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投稿者 : webmaster 投稿日時: 2023-09-10 17:49:28 (162 ヒット)

礼拝説教「主の鍛錬」" The Lord’s discipline"  ヘブライ人への手紙(Hebrews) 12:4-7
★この説教の文字原稿と動画の掲載は終了しました。
週報巻頭言「主の鍛錬」

  ヘブライ人への手紙はいわゆる二代目のクリスチャンに宛てて書かれた手紙です。この手紙の読者たちはキリスト教信仰の初心者ではなく、成長した信徒となることを期待された人たちでした。
  彼らの指導者たちは、過去に立派な業績を残し、殉教者として召され、信仰の戦いを立派に勝ち抜いた人たちでした。13章7節に「あなたがたに神の言葉を語った指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生涯の終わりをしっかり見て、その信仰を見倣いなさい。」と書かれています。彼らの指導者たちは殉教の死を遂げていたのです。
  現代は、この手紙が書かれたころ(紀元80年代)のような迫害、すなわち権力による信仰者への弾圧などはない時代です。しかし、信仰に生きることは、いつの時代であれ「戦い」であることは否定できません。この世の誘惑、富や誉れなどわたしたちを揺さぶる力が、働いているからです。
  しかし、たとえ苦難に襲われようと、それを主の鍛錬として受け止めることができる者は幸いです。神さまは、信仰に生きる者を決して見捨てたりはしません。どのような苦難であれ、それをくぐり抜けた者には「平安な義の実」が与えられるのです。

●9月10日 週報巻頭言  牧師 木村 一充



Today's Summary ” The Lord’s discipline ” by Rev. Kazu Kimura

   The letter to the Hebrews was written to so-called second-generation Christians. The readers of this letter were not beginners in the Christian faith, but were expected to become mature believers.
   Their leaders were men who had done admirably in the past, had been called to martyrdom, and had won the battle of faith admirably. In 13:7, it is written, "Remember those leaders who spoke the word of God to you. Look carefully at the end of their lives and imitate their faith." Their leaders had died a martyr's death.
   Today, there is no persecution, or oppression of the faithful by the powers of authority, as there was when this letter was written in the 80s A.D. However, we cannot deny that living the faith is always a "battle," no matter the era. The temptations of the world, wealth, honor, and other forces that tempt us are working against us.
   But blessed are those who can accept hardship as the Lord's discipline, even if it strikes them. God never abandons those who live by faith. Those who go through any hardship will be given "the fruit of peaceful righteousness."


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2023-09-03 17:46:16 (174 ヒット)

礼拝説教「キリストを着る」" Putting on Christ"  フィリピの信徒への手紙(Philippians) 3:5〜9
★この説教の文字原稿と動画の掲載は終了しました。
週報巻頭言「キリストを着る」

  フィリピの教会は、パウロが開拓者として教会を立ち上げ、その働きを終えて、次の教会に出かけたあと、偽教師と呼ばれる人々が入ってきました。彼らは割礼を受けた者(ユダヤ人教師)であり、「肉」を頼みとする人々でした(3章3節)。具体的に言えば、ユダヤ人としての血筋、割礼を受けていること、律法を厳守していること等を、異邦人が多数集う教会の中で誇ったものと見られます。
  しかし、そのようなことは「肉の頼み」にしか過ぎないとパウロは言います。それは、イエス・キリストを誇るのではなく、自分を誇ることでしかない、そのような誇りです。パウロ自身、イスラエルの民に属し、生れて8日目に割礼を受け、名門のベニヤミン族の出身であり、律法への熱心さでは、ガマリエルの門下生であり、ファリサイ派の一員でありました。
  ところが、イエス・キリストというお方と出会ったその時から、これらの「この世的な」価値や名声は消え去り、ただキリストに捕らえられていることに喜びを見出す者となったのです。「主イエス・キリストを知ることの素晴らしさ」――それが、パウロを伝道者へと駆り立てる原動力になったのです。

●9月3日   週報巻頭言  牧師 木村 一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2023-08-27 16:00:00 (182 ヒット)

礼拝説教「癒された10人」" 10 Healed Men"  ルカによる福音書(Luke) 17:11〜19
★この説教の文字原稿と動画の掲載は終了しました。
週報巻頭言「癒された10人」

