聖書の6〜9節は、創世記の創造物語を思い起こさせる。神は、ご自分にかたどり、ご自分に似せて、ご自分に僅かに劣るものとして人を造られた。そして神は人間に栄光と威光を譲渡し、神によって造られたものをすべて治めるように人間に託したのだという。「神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ、それは極めて良かった」(創世記1:31前半)。神が「極めて良かった」と宣言されたものをそのまま人間が守り続けることは容易ではない。しかし、主のみ名は力強く、全地に満ちており、人間は、神に代わって被造物全体を治める責任を引き受ける覚悟をしなければならないのである。
    今日、人間の傲慢によって自然が破壊され、生態系が破壊され、地球温暖化が進み、すべての被造物が呻いている現実を私たちは目の当たりにしている。この現実の中で、私たちは自らの限界を思い知らされ苦悩している。神の憐れみを願い、「立ち帰れ」との神の招きを聴いていきたい。

●10月14日 週報巻頭言  牧師  村上 千代


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2018-10-06 11:21:38 (51 ヒット)

✣ さいわい ✣

    「いかに幸いなことか」で始まる詩編。この書には、古代イスラエルの人々の祈りや賛美の言葉が150収められています。興味深いのは、神を賛美する歌、神を信頼する歌に比べて、深い嘆きの歌がとても多いということです。全体の約三分の一が「嘆きの歌」になっているようです。このことは、詩編には人間のあらゆる現実が表されているということなのでしょう。なぜなら、私たちの人生は、嬉しいことや喜ぶことよりも、辛いことや、苦しいこと、悲しいこと、悩むこと、怒ること、落ち込むことの方が多いと言っても過言ではないからです。それゆえ自分の苦しみ、悲しみ、怒り、嘆きを隠すことなく率直に神に訴える歌がたくさん収められている詩編は、これまで無数の人々の人生を支えてきましたし、今もこれからも、人々は詩編の祈りや賛美の言葉に支えられていくに違いありません。
    詩編は、原典のヘブライ語では「賛美」として伝承されています。賛美という語感にふさわしくない「嘆きの歌」が圧倒的に多い詩編がなぜ賛美と呼ばれるのか、信仰の内実を探り、また「さいわい」を告げる神の祝福の言葉から始まる詩編が、私たちに指し示している神のみ旨のありかを探し求めていきたいと思います。

●10月7日 週報巻頭言  牧師  村上 千代


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2018-09-28 16:49:10 (53 ヒット)

✣ サムソンに思うこと ✣

    私が得意なことってなんだろう?
    私の長所ってどこだろう?
    人に認められたい。人に誉められたい。そんなことに思いを巡らしたり、願ったりすることは私の自由。けれどもその前に祈りたい。十分にいただいている霊の賜物を、神さまの前で正しく使わせてくださいと。得意なことや誉められることがあったら、神さまに感謝できますようにと。私の中のサムソンが暴れ出しませんようにと祈りたい。

●9月30日 週報巻頭言(1)  教会員  入江 恵里子

****************

    イエス様とサムソンの性質は、比べるのがはばかれるくらい異なる。
    ところが、サムソンが受けた、苦難の経緯が、イエス様の受難と類似していることに驚く。どちらも、その人間技とは思えない能力を発揮し、その結果として、支配者に敵意を持たれ、銀貨の対価によって、裏切られ、肉体的な苦しみ、観衆の嘲笑いを受けながら引き立てられ、死に場所として、二つの柱の間に立たされた。
    傍若無人に行動し、ついには神様の誓願を破ってしまったサムソンと同様の肉体的苦痛、そして衆人による侮辱とあざけりを、イエス様は何の罪もなく受けられた。
    それは、私の罪を負ってくださったから。
    サムソンは、自らの罪を、自らが償ったが、私の罪は、イエス様が贖ってくださっている。だから、私には、サムソンを指さして、何か言えるような資格などない。

●9月30日 週報巻頭言(2)  教会員  武若 智之


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2018-09-22 11:39:04 (57 ヒット)

✣ 教会学校月間 ✣

    私たちは、自分の教派を絶対視する必要はありませんが、その特徴を生かして教会を形成することが大切です。
    バプテストの特徴の一つは、幼児(嬰児)洗礼をしないということ。これは、子どもたちが教会形成にとって取るに足りない存在であると考えているからではありません。この主張の背後には二つの積極的な動機があります。第一は、伝道する教会を選び取ったということ。私たちは、イエス・キリストを主と信じ、新生した人によって教会を形成します。第二に、教会学校による教会形成を選び取ったということ。バプテストは、幼児(嬰児)洗礼に替えて、子どもたちがやがて自分自身の決断で信仰を持つことができるように、祈り、期待し、教会で育みます。また今日の社会で、いじめの問題や家庭内での問題など、内外からの抑圧の中に生きる子どもたちを誰がいやすのかを思うとき、教会学校の働きが重要になってくるのです。そしてバプテストは、教会学校を全年齢層に広げています。日本社会で信仰を持ち続け、教会人であり続けることは困難です。信徒の教会であるバプテストは、信徒一人ひとりの信仰的成熟なしに成り立ちにくい教派ですから、全年齢層の教会学校は重要なのです。

●9月23日 週報巻頭言  牧師  村上 千代


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2018-09-15 14:23:48 (71 ヒット)

✣ イエスと共に向こう岸へ ✣

    ガリラヤは中心であるエルサレムから遠く離れた辺境地。イエスさまはこの辺境に固執し、湖の向こう岸を行き来されました。
    悪霊に取りつかれた二人はイエスさまを「神の子」と認めつつも、「構わないでくれ、我々を苦しめるのか」と拒否しています。正体がさらけ出されることへの恐れであると同時に、「助けて」という切実な訴えなのでしょう。悪霊とは、限界を持つ宗教的価値観が絶対化される中で生まれた抑圧のことなのかも知れません。当時は律法遵守が強調されるあまり、命が軽んじられることが多々ありました。宗教的価値観にそぐわない者たちは病者同様に、あらゆる関係を絶たれ、生と死の境目で自らを痛めつけるしかない日々を強いられていました。そのような彼らを、人々は罪深く狂暴なやつと恐れ避けていたのでしょう。しかし、イエスさまは当時の宗教的価値観の下で窒息する彼らの痛みを憐れみ深く受け止め、二人の命を解放し生かしてくださったのです。
    今日においてもイエスさまは「一緒に向こう岸へ」と私たち教会を招いてくださっています。人間や宗教が造り出した、正しい・正しくないという、隔たりを乗り越えて、主と共に向こう岸へ渡りつづけていく群れでありたいと切に祈ります。

●9月16日 週報巻頭言  魯 孝錬 ノ・ヒョリャン (東京北キリスト教会 牧師)


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