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ヨハネの手紙は、紀元100年ごろ、小アジアのエフェソにある教会の信徒たちに向けて書き送られました。本日の書簡は、「ヨハネの手紙」と呼ばれていますが、この手紙には、パウロの手紙のような自己紹介をかねた挨拶や、送り先の教会を特定する言葉はありません。この手紙を書いた著者は、特定の状況下にある自ら良く知っている人々を読者として、この手紙を書いたと思われます。その意味で、この手紙は 「牧会的配慮に満ちた説教」であるとも言えるかもしれません。
牧会者ヨハネは、自分の教会の信徒たちを愛し、福音宣教を託されている諸教会にこの手紙を書き送り、教会生活を送る上で大切な教えや格別に守るべき項目を書き記しました。
本日の 4章では、まず1節から6節までで「偽預言者たち」に惑わされないようにと諭しています。続く7節から愛の教えを説きます。神が愛であること、神が私たちを愛されたのだから、私たちも互いに愛し合おうではないかと呼びかけるのです。新約聖書の中で特別によく知られている本日のみ言葉「神は愛である」から、共にみ言葉に聞く時を持ちます。
●2月19日 週報巻頭言 牧師 木村 一充
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本日の聖書であるルカによる福音書5章には、主イエスが漁師であったシモンの持ち舟に乗り、沖へ少し漕ぎ出して舟の上から群衆に教え始められたことが記されています。それは、ペトロが仕事を終え、網の手入れをしていた時のことでした。ただし、その日の漁は全くの徒労でした。この時、ペトロは、おそらく肉体的にも精神的にも疲れ切っており、一刻も早く家に帰って体を休めたかったことでしょう。
ところが、そのペトロを見て、主イエスは言われます。「沖へ漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」
思いもよらないイエスのお言葉を聞いて、ペトロは反発を抱いたに違いありません。自分はプロの漁師であり、ガリラヤ湖での漁は知り尽くしています。大工であるイエスよりも、自分の方が漁に関してはずっと知識があるのです。ペトロは、しぶしぶイエスの言葉どおり網を降ろしました。するとどうでしょう。おびただしい魚がかかり、その重さで舟が沈みそうになったのでした。ペトロはイエスにひれ伏して、罪を告白しました。本日の物語を通して、イエスに従うとはどういうことかを共に考えます。
●2月12日 週報巻頭言 牧師 木村 一充
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コリント教会は、パウロが第2回伝道旅行の際に、アテネの次に訪問した港町であるコリントで立ち上げた教会です。当時のコリントは人口60万人を擁するギリシャ最大の都市であり、町を見下ろす背後の丘には、ギリシャの神々を祀る神殿が建てられ、そこには数千人の神殿娼婦がいたと伝えられます。地中海貿易による経済的な繁栄を背景に、享楽と退廃が進んでいた町、それがコリントでありました。
このように、ユダヤ的な倫理や宗教的素地の乏しかったこの町で、キリスト教信仰を伝えることは容易ではありませんでした。実際、教会にはいくつもの問題が発生し、それに対する勧告をパウロは手紙で書き送っています。
本日の箇所で、パウロはコリント教会の人々に「キリストにある慰め」について語ります。自らが涙ながらに書いた手紙を読んで、コリント教会の人々が悔い改めてくれたことを感謝し(7章9節)、それによって神からの 慰めを頂くことができたというのです。教会の現場では、時に混乱が生じます。しかし、同じ主を信じる群れとして真摯に向き合い、本心で語り合うことで、和解と信頼が与られるのです。
●2月5日 週報巻頭言 牧師 木村 一充
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テモテへの手紙(一、二)は、獄に入れられ、かつてのように自由に福音を宣教できなくなった晩年の使徒パウロが、ローマからエフェソの地で伝道と牧会の働きをしていた弟子テモテに書き送った手紙(牧会書簡)であると言われています。
テモテは、いわゆる第2回伝道旅行で、パウロがヨハネ(マルコ)に代わって帯同した愛弟子であり、この以降の伝道旅行において大きな働きをした伝道者でした。パウロの名代となってテサロニケやコリントの教会を訪問し、それぞれの教会が抱えていた問題を聞き取り、同時にパウロが伝えた福音、使徒からのメッセージを伝えて、教会員を牧会する大きな働きをしたことが、その手紙から読み取れます。
そのテモテは、祖母ロイス、母エウニケから信仰を受け継いだ3代目クリスチャンでした。イエスの死がAD33年ごろ、パウロの第2回伝道旅行がAD49年ごろと見られることから、パウロに従って出発した時、彼は未だ20歳に達していなかったと思われます。しかし、テモテは伝道者として良い働きをしました。信仰を継承するということが、いかに大きな力を持つことかを知らされるのです。
●1月29日 週報巻頭言 牧師 木村 一充
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創世記1章では、初めに神が天と地 を創造され、その6日目にご自分にかたどって人を創造されたことが書かれています。続く2章で、神は最初の人アダム(土)を深く眠らせ、そのあばら骨の一部から女を創造されました。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」と言われて、エバ(命)を創造されたのです。
本日の創世記3章では、エデンの園で何不自由なく暮らしていた人間のところに蛇がやってきて、これを誘惑する物語が書かれています。蛇は「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか?」とエバに問いかけ、巧みに禁断の木の実を食べるように誘導するのです。
この出来事を通して、私たちは罪とは人間が神とどのような関係に立つことを意味するのか、また 堕罪によって、人と神との関わり方はどう変化するのか、という問題について聖書から聞くことができます。このアダム、エバの堕罪は、まさに人類全体の問題として、全ての人にあてはまる出来事となりました。そこから救われるためには、イエス・キリストの登場を待たねばならなくなったのです。
●1月22日 週報巻頭言 牧師 木村 一充