【愛が灯った!】
今日は夏期学校の子どもたちとの合同礼拝。イエスさまに出会って、暗い心に光り(愛)が灯った人々の嬉しい物語を受けとめていきます。
礼拝後の教会学校分級では、ヤコブ書1章から、「試練と忍耐」とについて考え合います。初代教会の人々にとって(そして現代を生きる私たちにとっても)、信仰とは「待つ生き方だ」と言えるでしょう。神の国を待つ。神の義があらわれるのを待つ。真の解決を待つ。そして救いを待つ・・・。
しかし、人間は待てないのです。待てない時、人は思い煩い、怒りを深め、自らの運命を呪い、神を捨てようとします。「待っていて何になる」というサタンの誘惑と、自分の想いを実現したい欲望とが手を結び、深い罪の苦悩に陥るのです。
待つ生き方に立ち続けるために、私たちは、信じること、祈ること、交わることを必要とします。待ち続けることを確信するために何よりも御言が必要です。そして、神は、神を待ち続ける人生のために良い贈り物、完全な賜物をくださいました。それこそが愛、それこそが主イエス様です。
●週報巻頭言 吉高 叶
【寝床ごと主のもとに】
主イエスのいる家にたくさんの人々が集まっていました。自らの関心と足とでこの家やってきました。自己決定的し、自分の足でこられる「健常」な人々です。そこに、床に寝かされたまま運ばれてきた人がいます。友人たちの計らいと労力によってようやく主イエスの前にたどりつきます。自己決定が難しく、自分の足ではい行けないハンディを負うています。しかし、この家の中にあって、主イエスの救いの宣言は、この寝たままの男に投げかけられました。彼にこそ救いが与えられたのです。
そうです。私たちは、救い主の前に、寝床ごと運ばれていけば良いのです。受け身のまま、世話を受けながら、みっともなく感じる姿のまま、あの方と出会えば良いのです。いや、むしろ、自分で決め、自分の足で、キリストのもとに進み出ているかのように私たちが思うとき、私たちは忘れているだけなのです。実は自分が「寝床」にしばりつけられている不自由な者であるという事実を。私たちは「寝床ごと」主イエスに出会い、救われるのです。
●7月18日週報巻頭言
【八方ふさがり。開く天の窓。】
詩篇3編は、八方ふさがりの中で為したダビデの祈りです。イスラエル史の中にあって、もっとも傑出し、尊敬されてきたダビデ王ですが、この祈りの時には、崖っぷちの中にありました。
王位剥奪を狙う息子アブサロムの陰謀により、ダビデ家臣が次々と寝返り、友人たちもダビデを離れていきました。孤立するダビデを、アブサロム軍が満を持して襲いかかります。かろうじて王宮を脱出したダビデが、逃亡の道すがらに祈った祈りが、この詩篇3編。岩陰に隠れ、森の茂みに身を隠し、無念と空しさと恐怖に囲まれながら、ダビデは、主に顔を挙げて「あなたは私を囲む盾」と祈ります。実際には、敵に囲まれていながら、「しかし、私は主に囲まれているのだ」と信じる祈り。八方ふさがりの中で、ダビデには「天の窓」が開いています。
「人間」をギリシャ語でアンスローポス(上を見上げる者の意)と言います。主を見上げることが真の人間らしさだとすれば、それは快進撃の道のり中からではなく、八方ふさがりの中から産まれ出ずるものなのかも知れません。
●7月11日週報巻頭言 吉高 叶
【ふたつの道】
ある大先輩牧師の、端的な言葉が心に響く。「人にはふた通りの生き方しか無い。神を信じて生きるか、神を信じないで生きるかの、どちらかだ。」
神を信じて生きる人にも、信じないで生きる人にも、人生は与えられる。信じる人生にも苦しみはあり、信じない人生にも喜びはある。どちらの人生にも信条は生まれ、意義が立つ。どちらの人生も重く、尊い。しかし、わたしたちは知っている。「神は生きておられる。ふた通りの道を選べるとしても、わたしたちは神を信じて生きる。そこに、幸いの道があるから。」
