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投稿者 : webmaster 投稿日時: 2011-01-02 12:04:02 (1776 ヒット)

              【希望の綱を担いで】
 新年明けましておめでとうございます。新しい年も、主イエスの名によって、よろしくお願いいたします。
昨年亡くなられた劇作家・井上ひさしさんの遺した最後の戯曲『組曲虐殺』に、余韻を残す名セリフがあります。
 「絶望するには、いい人が多すぎる。希望を持つには、悪いやつが多すぎる。何か綱のようなものを担いで絶望から希望へ橋渡しをする人がいないものだろうか・・・いや、いないことはない」
 希望を持つには、悪いやつ(できごと)が多すぎる・・・。これは現代を生きる私たちの共通の実感でしょう。累積赤字、政治破綻、失業率、就職難、凶悪事件、新種ウィルス。たしかに楽天的に希望を掲げるには難儀すぎます。けれども、翻って「絶望するには、いい人が多すぎる」ことに目を向けたいのです。否、神の恵み、神の御業に目をとめ、イエス・キリストの十字架の愛と復活に重なり、教会の兄弟姉妹との繋がりに与りましょう。
 絶望するには、善い交わりが多すぎるではありませんか。そして、私たち教会が「希望の綱を担いで橋渡しできる人」と用いられていきたいと願います。
                  ●1/2週報巻頭言 吉高 叶


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2010-12-26 17:36:04 (1868 ヒット)

              【イエスの名によって、よろしく】
 伝道は、出会いと交わりの連続と拡散です。ローマの信徒への手紙の最終章には、多くの人びとの名前があげられますが、みな、それぞれがパウロと出会い、別々の場所から集まってきて、ローマの信仰共同体に加わっていたメンバーたちです。たとえば、プリスカとアキラの夫婦は、ローマ皇帝クラウディウスの「ユダヤ人追放令」によって流浪し、コリントでパウロに出会い、コリント教会の礎を築きます。その夫婦が、クラウディウス帝の死後ローマに戻り、イエスの十字架をかついでクリスチャンになったクレネ人シモンの息子や、パウロがアジアでバプテスマを授けたエパイネトと出会って一緒にローマ教会をつくっていくのです。
 プリスカとアキラ夫婦にとって「ローマ追放」は災難でした。クレネ人シモンにとって「十字架背負い」は晴天の霹靂のような出来事だったでしょう。それらが、やがて結びついていくなどと、いったい誰が想像していたでしょうか。
 伝道は、このような出会いと交わりの、不思議な連続と拡散です。万事を益となさる神さまの手が、今でも、宣教の主人公であり、教会をつくっているのです。
                 ●12月26日 週報巻頭言 吉高 叶


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2010-12-20 17:34:17 (1636 ヒット)

             【クリスマス。神の愛のノック】
 クリスマスおめでとうございます。主イエス様を私たちに賜った神さまの愛に心から感謝しましょう。一緒に、私たちのうちに、救い主をお迎えしましょう。
 今年も4週間、待降節を過ごしてきました。私たちがクリスマスを見いだし、私たちが救い主を迎えられますように、と待ち、祈り備える時の意味は大切です。
 けれども、クリスマスは、実に神さまが主語の出来事です。神さまが、私たち罪人を待ち、貧しい私たちを見いだし、迎え入れてくださっている。その恵みと招きこそが、クリスマスの真意です。
 聖書は告げています。「見よ。私は戸の外に立って、たたいている」。神さまは遠くから私たちを見おろし、高いところから人間を見定めているのではありません。私の傍らに、私の真向かいに立って、心の扉をノックしておられるのです。
 今日、クリスマス礼拝の中で、一人の少女がバプテスマを受けられます。神さまの愛のノックに、自ら扉を開いていく感動の時です。神さまは、この瞬間を待っておられました。このために御子をくださったのです。これこそが、天の歓び、クリスマスの歓びなのです。
               ●12月19日 週報巻頭言 吉高 叶


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2010-12-12 11:15:01 (1684 ヒット)

                 【クリスマスを見つけた!】
 救い主がこの世に生まれたことを察知したのは、東方の占星学者たちでした。かねてより「神の約束の書」を勉強してきたユダヤ人たちではなく、異邦人たちによって見いだされ、祝われた、とマタイ福音書は証言します。
 彼らは、救い主に会いたい!と発起します。長旅を厭わず、自分にできる最大の献げものをたずさえて進んだのです。その道に「徴の星」は輝き続け、その道が救い主との出会いに通じていたのでした。幼子イエスに出会った彼らは、人生の労苦に宿る祝福と、使命に生きる歓びを知り、さらに新しい道を示されて帰って行ったのでした。この占星学者たちの旅の姿こそが、「善き人生」のメタファー(譬喩)なのです。
 他方、救いを求めていても、自分の足下から決して目を上げず、受けることばかり願っていて捧げようとはせず、ほんとうは新しいことが起こる事を恐れていて、決断もできず冒険もしない。それが、ユダヤ人学者たちです。彼らは、クリスマスを見落としました。自分を手放さなければ、開かなければ、見つけられない貴いものが、人生にはあるのです。               ●12月12日 週報巻頭言 吉高 叶


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2010-12-05 22:41:41 (1806 ヒット)

                【希望、芽生えて】
 クリスマスにこそ祈りたいのは平和のことです。イエス・キリストをお迎えするこの季節にこそ、一人ひとりの心に平和を迎えたいのです。平和とは、受け入れ合うことです。互いに受け入れ合える「和らぎ」の関係です。
 この「和らぎ」はどこから生じるかというと、「キリストが私たちを受け入れてくださった」(15:7)ことによります。
 それゆえ、「わたしたちも互いに相手を受け入れ」るのです。そして、すべての人が神さまに受け入れられていることを見上げながら、すべての人々が互いに受け入れ合い、和らぐことができるという約束を信じて祈りたいのです。
 実際の地上では、いさかいが起こり続けます。受け入れられず、和らげない人間同士の現実がたくさんあります。けれども、見えている事柄から見るばかりでなく、キリストから見ましょう。今という現実から見るばかりでなく、約束から見ましょう。「すべての民が、互いに受け入れ合い、共に喜ぶ。」この希望のために与えられたキリストを迎え、キリストからすべてを見ましょう。
 クリスマスにこそ、そのように見ましょう。
                  ●12月5日週報巻頭言 吉高 叶


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