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投稿者 : webmaster 投稿日時: 2023-08-06 17:06:02 (171 ヒット)

礼拝説教「悪を洗い去れ」" Wash Away the Evil"  エレミヤ書(Jeremiah) 4:13-19
★この説教の文字原稿と動画の掲載は終了しました。
週報巻頭言「悪を洗い去れ」

  8月になり、この国と世界の平和を覚えて過ごす特別な月を迎えました。本日は、旧約聖書のエレミヤ書からみ言葉に聞きます。
  エレミヤは、紀元前627年、ヨシア王の治世の第13年に予言者としての召命を受けました。エレミヤが預言活動をおこなった時代は、南王国であるユダが、アッシリアを滅ぼしオリエントを支配した新興国バビロンの西南アジアへの侵攻により、まさに風前の灯という時期でした。
  そのような時代に、エレミヤは「諸国民の預言者」として立てられたのです。
 エレミヤは、預言活動を始めるに当たり、二つの幻を見ます。一つ目はあめんどうの花です。それはヘブル語でシャーケードと言いますが、これは「見張る」(ショーケード)という言葉の語呂合わせになっています。つまり、時代の流れの中でユダ王国の行く末を見極め、王国が誤った道を歩むことがないように監視する者となれという神が示したシンボルでした。
 二つ目は「傾きかけた、北からの煮えたぎる鍋」です。それはバビロンの軍事的脅威を表します。このような時代に、エレミヤは、人々に神の義とまことの神への「立ち返り」を説いたのです。

●8月6日  週報巻頭言  牧師 木村 一充



Today's Summary ”Wash Away the Evil” by Rev. Kazu Kimura

    August is here, and we have a special month to remember the peace of this country and the world. Today, we hear from the Word of God from the Old Testament book of Jeremiah.
    Jeremiah received his call to prophecy in 627 B.C., in the 13th year of the reign of King Josiah. Jeremiah was prophesying at a time when the southern kingdom of Judah was in the midst of a desperate struggle against the invading Babylonians, who had destroyed the Assyrians and taken over the Orient.
    In such a time, Jeremiah was established as "a prophet of the nations".
    Jeremiah sees two visions as he begins his prophetic work. The first is the flower of the amenemand. It is the Hebrew word shirkade, which is a corruption of the word "watch" (shawkade). In other words, it was a symbol of God's desire for the kingdom of Judah to discern its future in the course of the times and to be a watchman to prevent it from going down the wrong path.
    The second is the " leaning, simmering pot from the north." It represents the military threat of Babylon. In these times, Jeremiah preached to the people about God's righteousness and "turning" to the true God.


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2023-07-30 16:15:57 (167 ヒット)

礼拝説教「僕としての奉仕」" The service as a servant"  ルカによる福音書(Luke) 17:7-10
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週報巻頭言「僕としての奉仕」

  教会における「奉仕」とは、そもそもどのようなものでしょうか。使徒パウロは、ローマの信徒への手紙12章6節以下で、「わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っていますから、預言の賜物を受けていれば、信仰に応じて預言し、奉仕の賜物を受けていれば、奉仕に専念しなさい」と書いています。すなわち、奉仕とはキリストの体を立て上げるために必要な働きを、そこにつながる各自の賜物を活用して担い合うことであり、その根底にあるのは、神の恵みに対する感謝と喜びです。
 福音書を読むと、主イエスは弟子たちに次のように語られています「あなたがたの中でいちばん偉い人は、いちばん若い者のようになり、上に立つ人は、仕える者のようになりなさい」(ルカ22:26)。すなわち、神の国における奉仕とは、自らの身を低くして、神の働きを担うために人々の僕となるように勧告されるのです。
  横浜JOYバプテスト教会では、教会の役員会の呼称を「しもべ会」と呼ぶように改め、それを今も続けているといいます。教会の人事や予算、また活動方針を決める リーダーは、何よりも「しもべ」でなければならないという考えに基づいているのです。本日は、ルカ福音書17章から、奉仕の意味について御言葉(みことば)に聞きます。

●7月30日  週報巻頭言  牧師 木村 一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2023-07-23 17:48:51 (153 ヒット)

礼拝説教「重荷を負い合う」"Carry Each Other's Burdens"  ガラテヤの信徒への手紙(Galatians) 6:1-5
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週報巻頭言「重荷を負い合う」