詩編1編の1節には、神の幸いを知る者たちが「避ける道」が記されている。「神なき者のはかりごと」に従わないこと。「罪人の道」にとどまらないこと。「神を嘲る(傲慢)人々」と共に座らないこと。この三つである。この三つは、絶えることの無い「思い煩い」と「罪の苦悩」と「荒(すさ)み・呪い」とを人生にもたらせ続ける。
しかし、幸いなる者は、これらから助け出されていく。「神を信じる」というその一点において。 7月4日週報巻頭言 ●吉高 叶
I子さんのことを紹介させてください。彼女は、2年前の5月に、栗ヶ沢教会にオルガンを献品してくださった女性です。わたしたちの教会のE.W.姉がガンで闘病していることを気にかけ、お見舞いにきてくださった帰りがけに、新築したこの教会に立ち寄ってくださり、そして、この教会の音響の素晴らしさを喜んで、自分の大切にしているアールボーンのオルガンを献品してくださったのでした。
わたしたちは、心から感謝をし、直後の7月6日に、彼女を礼拝にお招きし、証しと演奏をお願いし「奉献礼拝」をいたしました。礼拝後の音楽研修会でも、I子さんは、たくさんの「こども賛美歌」を、愛らしいさわやかな声でうたって、教えてくださいました。わたしたちは皆、「ああ、この方は、ほんとうに賛美歌が大好きなんだなぁ」と感じました。
けれども、ほんとうに驚いたのですが、それから数ヶ月後に、彼女は脳腫瘍で倒れました。卵大の大きさの腫瘍を摘出する大手術を経て、一度は、職場にも、教会にも復帰なさいましたが、それから二度の再発によって、今は、重篤な状態の中におられます。
今年の4月19日に、E.W.さんとご一緒に、I子さんのホスピス病棟を訪問しました。彼女のおつれあいが、見舞客のために記したノートにはこう書いてありました。
「I子に対して、治療として為すことは、もう何もありません。痛みの緩和ケアをいただき、最期のときを過ごしています。担当医からは、余命2ヶ月と言われています。いつも、お祈りありがとうございます。」
一瞬、愕然としましたが、笑みをたたえたまなざしで迎えてくださったI子さんに「一緒に賛美歌を歌いましょう」と語りかけると、目の輝きがぐんと増し、コクリとうなづいてくださいました。
「自分も少し起きあがりたい」と仕草をしました。胸から上を少しだけ傾けて、<飼い主わが主よ>をいっしょにうたいました。I子さんも、とぎれとぎれの声で、いっしょに歌いました。メロディーを追う力はありませんでしたが、歌詞を口でたどり、4節まで一緒に歌いました。「われらは、主のもの、主をのみ愛す。アーメン」
讃美のリーダーとしての、またオルガニストとしての賜物を受けてきたI子さん。でも、今、ベッドの上で、そうする自由を彼女は失っていました。けれども、「賛美」は彼女から失われていませんでした。声がどんなにかすれていても、小さくても、「賛美」は神さまの前で、何一つ欠けてはいないのです。神さまを賛美する命として彼女は、そこにいました。人々の心に、賛美することの素晴らしさを証しする人として、彼女は、そこにいました。彼女の姿のすべてが「賛美」でした。
あの訪問の日から二ヶ月が経ちました。彼女はいま、面会謝絶です。鼻から胃への経管栄養の処置を受け、静かな息をすることだけがゆるされた中を、精一杯、生きておられます。神さまにつながって、息を吸い、息を吐く。わたしは思います。彼女にとって、毎日の、その静かな呼吸は「賛美」だと。彼女が、神さまに召されるのがいつなのか、わたしたちにはわかりません。けれども、その最後の一息まで、彼女の息は「賛美」だと感じます。
●音楽礼拝の説教より 吉高 叶