メインメニュー
インフォメーション
リンク
投稿者 : webmaster 投稿日時: 2017-06-08 18:27:54 (711 ヒット)

✣ キリストの愛を知る ✣

    ある朝読んだ黙想書に“富士山”が取り上げられていました。日本で暮らす外国人が記した信仰の証しです。要約して紹介します。
    『…晴れた日の夕方には、あざやかな夕焼けを背景にした荘厳な“富士山”が、美しい姿を見せます。しかし、雨の日や曇りの日、霧がかかっているときは、日本の最高峰は全く見えません。悪天候のときに、外国から初めて我が家へ来た人に、「霧のむこうに美しい“富士山”があるのですよ」と言っても、なかなか信じてもらえません。
    これは“神の存在”を疑う人の反応に似ていると思いました。試練に直面して心騒ぐとき、そこに“神が共いる”と言われても、疑う人が多いのです。“富士山”はいつもそこにあります。雨雲や霧が視界を邪魔して見えないだけです。同じように、“天地を創造した神”は、どんなときも私たちと共にいてくださいます。そう思ったら、私は両手を広げて叫びたくなりました…』。
    聖書は、【神は万事を益とする】(ロマ8:28)と約束しています。それにもかかわらず、私たちは自分の小さな頭であれこれ考え、悲観的な結論を下します。自分の基準で神を量り、神の働きに枠をはめてしまうのです。発想を転換しましょう。“神の愛”は、人の知識を超えて、広く深いのです。

●6月11日 初夏の音楽礼拝 週報巻頭言  牧師  山田 幸男


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2017-06-01 19:02:28 (785 ヒット)

✣ 新しい生活 〜応答する信仰 ✣

    「ローマの信徒への手紙(ローマ書)」は、1-8章教理(人の罪と福音の力)9-11章イスラエルの選び(選民の堕落と異邦人の救い)12章以降は新しい生活(神への応答)の順で記されています。この手紙を書いたパウロは、これを読む人々(元ユダヤ教徒、異邦人)が、“キリストに結ばれている”という前提で話を進めます。
    12章以降は、“キリストに結ばれている”という要点を外して読むと「壁」に跳ね返されるかもしれません。パウロの論点は、信仰の目標ではなく“信仰の実”が実際に結ばれること。
    12章冒頭で、パウロは“キリストに結ばれた人”に【自分の体を神に献げ】【心を新たにして神の御心をわきまえ】【慎み深く生きる】ように勧めます。神の恵みに“応答する心”を持ちなさい。これが“新しい生活”です。
    人の知恵や力では達成不可能でも、“キリストに結ばれた人”“神の絶対恩寵(光)”に包まれるなら実現されるとパウロは語ります。
    人は、礼拝に身を置き、聖書の言葉に養われ、祈ることによって、自分自身が更新され、キリストの似姿に造り変えられて行きます。
    イースター後、50日目に起きた“聖霊降臨(ペンテコステ)”パウロが語る“新しい生活”の証(実)です。人々は“恩寵(光)”の中で信仰の友らとの一体性、多様性、調和を備えたキリストの体(教会)を造り上げたのです。

●6月4日(ペンテコステ) 週報巻頭言  牧師  山田 幸男


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2017-05-25 19:56:56 (751 ヒット)

✣ 思い上がるな ✣

    使徒パウロは同胞(イスラエルの民)がキリストに結ばれることを切実に願っていました。【わたしには深い悲しみがあり、…心には絶え間ない痛みがあります】(ロマ9:2)と、同胞への思いを綴っています。「神の選民(イスラエルの民)の堕落」と「異邦人の救い」をパウロは雄弁に語ります。「ローマの信徒へ手紙 9〜11章」に記された内容を大胆に要約してみました。

1)パウロの同胞は“神に選ばれた民”
    選民の特権は取り消されない(11:29)。しかし、選民の歴史は、選民の中の“神に忠実な人々”が祝福を受け継いだと伝えている。

