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先週の礼拝説教で、棕櫚の日曜日と呼ばれる日にイエスの一行がエルサレムに入ったことを話しました。この日から「イエスの最後の1週間」が始まります。わたしたちは、今レントのただ中を過ごしていますが、この期間はわたしたちの救いのために十字架に架けられたお方を思いつつ、その苦しみと受難をおぼえて慎み深く過ごす期間となります。
本日のマルコ福音書14章では、イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家にいた時に、一人の女が大変高価な香油の入った石膏の壺を壊し、そのすべてをイエスの頭に注ぎかけたと いう出来事が記されています。それは、ほかで売れば300デナリ以上もするという純粋な香油の入った壺でした。弟子たちはこれを見て「なぜ、このような無駄遣いをしたのか」と言って憤慨しました。しかし、イエスは「するままにさせておきなさい」と言われました。それは、なぜでしょうか。本日は、この聖書箇所から響いてくるメッセージに耳を傾けます。
●3月23日 週報巻頭言 牧師 木村一充
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先々週の水曜日(3月5日)より、教会の暦でレント(受難節)に入っています。レントとは、イースター前の6回の日曜日を除く40日間の期間のことで、この間はイエス・キリストのご受難を覚え、慎み深く過ごすことになります。 日曜日を除くのは、それがイエスの復活を祝う日だからです。
本日のマルコ福音書11章によると、 イエスは子ロバに乗って、エルサレムに入城されました。勇ましい軍馬ではなく、ロバの子に乗って神の都に入られるイエスの姿は 預言者ゼカリヤの預言(ゼカリヤ書9章9節)の成就であると考えられています。それはこの直後の「わたしはエフライムから戦車を エルサレムから軍馬を絶つ。」(ゼカリヤ9:10)という御言葉(みことば)が示すとおりです。
本日は、この箇所からイスラエルの王としてこの世においでになったナザレのイエスが、どのような意味でまことのメシアであると言えるのかを、共に御言葉(みことば)から聞いてまいりたいと思います。
●3月16日 週報巻頭言 牧師 木村一充
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本日の聖書箇所は、このあとの教会学校の分級で学ぶ箇所と同じマタイによる福音書20章1節以下です。この話はイエスのたとえ話の中でもっとも分かりやすい物語の一つであると考えられています。ここにはパレスチナで毎年ぶどうの収穫の季節にみられた光景が描かれています。ぶどうの収穫は8月下旬から9月にかけておこなわれました。もしも収穫が遅れると、やがて訪れる雨期の雨のおかげで、ぶどうが腐ってしまうのです。そこで、主人は労働者を一人でも多く雇い、できる限りの短い日数でぶどうの収穫を終えようとしたのです。
しかし、理解に苦しむのは朝一番から一日中働いた最初の労働者と、夕方5時から雇われて1時間しか働かなかった労働者に対して、全く同額の1デナリオンの賃金が主人から支払われたという事実です。このことは、経済学の観点からみれば、きわめて理不尽な話です。しかし、このたとえ話は信仰の物語として読み、解釈せねばなりません。そこに注意しながら、本日の箇所をともに読み進めてまいります。
●3月9日 週報巻頭言 牧師 木村一充
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本日の礼拝後に、2024年度3月定期総会が開催されますが、そこで提案される2025年度の教会活動基本方針(案)の主題を「神の恵みの善き管理者」としました。これを共通の目標として、わたしたちの教会に与えられているさまざまな恵み、具体的に言えば、礼拝堂をはじめとする建物や施設、および各種のタラントをもった教会員の能力・ポテンシャル(潜在能力)を引き出しながら、外に向かっては福音宣教と対外協力をおこない、一方教会の内においては、御言葉(みことば)の学びと祈り、信徒相互の交わりを深めてゆきたいと考えています。
本日の聖書箇所は、この活動方針案の根拠となる御言葉(みことば)が記されているところです。ペトロはイエス・キリストの日に備えて思慮深くふるまい、何よりもまず心を込めて愛し合いなさい、と勧告しています。さらに、「あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい」と勧めるのです。本日は、この箇所から御言葉(みことば)を分かち合います。
●3月2日 週報巻頭言 牧師 木村一充
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コリントは、使徒パウロが第2回伝道旅行で訪れたギリシャの諸都市の中で、ギリシャ最大の人口を擁する港町でした。この町は、ギリシャ本土とペロポネソス半島を結びつける陸峡の「付け根」のところに位置しており、東はエーゲ海、西はアドリア海につながっています。貿易船は、このコリント湾を利用することによって航海が大幅に時間短縮され、かつ、より安全な船旅をすることができました。港湾使用料がコリントに納められたこともあり、パウロの時代のコリントは豊かな商業都市として栄えていました。
しかし、コリントの町での宣教は決してたやすいものではありませんでした。 ギリシャの偶像礼拝にどっぷりと浸かった精神風土の中で、十字架のキリストを宣べ伝えることは困難なことでした。また、パウロのことを「使徒」として認めなかった信徒たちもいました。
そのために、パウロは自らの伝道者としての暮らしぶりが、信徒たちのつまずきとならないように配慮しています。そのような中で、使徒としての誇りを語った箇所が本日の9章です。今日は、この箇所から、御言葉(みことば)を分かち合います。
●2月23日 週報巻頭言 牧師 木村一充