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投稿者 : webmaster 投稿日時: 2025-06-15 15:33:37 (105 ヒット)

礼拝説教「地の塩、世の光」  マタイによる福音書(Matthew)  5:13-16
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週報巻頭言「地の塩、世の光」

  マタイによる福音書5章には、主イエスが弟子たちに語られた「山上の説教」が書き記されています。「幸いなるかな、心の貧しい者!…」で始まる8つの祝福の言葉は、当時のユダヤ社会において、宗教的・経済的に差別され、虐げられていた人々にとってまさしく「慰めの言葉」として受け止められました。
  その「幸いなるかな!…」に続いて、主イエスがお語りになった言葉が、本日の説教題に引用されている言葉です。「あなたがたは地の塩である」また「あなたがたは世の光である」という、大変よく知られた言葉です。二つの文章は、そのまま直喩(キリスト者の社会的な立ち位置、社会でのあり様を、ストレートにたとえた表現)になっています。塩とは、血液をはじめとする人間の体液の成分として欠かせない物質です。また、光はわたしたちが日常生活をするために必要不可欠なものです。光のおかげで、わたしたちは暗い夜道を事故もなく車で走ることができるのです。このように、イエス・キリストを信じる者(キリスト者)も、この世にあって、なくてはならない存在です。本日は、この箇所から響いてくる聖書のメッセージに耳を傾けます。

●6月15日   週報巻頭言  牧師 木村一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2025-06-08 18:33:06 (123 ヒット)

礼拝説教「聖霊が降る日」  使徒言行録(Acts)  2:1-13
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週報巻頭言「聖霊が降る日」

  本日は、ペンテコステの礼拝をささげる日曜日です。ペンテコステとは、ギリシャ語で「50日目」という意味を持つ序数です。イエス・キリストの十字架と復活の出来事から七週間後に、エルサレムに留まっていた弟子たちの上に、天からの聖霊が降ってきたのです。弟子たちの上に激しい風が吹いてきて、天から舌のようなものが分かれ分かれに現れ、使徒たちの上にとどまったと使徒言行録は書き記しています。
  ここでいう「風」とは、「神の息」とも呼ばれ、命を与える力を持つと考えられました。創世記2章によると、主なる神は土のちりでアダムを造られ、その鼻に命の息を吹きかけられたといいます。これによって、人は生きる者になったのです。
  この聖霊降臨の出来事は、イエスが復活された後、40日にわたってご自身を現わされ、40日目に天に上げられた出来事に続いて起こりました。弟子たちは、エルサレムに留まり、二階の部屋で懸命に祈りました。その結果、イエスに代わって弟子たちを導き、助け主として彼らを励ます「弁護者」として、聖霊が天から注がれたというのです。ペンテコステとは、弟子たちがイエスに代わって福音を語り始めた記念の日です。

●6月8日  ペンテコステ礼拝  週報巻頭言  牧師 木村一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2025-06-01 18:42:28 (128 ヒット)

礼拝説教「カインとアベル 」  創世記(Genesis)  4:1-12
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週報巻頭言「カインとアベル」

  エデンの園を追放されたアダムとエバ夫妻には二人の男の子が与えられます。兄の名はカイン、弟はアベルといいました。二人は成長し、兄は土を耕す者、弟は羊を飼う者になります。二人はそれぞれの労働の成果を神にささげました。ところが、主なる神はアベルとその献げ物を顧みられましたが、カインとその献げ物は顧みられなかったというのです。なぜ、カインの献げ物は顧みられなかったのか。これにはいくつかの解釈、説明がありますが、本当の理由は分かりません。(新約聖書のヘブライ人への手紙はアベルの方が、信仰により優れた献げ物をささげたからだと説きます)カインは、自らの献げ物に対する神の対応に激しく憤りました。そうして、弟を野に連れ出し、これを打ち殺してしまったのです。
  悲惨な殺人事件によって、二人の息子を失ってしまったアダムとエバの悲しみはいかほどだったことでしょうか。この事件後聖書が描く救いの歴史は、どう展開するのか。本日は、創世記4章のカインとアベルの物語を手掛かりにして神の言葉に耳を傾けます。

●6月1日   週報巻頭言  牧師 木村一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2025-05-25 18:31:14 (172 ヒット)

礼拝説教「神に従いなさい」  ヤコブの手紙(James)  4:1-7
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週報巻頭言「神に従いなさい」

  本日のヤコブの手紙4章では、「何が原因であなたがたの間に戦いや争いが起こるのですか」と問いかけています。これに対して、「それは、わたしたち自身の心の中に争いを欲する思いがあるからだ」とヤコブは答えるのです。ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)憲章の前文に「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない」という名言がありますが、わたしたちの心の中に生まれる怒りや敵意、憎しみの感情を抑え、赦しと和解を求めて心を開いてゆく努力が求められています。
  もう一つ、ヤコブが強調するのは神の前に謙遜になり、世の友とならずに神に近づきなさい、ということです。神に近づくにはどうすればよいでしょうか。そのためには、み言葉に親しみ、神のみ旨を求めて祈り、隣人を自分自身のように愛して受け入れることが大事です。とりわけ、助けを必要としている人に手を差し伸べ、自分がしてほしいと願うことを、その人のためにしてあげるのです。キリスト者は、神に仕えるように隣人に仕えながら神に従うのです。

●5月25日   週報巻頭言  牧師 木村一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2025-05-18 16:32:56 (144 ヒット)

礼拝説教「ベトザタの池での癒し」  ヨハネによる福音書(John)  5:1-9
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週報巻頭言「ベトザタの池での癒し」

  ヨハネによる福音書5章では、イエスがユダヤ人の祭り(過越しの祭り)に合わせてエルサレムに上られた際、ベトザタの池に立ち寄られたときのことが記されています。この池には五つの回廊があり、そこに病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが大勢横たわっていました。
  何年かに一度起こる出来事への信仰(池に主の使いが降りてきたときに水が動くことがある。その時真っ先に水に飛び込んだ者が癒されるという言い伝えへの信奉)をもって、彼らは池の周りに待機していたのです。
  さて、そこに38年もの間病気で苦しんでいる人がいました。イエスはその人が横たわっているのを見、またすでに長い間病気であることを知って、次の言葉を言い放ちました。「あなたは、よくなりたい(治りたい)のか?」これはたいへん不可解な言葉です。病気がよくなることを願わない病人などどこにもいないからです。しかし、イエスはあえてこの言葉を発せられます。それはいったいどういうことなのか。本日は、このことを手掛かりにして、聖書の御言葉(みことば)に耳を傾けます。

●5月18日   週報巻頭言  牧師 木村一充


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