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■主日礼拝  
毎週日曜日 午前10時〜

教会学校
毎週日曜日 午前11時15分〜
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毎週水曜日 午前10時30分〜
                    午後 7時30分〜
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投稿者 : webmaster 投稿日時: 2018-03-30 17:17:08 (91 ヒット)

✣ ガリラヤでこそお目にかかれる ✣

    イースターおめでとうございます!
    イースターの朝、牧師として栗ヶ沢教会の一員となり主の復活を祝う礼拝を共にささげることができますことを感謝します。「死んだイエスが生きている」、キリスト教がキリスト教たり得るのはイエスさまの復活があってのこと。ですが主の復活をすぐに信じられるかというとどうでしょうか。
    十字架に架けられ決定的な死の中にあったイエスを神が復活させて(起こして)くださったという出来事は、わたしたち人間の知識や理解を超えており、驚きや恐れでしかありません。「婦人たちは墓を出て逃げ去った。…そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである」。土壇場でイエスを見捨てて逃げた男の弟子たち同様、十字架と埋葬まで見届けた女性たちも結局は逃げてしまって誰にも何も言えなかったのです。人間の弱さの現実です。
    「…弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。…そこでお目にかかれる』と」。神の働きによって彼女たちの心にこの言葉がよみがえった時、彼女たちは主の愛の深さを知りガリラヤへと向かったのでしょう。
    現代の私たちにとってのガリラヤとはどこでしょうか。キリストの良き知らせを携えて、復活のイエスが先に行っておられるところにここから出発です。

●4月1日 イースター礼拝 週報巻頭言  牧師  村上 千代


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2018-03-22 17:18:47 (104 ヒット)

✣ 反面教師バビロン ✣

    「バビロン捕囚」(BC586〜538)は、今から2,500年余り前のイスラエルの民に降りかかった災難だけにとどまらない。科学文明の恩恵のなかに生きる、私たち現代人こそ、「バビロン捕囚」の真っ只中にあると言える。「バビロン」は、神の言葉に耳を傾け神に向かわせようとする心を閉ざさせ、失望させ、神を見失わせるものの象徴だからである。私たち、特に現代の多くの日本人は、神無しでも結構楽しく、面白く暮らしている。神を必要としない風潮が、大手を振っている状況にある。
    しかし、神はその大きな愛を以って私たちにかかわろうとされる。それは私たちが、滅びの民となってはならない、神の造られた、神にあって大切なかけがえのない存在だから。ゆえに「バビロン捕囚」は、私たちにとっても必要悪、反面教師として位置づけられる。それは、私たちにとって「試練」でもある。神から離れようとする誘惑・罪に対して、自らを省み、神に立ち帰るべき「気づき」をもたらす大切な機会である。その気づきこそ、主イエスの苦しみ・愛の深さを覚えるときだ。神の配剤に感謝、感謝。

●3月25日 受難週 週報巻頭言 齋藤 隆(前・逗子第一教会 牧師)


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2018-03-15 20:52:37 (120 ヒット)

✣ 父よ、彼らをお赦しください ✣

    イエス様は十字架上で七つの短い言葉を発せられました。受難週を前にして、改めてそれらの言葉を聞きたいと思います。最初の一言は「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」というものでした。苦悶のうちに血が流れ、やがて死を迎えようとしているその瀬戸際に、父なる神へ向かってのとりなしの叫びでした。 彼らとは十字架へ追いやった世の敵対勢力だけではなく、神の被造物である私たち全ての人間を指していると思います。父なる神と人の狭間に瀕死の身を置いて、自らの命を犠牲として捧げることにより、造り主との応答に生き得ない人の罪を許してください…との祈りでもありました。
    産業や科学技術の発展が著しい現代において、神とイエスキリストに対する無関心、あるいは神など必要としない驕りが、蔓延しているように感じます。むさぼりや力の支配を強める姿には、「自分が何をしているのか知らない」という十字架上の言葉が、今を生きる全ての人に向かって発せられているように思います。とりなしの犠牲により、私たちは赦される。その恵みの声に耳を傾けたい。そして具体的な生き方、何がみ旨にかなうあり方なのかを模索したいと願います。

●3月18日 週報巻頭言  教会員  渡辺 光雄


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2018-03-09 19:53:44 (113 ヒット)

✣ その名はレギオン ✣

    多くの悪霊に取り付かれた男「レギオン」が、「墓を住みかとして暮らしていた」! この男が主イエスから悪霊を追い出してもらい、正気になって社会復帰したという、…何とも奇妙な記事。
    が、墓を住みかとしたこの人こそ、現代の私たちの生活の姿であると、聖書は語っている。当然私たちは反論する。私はマンションに住んでいる、あるいは私は一戸建ての家に住んでいる、墓などには住んではいない、と。ところが神の眼からは、様々な不安・孤独の中に生きる私たちの姿こそ、あのレギオンなる男の如しと映る。私たちを取り巻く環境…核爆弾の恐怖、汚染された大気・土地の食糧(原発事故の放射能汚染・PM2.5濃度・農薬の付着した野菜・抗生物質づけの若鶏や養殖魚など)。さらに陰湿な「いじめ」、「スマホ依存症」の孤独感など、…これこそ、笑いもない・希望もない墓場での暮らしということになる。
    この状況・風潮は私たちの力ではとても抑えようがない。急がば廻れ。私たち一人一人が主イエスの招きにしっかりと向き合うことこそ、基本であり、最も大切なこと。主イエスは今日も招く、「他ならぬわたしこそ、道であり、真理であり、命である」(ヨハネ14:6)。この招きにしっかり従いましょう。

●3月11日 週報巻頭言 齋藤 隆(前・逗子第一教会 牧師)


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2018-03-02 17:57:29 (121 ヒット)

✣ イエスのまなざし ✣

    十字架にかけられる前にイエスさまが滞在されたエルサレムでは、入れ代わり立ち代わり律法学者らと問答が交わされ、本日の聖書箇所(マルコ12章35〜44節)で、イエスさまは律法学者らの教えやその振る舞いを否定したうえで、「このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる」と手厳しく批判します。また、イエス一行のエルサレム入城後の律法学者と、その背後にいるユダヤ教の各宗派からは、イエスさまに対する「恐れ」がありありとうかがわれます。
    対してイエスさまは、神殿の中で献金をしていく群衆の中から、たった2枚だけの銅貨を入れた1人の貧しいやもめの女性を見出し、「この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた」とおっしゃいました。
    この「権威を持つ」とされていた律法学者らからイエスさまに向けられた「恐れ」のまなざしと、社会的地位が低く貧しいやもめの女性に対してイエスさまが向けられた情け深いまなざしの違いは、いったいどこからくるのでしょうか。
    本聖書箇所の前後の文脈と、時代背景を総合的に検証し、世俗的な観点も踏まえながら、皆様とともに考え、そこから発せられるメッセージを読み取りたいと思います。

●3月4日 週報巻頭言  教会員  武若 裕太郎


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