メインメニュー
インフォメーション
リンク
投稿者 : webmaster 投稿日時: 2024-05-12 16:59:40 (160 ヒット)

礼拝説教「キリスト教的生き方」  ローマの信徒への手紙(Romans) 12:9-15
・文字原稿(スマホ & PC閲覧用) ← クリックしてご覧ください。
週報巻頭言「キリスト教的生き方」

  本日の聖書であるローマの信徒への手紙は、1章から11章でキリスト教の教義に関する内容が記され、12章から15章はキリスト者の日常生活に対するパウロの勧告が書き記されています。
  12章の1節に「こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます」とありますが、「こういうわけで」とは、神の慈しみと憐れみが「罪人の義認」によって、すべての人に無代価で(=ただで)与えられているという、8章までのパウロの言葉を受けていると考えられます。私たちが、いまだ罪人だったとき、神が無条件でそれを赦し、キリストを私たちのために死なせることで、私たちへの愛を示されたというのです。
  この神の人間に対する愛のわざ(=罪人の赦し)を基盤として、人間同士の関係も規定されていきます。すなわち、隣人愛の実践が、本日の12章9節以下で語られるのです。キリスト者にとっての生活は、その全部が「神への奉仕」であると考えることができます。本日は、このローマ書の御言葉(みことば)に耳を傾けます。

●5月12日  週報巻頭言  牧師 木村 一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2024-05-05 18:18:51 (154 ヒット)

礼拝説教「神の言葉を聞く」  テサロニケの信徒への手紙一(Thess.I) 2:13
・文字原稿(スマホ & PC閲覧用) ← クリックしてご覧ください。
週報巻頭言「神の言葉を聞く」

  テサロニケの教会は、パウロの一行が第2回伝道旅行でギリシャに行ったとき、フィリピの次に訪問した町、テサロニケで立ち上げた教会です。テサロニケは、マケドニア(ギリシャ北部の地名)地方ではアテネの次に大きな町でした。
  しかし、この町でパウロが福音を宣べ伝えた期間は、わずか3週間程度だったことが使徒言行録17章から読み取れます。パウロは、その後べレア、アテネと伝道の旅を続けたのでした。そのように極めて短い期間であったにもかかわらず、テサロニケ教会の信徒たちは、マケドニア地方の教会の中で、信仰者の模範となるような従順さをもって、パウロに倣う者となったことが、本日の手紙の中に記されています。(テサロニケの信徒への手紙一1:7)
  彼らは、パウロが語った宣教の言葉を文字通り「神の言葉」として受け入れたというのです。み言葉が「あなたがたの中に現に働いている」とは、どういうことか。本日は、この事の意味をパウロのテサロニケ教会に宛てた手紙を読むことで、共に考えてみたいと思います。

●5月5日  週報巻頭言  牧師 木村 一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2024-04-28 16:21:56 (135 ヒット)

礼拝説教「祈りの生活」  ルカによる福音書(Luke) 11:1-4
・文字原稿(スマホ & PC閲覧用) ← クリックしてご覧ください。
週報巻頭言「祈りの生活」

  主イエスがあるところで祈っておられた時、弟子の一人が、その祈りが終わるのを待ちかねていたかのようにこう尋ねました。「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください。」
  ここで「祈りを教えてください」と訳される「祈り」には、原文では名詞ではなく動詞の不定形が使われています。単なる言葉、文言ではなく、祈るという行為、行動がどのようなものであるかを教えてほしいと、この弟子は尋ねたのです。
  祈りとは、確かに神への願い求めでありますが、それだけにとどまりません。その祈りは、祈る人を動かし、日々の生活や行動を変革します。祈りは、私たちの信仰生活を根底で支え、生活を導く行動原理となるのです。
  そのような祈りの見本として、イエスは「主の祈り」として知られる祈りを、この弟子に話して聞かせました。「主の祈り」がどのような祈りであるかを確認しつつ、私たちにとって、祈りがいかに大切であるかを、本日の箇所から分かち合いたいと思います。

●4月28日  週報巻頭言  牧師 木村 一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2024-04-21 16:53:14 (115 ヒット)

礼拝説教「モーセの十戒」  出エジプト記(Exodus) 20:1-7
・文字原稿(スマホ & PC閲覧用) ← クリックしてご覧ください。
週報巻頭言「モーセの十戒」

  出エジプトを経験したイスラエルの民はエジプトの国を出てから三ヶ月目に、シナイの荒野に着きました。主なる神はそこでモーセに次のように語りかけられます。「今、もしわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば/ あなたたちはすべての民の間にあって/ わたしの宝となる」(出エジプト記19:5)
  こうして、主なる神がシナイ山においてモーセに授けられた契約の冒頭部分が「モーセの十戒」でありました。これは、主なる神がイスラエルの民を特別に選び、愛されたことのしるしとして授けられた掟(律法)です。この律法を守ることで、主なる神はイスラエルの民をご自分の民として愛し、守ろうとされたのです。
  あらゆる掟(律法)には「命令」としての側面と、それによって与えられる利益すなわち「恵み」としての側面があります。わが国の「道路交通法」もそうですが、それを守ることで、運転者の安全が担保されるのです。モーセの十戒の果たした役割に注意しつつ、本日はその十戒の前半部分より、神の言葉に耳を傾けます。

●4月21日  週報巻頭言  牧師 木村 一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2024-04-14 15:39:55 (160 ヒット)

礼拝説教「主イエスの御手」  マルコによる福音書(Mark) 5:25-34
・文字原稿(スマホ & PC閲覧用) ← クリックしてご覧ください。
週報巻頭言「主イエスの御手」

  本日の聖書箇所であるマルコによる福音書5章25節以下には、12年間もの間、出血で苦しんでいた一人の女性の物語が書かれています。彼女の病気との戦いは、まさに気の毒としか言いようのないものでした。「多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであった」と福音書記者マルコは書くのです。
  この女がイエスのうわさを聞いて、群衆の中にまぎれ込み、後ろからイエスの服に触れました。それは、イエスの衣の裾にさわることで病気を癒していただけると思ったからです。当時のユダヤでは、病人が尊いお方の体の一部にでも触れることができれば、その病は癒されるという言い伝えがあったのです。
  するとどうでしょうか。出血がすぐに止まって病気が癒されたことを体に感じたとあります。イエスは自分の内から力が出て行ったことに気付いて、こう言われました。「わたしの服に触れたのはだれか?」と。本日は、この箇所からみ言葉に耳を傾けます。  

●4月14日  週報巻頭言  牧師 木村 一充


« 1 (2) 3 4 5 ... 151 »

日本バプテスト連盟   栗ヶ沢バプテスト教会

  〒270-0021 千葉県松戸市小金原2-1-12 TEL.047-341-9459


 栗ヶ沢バプテスト教会 Copyright© 2009-