★この説教の文字原稿と動画の掲載は終了しました。
本日の手紙の宛先であるコロサイという町は、アジア州のフルギアという地方にある町で、エフェソから東方に通じる幹線沿いにある町でした。パウロの時代には比較 的小さな町で、近くのヒエラポリスやラオディキアのほうが大きく、活気があったとされています。
この教会を建てたのはパウロではなく、弟子の「愛するエパフロス」と呼ばれている人物だとされます。ヘレニズム文化の影響下にあったこの町の教会の信徒たちに、正しい教えと偽りの教えを見分ける力をつけさせることを目的として、このコロサイの信徒への手紙が書かれました。
「あなたがたは、むなしいだましごとの哲学で、人のとりこにされないように気をつけなさい」(2:8) パウロはこう述べて、ヘレニズム混交主義のもとで、信仰と哲学、神話などが入り混じったこの時代の宗教社会のなかで、正しいキリスト教信仰を伝えようとしました。グノーシスなどの思想が広く浸透、受容されていたこの時代にあって、パウロは「哲学」ではなく「福音」を語り、教会を異端の危険から守ろう としたのです。
●3月10日 週報巻頭言 牧師 木村 一充
★この説教の文字原稿と動画の掲載は終了しました。
本日の礼拝後に、定期総会がおこなわれますが、そこで提起される2024年度の教会の活動基本方針を「賛美と喜びに満ちた教会」としました。教会は、そこに集う人々にとって「魂が休む場所」にならねばなりません。そのためにも、主の日ごとにささげられる「礼拝」に、つねに新たな命が吹き込まれなければならないと、強く感じさせられております。
本日の詩編118編は、宗教改革者マルティン・ルターが特に愛した詩編だと言われます。もともと、この詩編は「賛美の歌」と呼ばれ、113編から118編までの一連の詩編が、礼拝のなかで「賛美の歌」として歌われました。ちなみに、主イエスが十字架におかかりになる前夜、弟子たちとともに、最後の晩餐の席で歌った詩編が、この「賛美の歌」であったと言われています(マタイ26:30)。主イエスご自身が、受難週の木曜日に、弟子たちと最後に歌った賛美が、本日の詩編118編であっ たというのです。本日は、この詩編の後半部分をテキストにして、神の言葉に耳を傾けます。
●3月3日 週報巻頭言 牧師 木村 一充
★この説教の文字原稿と動画の掲載は終了しました。
ユダヤの最大の祭りである「過越しの祭り」を祝うために、イエスがエルサレムに上った際に、礼拝にやって来た人々の中に、何人かのギリシャ人がいました。彼らは、ベトサイダ出身であったフィリポのもとに来て、「イエスにお目にかかりたいのです」と申し出ます。彼らは、ギリシャの神々にひざまずくことなく、イスラエルの唯一の神を礼拝しようとエルサレムにやっ てきたのです。
これを聞いて、イエスは言われます「人の子が栄光を受けるときが来た」と。直前の11章で、ラザロを復活させるという奇跡をおこなったために、ユダヤ人は民衆がイエスを信じるようになることを怖れま した。そこで、彼らはイエスを殺そうとたくらんだと書かれています。
このような動きを見て、イエスは自らの十字架の死を予見します。それは、「一粒の麦が地に落ちて死ぬ」と言われる出来事だったのです。それは、どういうことなのか。小説の題名にも引用されるこの「一粒の麦」をめぐって、この朝は御言葉(みことば)から聞いてゆきます。
●2月25日 週報巻頭言 牧師 木村 一充
★この説教の文字原稿と動画の掲載は終了しました。
1957年10月、柏市光ヶ丘団地の一角で始められた子どもの集会が、教派を超えて地域のクリスチャンたちに広がり、団地の集会所で毎週行われる日曜学校へと成長しました。さらに、同団地の蓑原善和夫妻宅にて始められていた家庭集会が、1967年1月に日本バプテスト連盟市川教会「光ヶ丘伝道所」として承認され、同年12月より富平達郎氏の庭のプレハブで礼拝がささげられるようになりました。(『伝道開始40年の歩み』より)
1969年2月9日、初代牧師、鍛治田武牧師の牧師就任式と派遣式が市川教会で行われます。鍛治田牧師が、光ヶ丘団地で第1回の礼拝をささげたのは、翌主日2月16日のことでありました。この2月16日を伝道開始記念日として覚える礼拝が、本日の「伝道開始記念礼拝」です。
使徒パウロは、コリントの町でテントづくりの仕事をしながら生活の糧を得て、福音を宣べ伝えました。福音を一度も聞いたことのないギリシャ人に、十字架の言葉を語ったのです。そのパウロの宣教にかける思いを、コリントの信徒への手紙から共に聞きます。
●2月18日 伝道開始記念礼拝 週報巻頭言 牧師 木村 一充
★この説教の文字原稿と動画の掲載は終了しました。
今週の水曜日、2月14日から教会の暦でレント(受難節)に入ります。レントは、イエス・キリストの復活までの40日(その間の6回の日曜日は除く)の間、十字架への道を歩まれたイエス・キリストの苦難を覚えて、慎み深く過ごす期間として主に西方教会において、覚えられてきました。このレントの期間を大切に過ごすことによって、復活祭の喜びがいっそう深く大きくなったのです。
これにともなって、本日はルカによる福音書20章より、「ぶどう園の農夫のたとえ」という見出しが付いている箇所から、御言葉(みことば)に聞きます。イエスは、この譬えを受難週の最中(さなか)に、エルサレムで語りました。ここでは、「農夫」、「主人」、「跡取り息子」といった人物が登場します。これらの人は、だれを指しているのか。また、イエスはこの譬えによって、何を訴えようとしているのか。そのことを共に分かち合います。エルサレムの人々は「そんなことがあってはなりません」と言いました。しかし、実際はそうなりませんでした。そのことを覚えつつ、レントのメッセージを分かち合います。
●2月11日 週報巻頭言 牧師 木村 一充