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コリント教会は、パウロが第2回伝道旅行の際に、アテネの次に訪問した港町であるコリントで立ち上げた教会です。当時のコリントは人口60万人を擁するギリシャ最大の都市であり、町を見下ろす背後の丘には、ギリシャの神々を祀る神殿が建てられ、そこには数千人の神殿娼婦がいたと伝えられます。地中海貿易による経済的な繁栄を背景に、享楽と退廃が進んでいた町、それがコリントでありました。
このように、ユダヤ的な倫理や宗教的素地の乏しかったこの町で、キリスト教信仰を伝えることは容易ではありませんでした。実際、教会にはいくつもの問題が発生し、それに対する勧告をパウロは手紙で書き送っています。
本日の箇所で、パウロはコリント教会の人々に「キリストにある慰め」について語ります。自らが涙ながらに書いた手紙を読んで、コリント教会の人々が悔い改めてくれたことを感謝し(7章9節)、それによって神からの 慰めを頂くことができたというのです。教会の現場では、時に混乱が生じます。しかし、同じ主を信じる群れとして真摯に向き合い、本心で語り合うことで、和解と信頼が与られるのです。
●2月5日 週報巻頭言 牧師 木村 一充
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テモテへの手紙(一、二)は、獄に入れられ、かつてのように自由に福音を宣教できなくなった晩年の使徒パウロが、ローマからエフェソの地で伝道と牧会の働きをしていた弟子テモテに書き送った手紙(牧会書簡)であると言われています。
テモテは、いわゆる第2回伝道旅行で、パウロがヨハネ(マルコ)に代わって帯同した愛弟子であり、この以降の伝道旅行において大きな働きをした伝道者でした。パウロの名代となってテサロニケやコリントの教会を訪問し、それぞれの教会が抱えていた問題を聞き取り、同時にパウロが伝えた福音、使徒からのメッセージを伝えて、教会員を牧会する大きな働きをしたことが、その手紙から読み取れます。
そのテモテは、祖母ロイス、母エウニケから信仰を受け継いだ3代目クリスチャンでした。イエスの死がAD33年ごろ、パウロの第2回伝道旅行がAD49年ごろと見られることから、パウロに従って出発した時、彼は未だ20歳に達していなかったと思われます。しかし、テモテは伝道者として良い働きをしました。信仰を継承するということが、いかに大きな力を持つことかを知らされるのです。
●1月29日 週報巻頭言 牧師 木村 一充
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創世記1章では、初めに神が天と地 を創造され、その6日目にご自分にかたどって人を創造されたことが書かれています。続く2章で、神は最初の人アダム(土)を深く眠らせ、そのあばら骨の一部から女を創造されました。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」と言われて、エバ(命)を創造されたのです。
本日の創世記3章では、エデンの園で何不自由なく暮らしていた人間のところに蛇がやってきて、これを誘惑する物語が書かれています。蛇は「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか?」とエバに問いかけ、巧みに禁断の木の実を食べるように誘導するのです。
この出来事を通して、私たちは罪とは人間が神とどのような関係に立つことを意味するのか、また 堕罪によって、人と神との関わり方はどう変化するのか、という問題について聖書から聞くことができます。このアダム、エバの堕罪は、まさに人類全体の問題として、全ての人にあてはまる出来事となりました。そこから救われるためには、イエス・キリストの登場を待たねばならなくなったのです。
●1月22日 週報巻頭言 牧師 木村 一充
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「しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました」(ローマの信徒への手紙5章8節) 使徒パウロのこの言葉に、本日の聖書の中心となるメッセージが集約されています。聖書の神は「不信仰な者、罪人、神無き者」であったわたしたちのために、神の子であるキリストが死んでくださったという出来事に、その救いの業の根拠を据えられたお方であります。正しい人、善人のためにキリストが死なれたのではありません。そうではなく、神から離れ、ご自身に敵対する、まさにアンチの立場に立っていた弱いわたしたちのために、キリストは死なれたのです。ここに神の愛があります。
ニーグレンという学者の著書に『アガペーとエロース』という題の本があります。ニーグレンはこの本の中で、相手に価値があるから愛するという愛はエロースの愛であり、その反対に、愛することによって相手に価値を与えるというのがアガペーの愛である、と述べています。キリストはそのような愛をわたしたちに与えてくださったお方であります。
●1月15日 週報巻頭言 牧師 木村 一充
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ルカによる福音書19章には、主イエスの一行がエルサレムに向かう途中、エリコの町に入った時のことが記されています。その町に、ザアカイという徴税人の頭(かしら)がいました。彼は金持ちで、経済的には満たされていましたが、ユダヤ人からは、敵国であるローマに同胞のユダヤ人たちから税を取り立てて貢(みつ)ぐ「売国奴」と見られ、軽蔑され、蛇蝎(だかつ)のごとく嫌われていました。
ザアカイは、主イエスの一行が来るといううわさを聞き、イエスがどんな人かを見ようと、一行が歩む道へと足を運びます。ところが、彼は背が低かったため、群衆に遮られて見ることが出来ませんでした。
そこで、彼は走って先回りをし、沿道のいちじく桑の木に登って、一行が来るのを待ち受けました。イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われました。「ザアカイ、急いで降りてきなさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」
おそらく、この時が初対面であったはずなのに、イエスはザアカイの名前をご存じでした。さらに、その夜彼のところに泊まることにしていると伝えたのです。ザアカイにとって、この時が救いの訪れの時でした。今日は、ここから み言葉に聞きます。
●1月8日 週報巻頭言 牧師 木村 一充