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投稿者 : webmaster 投稿日時: 2025-07-13 16:29:42 (29 ヒット)

礼拝説教「主を賛美せよ」  詩編(Psalms)  117:1-2
週報巻頭言「2025年音楽礼拝」

  本日は、「2025年音楽礼拝」をささげる日曜日です。演奏者として、大井バプテスト教会元音楽主事、ハンドベル演奏者でもある菊地るみ子さんをお招きしています。菊地さんは、西川口キリスト教会でバプテスマを受け、都内の音楽大学を卒業されたのち、米国の教会で教会音楽の学びを重ねてこられたお方です。
  帰国後は、西川口キリスト教会、大井バプテスト教会で音楽主事として働かれる一方、東京バプテスト神学校の教会音楽科講師としても力を発揮されました。連盟の新生讃美歌にも菊地さんの訳詞や作曲された讃美歌(320,370,569番他)が収められていますが、とくにハンドベル演奏者として、これまで多くの教会、学校等で演奏されてきました。本日、わたしたちの教会に来てくださったことを心から嬉しく思います。ちなみに、菊地さんが当教会の主日礼拝に出席するのは今回が初めてということです。
  講師をお招きしての音楽礼拝は、当教会としては2年ぶりになります。礼拝における音楽の果たす役割の大切さ、その素晴らしさを、体で実感することができることでしょう。音楽を通して主のみ名をほめたたえ、神さまを礼拝することのできる幸いを喜びましょう。

●7月13日  2025年音楽礼拝  週報巻頭言  牧師 木村一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2025-07-06 16:48:58 (23 ヒット)

礼拝説教「人を裁くな」  マタイによる福音書(Matthew)  7:1-6
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週報巻頭言「人を裁くな」

  本日の聖書箇所であるマタイ福音書7章は、主イエスの山上の説教の途中のところであります。ここで、イエスは「人を裁くな」という教えを説いておられます。裁くとは、人を評価し、白黒の判定をするということです。しかし、わたしたちはどれほどしばしば人を見誤ることでしょうか。この人は信用できると思っていたのに裏切られた。逆に、この人は頼りにならないと思っていた人が、自分にはない素晴らしい能力や品性を備えていることが分かり驚かされるのです。
  ユダヤ人は、この世と来るべき世にあって、人に名誉を与える行為が六つあると考えました。それらは、順に勉学、病人の訪問、来客の接待、祈祷への精進、子供の教育、そして他人の最善を願うことの六つでした。その意味で、愛情をもって人を判断することは、聖なる義務であると考えていたのです。
  わたしたちは、相手のことを100%知っているのではありません。それなのに、相手のことを正しく評価することなど、なかなかできるものではありません。人を裁くなと言われることの意味を、この朝はともに分かち合いたいと思います。

●7月6日   週報巻頭言  牧師 木村一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2025-06-29 16:13:45 (58 ヒット)

礼拝説教「律法の役割」  ガラテヤの信徒への手紙(Galatians)  3:21-25
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週報巻頭言「律法の役割」

  ガラテヤの信徒への手紙は「信仰による義」を説き明かす書簡として、ローマの信徒への手紙と並んで知られる書簡です。本日の箇所で、使徒パウロは「信仰が現れる前には、わたしたちは律法の下(もと)で監視され、この信仰が啓示されるようになるまで閉じ込められていました」と述べています。(3:23)
  ここでいう「律法の下で監視される」とはどういうことなのか。また、これに続く「閉じ込められている」とはどういう状態を指すのかを考える必要があります。その前に、「律法」がユダヤ教においてどのようなものだったかを理解しておく必要があります。ひと言で言えば、それは神の民と呼ばれるにふさわしい生き方を規定する「生活の規範、信仰生活を送るためのルール」でした。しかし、イエスの時代には、それが「律法主義」の名のもとに清いものと清くないもの、選民と罪人を峻別するための道具になっていました。律法の行いによって、信仰が測られ、評価され、目に見える「しるし」が幅をきかせるようになっていたのです。それが、キリストの到来によってどう変わったのか、本日はそのことを共に考えます。

●6月29日   週報巻頭言  牧師 木村一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2025-06-22 15:13:17 (71 ヒット)

礼拝説教「盲人の癒し」  ヨハネによる福音書(John)  9:1-12
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週報巻頭言「盲人の癒し」

  本日のヨハネによる福音書9章では、主イエスがエルサレム神殿の近くで生まれつき目の見えない人を見かけられた時、弟子たちと交わした言葉が記されています。弟子たちは「先生、この人が生まれつき目が見えないのはだれが罪を犯したからですか。本人ですか、それとも両親ですか」と尋ねました。これに答えてイエスは言われます。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」
  このイエスの言葉は、新約聖書の中でも最も慰めと励ましに満ちた言葉です。この言葉によって立ち上がった人が教会の歴史の中でどれほど多くいたことであろうかと思わされます。洋の東西を問わず、何らかのハンディを抱えて生まれてきた人に対して、それは親の罪が子に報いたのだと、因果応報の思想でこれを説明しようとする人がいます。しかし、イエスはこれを否定し、本人や両親が過去に犯した罪のためではなく、ただ神の御業がその人の上に現れるためであると説くのです。過去ではなく未来に目を向け神の救いの業を信じるように、勧告するのです。本日は、この箇所から神の言葉に耳を傾けます。

●6月22日  神学校週間礼拝 週報巻頭言  牧師 木村一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2025-06-15 15:33:37 (92 ヒット)

礼拝説教「地の塩、世の光」  マタイによる福音書(Matthew)  5:13-16
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週報巻頭言「地の塩、世の光」

  マタイによる福音書5章には、主イエスが弟子たちに語られた「山上の説教」が書き記されています。「幸いなるかな、心の貧しい者!…」で始まる8つの祝福の言葉は、当時のユダヤ社会において、宗教的・経済的に差別され、虐げられていた人々にとってまさしく「慰めの言葉」として受け止められました。
  その「幸いなるかな!…」に続いて、主イエスがお語りになった言葉が、本日の説教題に引用されている言葉です。「あなたがたは地の塩である」また「あなたがたは世の光である」という、大変よく知られた言葉です。二つの文章は、そのまま直喩(キリスト者の社会的な立ち位置、社会でのあり様を、ストレートにたとえた表現)になっています。塩とは、血液をはじめとする人間の体液の成分として欠かせない物質です。また、光はわたしたちが日常生活をするために必要不可欠なものです。光のおかげで、わたしたちは暗い夜道を事故もなく車で走ることができるのです。このように、イエス・キリストを信じる者(キリスト者)も、この世にあって、なくてはならない存在です。本日は、この箇所から響いてくる聖書のメッセージに耳を傾けます。

●6月15日   週報巻頭言  牧師 木村一充


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