  本日のガラテヤ書6章で、パウロは教会の中で発生する「罪」について勧告しています。ここでパウロが用いている「パラプトーマ」という原語は、元々意図的に犯した罪をさすのではなく、凍結した路面やすべりやすい道で起きる「スリップ、踏み外し」を意味する言葉です。そのような「過ち」(こう訳した方がよい)に出くわしたとき、その人を正しい道に立ち返らせることこそ、キリスト者にふさわしい態度だというのです。
  「霊に導かれて生きているあなたがた」という表現があります。ギリシャ語の動詞は、それ一つで主語の人称および単/複数を表しますから、「あなたがた」という言葉は書く必要がない言葉です。それなのに、なぜ「あなたがた」と書いたのか。それは、「霊の人」という呼び名がガラテヤの人々の自称であった可能性が高いためだと佐竹明氏は言います。パウロは、そのこと自体は一応肯的に受け止めながら、しかし「霊の人」であることが真に現実化するのは、過ちに陥った人を戒めるのに際し、柔和な心をもってするところにあると述べて、ガラテヤの人々が「霊の導きに従って生きる」ように求めるのです。
  本日は、この箇所をもとに教会で重荷を担い合うことの大切さをみ言葉から聞きます。

●7月23日  週報巻頭言  牧師 木村 一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2023-07-21 18:49:09 (198 ヒット)

礼拝説教「ハンナの祈り」"Hannah's Prayer"  サムエル記上( Samuel) 1:12-20
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週報巻頭言「ハンナの祈り」

  エフライムの山地に、エルカナという一人の信仰深い男性が住んでいました。彼は毎年、自分の町からシロ(当時、神殿のあった町です)に上っては主を礼拝し、いけにえをささげていました。
  彼には二人の妻がいて、一人はハンナ、もう一人はペニナといいました。そのうち、ペニナのほうには子どもがいましたがハンナには子どもがいませんでした。
  ユダヤの社会では、女性にとって一番の祝福は子どもが与えられることでした。たとえば、アブラハムの妻、サラには長い間子どもが与えられませんでしたが、サラは妥協策として、女奴隷(ハガル)にアブラハムの子どもをもうけさせています。それほどに、後継ぎを産むことは重要な事柄だったのです。
  ハンナは、夫エルカナの優しい言葉によって慰められますが、どうしても子どもが欲しかった彼女は、主なる神に誓願を立てます。それは、「もしも、自分に男の子をお授けくださるなら、わたしはその子を主にささげます」という誓いです。
こうして、与えられた男の子がサムエル(「その名は神」の意)です。このハンナの祈りの物語から響いてくるメッセージに、今朝は耳を傾けます。

●7月16日  週報巻頭言  牧師 木村 一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2023-07-21 18:45:54 (231 ヒット)

礼拝説教「賛美する喜び」"Joy of Praise"  詩編(Psalms) 33:1-3
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週報巻頭言「夏の音楽礼拝」

  本日は、「夏の音楽礼拝」と銘打って礼拝をささげます。演奏者として大泉バプテスト教会から宮崎修行(のぶゆき)さんをお招きしています。宮崎さんは、これまで大泉バプテスト教会で、クリスマスなど特別な集会がある度に、楽器を持参して演奏してくださいました。
  それだけではなく、勤務先であったICU(国際基督教大学)でも、大学のチャペルの時間に、数人の教員たちとチームを組んで、主として木管楽器を担当するかたちで、アンサンブルで演奏し、曲目を披露されました。
  わたし自身、その折には練馬から三鷹まで車を走らせ、ICUのチャペルでの礼拝に出席し、前の方の席で宮崎さんの演奏に耳を傾けたことがあります。特に心に残った曲としては、フォーレの「レクイエム」があげられます。静かな、心の奥に染み入るようなこの曲を聞くと、別離の悲しみが癒されるような気がしたものです。
  本日の夏の音楽礼拝は、当教会として2019年以来、4年ぶりの開催となります。久しぶりの音楽礼拝を通して、礼拝における音楽の果たす役割の大切さ、その素晴らしさを体で実感しましょう。また、礼拝を通して、主を賛美する喜びを味わいましょう。

●7月9日 夏の音楽礼拝  週報巻頭言  牧師 木村 一充



Today's Summary "Summer Music Service" by Rev. Kazu Kimura

   Today, we will offer a service titled "Summer Music Service." We have invited Mr. Nobuyuki Miyazaki from Oizumi Baptist Church as a performer. Mr. Miyazaki has brought his instrument to play at every special meeting at Oizumi Baptist Church, such as Christmas.
   Not only that, but at ICU (International Christian University), where he worked, he also teamed up with several faculty members to perform during the university chapel, mainly on woodwind instruments, as an ensemble.
   I myself drove from Nerima to Mitaka to attend the service in the ICU chapel and listened to Mr. Miyazaki's performance from the front pew. One piece that particularly stuck with me was Faure's "Requiem. I felt as if the sorrow of separation was healed when I heard this quiet, soothing piece.
   Today's summer music service will be our church's first in four years, since 2019. Through our first music worship service in a long time, let us experience with our bodies the importance of the role of music in worship and how wonderful it is. Let us also experience the joy of praising the Lord through worship.


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