【つながり、実を結ぶ】
強い風の吹いた翌朝は、教会の庭にけやきの枝が何本も落ちています。枝から枝分かれした細い枝です。枝には、木の幹から直接張り出した枝と、その枝から伸びた枝とがあるのです。
「傷に触れること、汚れたところに触ること、自分の傷を見せること」。これがイエス様の人々への関わりです。そして「あなたがたも互いに愛し合いなさい」とおっしゃいます。ですから、私たちもまた互いに「よく見て、手で触れ合い、つながり合って」いきたいと願うのです。
けれども、やはり、人間が人間につながり、人間が人間を支えることは、並大抵のことではありません。そもそも、ほんとうに痛い傷を見せることができるでしょうか。それに触れることができるでしょうか。私たちは、互いにつながり、互いに交わることの嬉しさや大切さを思いつつ、他方で人間の「つながる力」の限界にも迫られてしまうのです。
「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。わたしにつながっていなさい。」一人ひとりの枝が、主イエスにつながりるとき、一本の木としての私たちの生命は実を結ぶのです。 9/5週報巻頭言 ●吉高 叶
【よく見て、手で触れる交わり】
「信仰」はどうしても観念的になっていきます。また「信仰」はどうしても個人的になっていきます。「自分の、心の問題」という風に、わたし固有の感じ方や生き方に還元されてしまいがちです。けれども、その「わたし」の感じ方や信じ方は、いつも風に吹かれるように相対化されているべきです。「わたしのためのキリスト」ではなく、「キリストの(働きの)ためのわたし」という風に、自分を見つめ直すときに、「わたし」が相対化され、キリストに生きるための隣人性や共同性が、心に生まれてくるのです。
教会とは、キリストによって、「わたし」から自由にされながら、キリストのために一緒に生きようとし、キリストの名のもとに交わりを為そうとする共同体なのです。
初代教会でも、世代が進むと、次第に信仰が観念的になり、個人的になりました。自分の霊的な高揚や深まりが信仰の目的になり、喜びになりかけていました。
「キリストの福音は、交わることと愛し合うことの中にのみ光がある」。ヨハネは、あくまでも「交わり」に生きるようにと、仲間たちに呼びかけました。
8月29日週報巻頭言 吉高 叶
【神に向かってのみ、魂は静か】
ダビデは崖っぷちに立っています。愛臣たちの裏切り、謀反の企て、暗殺の忍び寄り、公然とした悪口、対抗勢力の蜂起。王としての権威もうわべのこととなり、権力も衰退しています。
この危機の中で、ダビデは、真に向き合うべきものと向き合っています。「わたしの魂よ、沈黙して、ただ神に向かえ。」詩62:6
艱難・危難に遭遇して、人は突如として自分自身に立たされてしまいます。それまで、周囲との利害や関係の中で右往左往していたところから、丸裸の自分に、立たされてしまいます。現実の自分を苛むもう一人の自己。現実の自分を攻撃する他者。内から外から突き上げられて、人間は孤独を味わい、深く絶望してしまいます。しかし、その時こそ、人の子らの空しい地平からではなく、それを越えた所から来る助けと結びつくことがを見いだす時を迎えています。
ダビデは、権力闘争の果てに真の守りの岩なる神と出会い、「民よ、どのような時にも神に信頼せよ」との、王の言葉の核心を得たのでした。
●8月22日週報巻頭言 吉高 叶
平和のいましめ、いのちの掟
わたしの祖父は尋常小学校の先生をしていました。大分市の片田舎の学校で美術を教えていました。なんということはない普通の教師でした。しかし、太平洋戦争が激化する中で、教室で子どもたちに向かって語った祖父のたったひとことが、人生を変えてしまいました。「先生は、みんなを、この戦争に、行かせたくない」。
翌日、その村のおもだった人々が学校につめかけ、「非国民をここに出せ!」「アカ教師を辞めさせろ!」とさわぎました。同僚たちからも白い目で見られ、ののしられました。祖父は、学校を追われ、村を追われました。
親戚のコネをたどって、ずっと離れた村の小学校の教師になりましたが、あっという間に「事件」の噂は広がり、ふたたび職を追われ、そこにも住めなくなりました。まもなく祖父は、失意と憔悴のあげく、血を吐いて倒れ、死にました。家庭科の教師をしていた祖母への弾劾も執拗で、心労がたたって、彼女も間もなく死にました。
幼かった私の母は、叔父の家にひきとられましたが、その村で幼い少女を待っていたのは、「非国民の子」「アカの子」という誹りといじめでした。叔父たち一家からも、おまえの父ちゃんは「どえらいことをしでかしてくれたもんだ」と辛くあたられ続けたのです。 これも戦争です。戦争の悲惨の一つの場面です。母は、魂の奥底に、いまでもこの「戦争」を引きずって生きています。
ものごころついた私に母はよく言いました。「人間はときとして残忍だ」「人間の心には恐ろしいものがある」「戦争は、それを呼び起こす」「かのう。戦争は、ぜったいに、だめだ!」。 そして言いました。「神さまを信じなさい。神さま以外のものに絶対にひれ伏してはならない。」「それは、まちがいのもと。」
母の言葉は、命にかかわる「いましめ」として、私の心に刻まれました。そして、未だに、私が何事かを考えるときに、心の中で「きーん」と鳴る音叉のような振動を残し続けています。
平和祈念の日に 吉高 叶
イエスキリストにつながる道
誰もが、平和を望んでいます。しかし、世界平和は来ていないし、過去のものではないのです。 戦前の日曜学校の教案を見ると、始めから戦争賛成と言っているのではなく、主キリストの十字架を中心として争いのない世界を目指す提案をおこなっていました。それでも戦争への歩みの中で、教会は、沈黙し、さらに協力の働きに転じていったことを知ることにもなりました。なぜ教会は、沈黙の中にいたのだろうか? 当時の「普通」の中に、埋もれることが、差別や、抑圧を回避できる方法と考えたのかもしれないとも思うのです。戦後のわたしたちは、主日礼拝だけでなく、「生の全境域」における主告白を目指し、教会教育に取り組んでいます。
「平和の福音」を、告げ知らせるために、この世にキリストがおいでになった。この出来事を受けて教会は、曖昧にすることをやめて、真昼のような光の中で、非暴力と絶対的平和主義へと歩むしかないと語り続けるのです。そのために、教会は、十字架の恵みの応答として、平和宣言を採択し、イエスキリストにつながる道を、共に歩むものとされていくのです。
●週報巻頭言 神学生 武林真智子