  本日の聖書箇所であるルカによる福音書17章11節以下では、思い皮膚病を患っていた10人の人を、主イエスが癒された物語が記されています。この物語は、4つの福音書の中でルカによる福音書だけに登場する奇跡物語であり、ここでは「癒し」と「救い」の関係、同時に両者の意味の違いが見事に表現されています。
  イエスの一行がエルサレムへ上る途中のことでした。彼らが、サマリヤとガリラヤの間を通過する途中、ある村に入ると、そこで思い皮膚病を患っている10人の人が来てイエスを出迎えたというのです。おそらく、この村はこのような皮膚病患者が隔離されて暮らす居住区で、特別な部落であったと思われます。
  「イエスさま、先生、どうかわたしたちを憐れんでください」この願い求めに主イエスはお応えになりました。そこで、祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われます。それは、律法が定める癒しの手続きでした。彼らがそこへ行く途中、10人全員が癒されたというのです。しかし、そのことに気が付いて、神を賛美しながらイエスのもとに帰って来た人は、ただ一人でした。本日は、この箇所からみ言葉に聞きます。

●8月27日   週報巻頭言  牧師 木村 一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2023-08-17 17:33:36 (147 ヒット)

礼拝説教「希望・それは新たなる力」 イザヤ書 40:28-31
・文字原稿(スマホ & PC閲覧用)★今週分の掲載はありません。
(印刷用)★今週分の掲載はありません。
・動 画  ★今週分の掲載はありません。
週報巻頭言「希望・それは新たなる力」

 ギリシャ神話の一つに「パンドラの箱」として知られる大変印象的な物語があります。プロメテウスが天界から火を盗んだことをゼウス(至上神)は怒ります。そこで、ゼウスは彼の弟エピメテウスに、怒りのしるしとして美しい女性であるパンドラ(すべての贈り物、の意)を送りました。彼女の美貌に魅せられたエピメテウスはパンドラと結婚します。ところが、彼女は「絶対に開けてはいけない」と言われていた箱を持参していました。その箱を彼女は開けてしまうのです。そこには、地上のあらゆる「悪」が詰め込まれていたのでした。それが、世界中に飛散してしまったという話です。
 ところが、その箱の片隅から、なおか細い声が聞こえてきたといいます。それは「おーい、僕もここから出してくれよ」という声でした。その発声者が「希望」だったというのです。
 本日はイザヤ書40章から、第2イザヤの預言の言葉を聞きます。バビロン捕囚の末期に登場したこの無名の預言者は、イスラエルの民に、捕囚からの解放と祖国への帰還を告げ知らせました。苦難の50年間は終わり、新たな歩みへの希望が与えられることを預言したのです。

●8月20日 週報巻頭言  教会員 H.T.


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2023-08-13 16:08:46 (165 ヒット)

礼拝説教「平和を実現する」" Achieve Peace"  マタイによる福音書(Matthew) 5:9
★この説教の文字原稿と動画の掲載は終了しました。
週報巻頭言「平和を実現する」

  本日のマタイによる福音書5章1節以下は、いわゆる「山上の説教」として知られる有名な箇所で、ここでは主イエスの八つの祝福の言葉(「幸いなるかな」)が、弟子たちに向けて語りかけられています。
  本日の9節は、その一つである「平和を実現する者」に対する祝福が語られるところです。1節から8節までは、形容詞で示される人の性質(心の貧しい、柔和な、憐み深いなど)を備える人への幸いが語られていますが、9節で初めて「平和を実現する人」と、動詞で修飾される人が登場します。ここに深い意味があります。すなわち、「平和」は静止しているものではなく動的なものであり、それは争いの後にやってくるのではなく、むしろその前に来るもの、争いに先んずるものなのです。
  教会は「キリストの平和」をこの世界に向かって宣べ伝えます。それは、イエス・キリストの十字架によって起こった神と人との和解の出来事を、この世に伝える働きです。人にはできない「神の子」のみがなし得た和解の業と罪の赦しを、教会は平和の福音として語るのです。

●8月13日 平和祈念礼拝 週報巻頭言  牧師 木村 一充



Today's Summary ” Achieve Peace” by Rev. Kazu Kimura

    Today's Gospel of Matthew 5:1 and following is the famous passage known as the so-called "Sermon on the Mount," where the eight blessed words of the Lord Jesus ("Blessed are you") are addressed to His disciples.
    Today's verse 9 speaks of blessings for peacemakers," one of them. Verses 1 through 8 speak of blessings for those who possess the qualities of those indicated by adjectives (poor in spirit, meek, merciful, etc.), but in verse 9, for the first time, "peacemakers," those who are qualified by verb (to make peace), are introduced. There is a deeper meaning here. That is, "peace" is dynamic, not static, and it does not come after conflict, but rather before it, prior to it.
    The Church proclaims "the peace of Christ" to this world. It is the work of the Church to tell the world about the event of reconciliation between God and man that took place through the cross of Jesus Christ. The work of reconciliation and the forgiveness of sins that only the "Son of God" could do, which no man can do, the Church speaks of as the gospel of peace.


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