2)神は“異邦人”も祝福する
    神は、神に背を向けた選民を反面教師として“救い”を異邦人に向けた。異邦人の中にも神に従う人々がいる。パウロは、そのような異邦人へ福音を宣べ伝える使徒とされた。

3)選民は“砕かれた心”を回復せよ
    律法によって神の御心を知るも、それを実行しない選民がいた。一方、熱心に実行して自己陶酔し、他者を裁く選民もいた(かつてのパウロ)。選民は異邦人から「軽蔑」された。

4)異邦人は“接ぎ木された枝”
    「選民の堕落」「異邦人の救い」は神の計画。選民は再び神に立ち返る(11:32-33)。異邦人は、“接ぎ木された枝(11:24)”に過ぎないのだから、高ぶるな。神を恐れよ。

●5月28日 週報巻頭言  牧師  山田 幸男


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2017-05-18 19:08:05 (740 ヒット)

✣ キリストに結ばれる幸い ✣

    「ローマの信徒への手紙(ローマ書)」は、使徒パウロが伝道旅行中にコリントの町(今のギリシャ南部)で記したと伝えられています。この手紙の冒頭には、世界の中心地ローマへ行き、伝道したいとのパウロの熱い思いが記されています(1章)。自己紹介に続いて、パウロが体験した福音の力、信仰義認やバプテスマの意味、更にキリスト者の新しい生活について、たたみかけるように綴(つづ)られています。
    「ローマ書」は「難しいから嫌い!」という人もいます。その気持ち、私も分かります。今は講壇から説教を語る私も、かつてはそうでした。しかし、伝道者になる召命を受けたら、「嫌いだから読まない」では通りません。
    そんなわけで、“強いられた恩寵”として神学生時代に「ローマ書」を何度も読みました。不思議なもので、繰り返し読むうちに面白さがわかるようになりました。心に響く御言葉と出会いました。その一つが8章28節。【神は、神を愛する者たち、すなわちご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにしてくださることを、わたしたちは知っています】(口語訳)。
    神学校卒業後、赴任した教会の礼拝堂正面に、この聖句が掲げてありました。新米牧師は大いに励まされました。32年後の今も、私を力強く支える御言葉です。

●5月21日 週報巻頭言  牧師  山田 幸男


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2017-05-11 19:17:55 (853 ヒット)

✣ 死んで生きる ✣

    バプテスト派の教会では、バプテスマを「洗礼」ではなく「浸礼」と呼びます。全身を水に沈めます。これは死と復活の象徴です。即ち、古い人は十字架のキリストと共に葬られ、復活のキリストと共に生きる新しい人になるのです。
    バプテストとは「浸礼を受けた人」という意味です。バプテスト教会は新しくされた(死んで生きる)人々によって構成されます。特徴はバプテスマの形式(浸礼)だけでなく、復活のキリストと共に生きる“証し(応答する信仰)”です。“証し”はキリストを伝える最善の方法です。
    そうは言っても、バプテスマを受けたら一足飛びにすべて新しくなる訳ではありません。新しい生活が始まると、脇目も振らずゴールに向かって全力疾走する人もいれば、マラソンのように着実に進む人もいます。ゆっくり歩いて行く人、疲れて休む人、その人を介抱して一緒に行く人もいます。間違えないでください。新しい生活は競争ではありません。
    進み方は違っても、皆、復活のキリストと共に新しい命を生きている。ここに“バプテスト教会の証し(応答する信仰)”があります。
    新しくされた人は、ゴールへ至る速さよりもプロセス(途中経過)を大切にします。キリストの愛の豊かさ、幸いを体験しながら、神が約束したゴールへ必ず到達する。死んで生きるからそう信じることが出来るのです。

●5月14日 週報巻頭言  牧師  山田 幸男


« 1 ... 71 72 73 (74) 75 76 77 ... 150 »

日本バプテスト連盟   栗ヶ沢バプテスト教会

  〒270-0021 千葉県松戸市小金原2-1-12 TEL.047-341-9459


 栗ヶ沢バプテスト教会 Copyright© 2009-