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投稿者 : webmaster 投稿日時: 2023-09-03 17:46:16 (259 ヒット)

礼拝説教「キリストを着る」" Putting on Christ"  フィリピの信徒への手紙(Philippians) 3:5〜9
★この説教の文字原稿と動画の掲載は終了しました。
週報巻頭言「キリストを着る」

  フィリピの教会は、パウロが開拓者として教会を立ち上げ、その働きを終えて、次の教会に出かけたあと、偽教師と呼ばれる人々が入ってきました。彼らは割礼を受けた者(ユダヤ人教師)であり、「肉」を頼みとする人々でした(3章3節)。具体的に言えば、ユダヤ人としての血筋、割礼を受けていること、律法を厳守していること等を、異邦人が多数集う教会の中で誇ったものと見られます。
  しかし、そのようなことは「肉の頼み」にしか過ぎないとパウロは言います。それは、イエス・キリストを誇るのではなく、自分を誇ることでしかない、そのような誇りです。パウロ自身、イスラエルの民に属し、生れて8日目に割礼を受け、名門のベニヤミン族の出身であり、律法への熱心さでは、ガマリエルの門下生であり、ファリサイ派の一員でありました。
  ところが、イエス・キリストというお方と出会ったその時から、これらの「この世的な」価値や名声は消え去り、ただキリストに捕らえられていることに喜びを見出す者となったのです。「主イエス・キリストを知ることの素晴らしさ」――それが、パウロを伝道者へと駆り立てる原動力になったのです。

●9月3日   週報巻頭言  牧師 木村 一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2023-08-27 16:00:00 (277 ヒット)

礼拝説教「癒された10人」" 10 Healed Men"  ルカによる福音書(Luke) 17:11〜19
★この説教の文字原稿と動画の掲載は終了しました。
週報巻頭言「癒された10人」

  本日の聖書箇所であるルカによる福音書17章11節以下では、思い皮膚病を患っていた10人の人を、主イエスが癒された物語が記されています。この物語は、4つの福音書の中でルカによる福音書だけに登場する奇跡物語であり、ここでは「癒し」と「救い」の関係、同時に両者の意味の違いが見事に表現されています。
  イエスの一行がエルサレムへ上る途中のことでした。彼らが、サマリヤとガリラヤの間を通過する途中、ある村に入ると、そこで思い皮膚病を患っている10人の人が来てイエスを出迎えたというのです。おそらく、この村はこのような皮膚病患者が隔離されて暮らす居住区で、特別な部落であったと思われます。
  「イエスさま、先生、どうかわたしたちを憐れんでください」この願い求めに主イエスはお応えになりました。そこで、祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われます。それは、律法が定める癒しの手続きでした。彼らがそこへ行く途中、10人全員が癒されたというのです。しかし、そのことに気が付いて、神を賛美しながらイエスのもとに帰って来た人は、ただ一人でした。本日は、この箇所からみ言葉に聞きます。

●8月27日   週報巻頭言  牧師 木村 一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2023-08-17 17:33:36 (222 ヒット)

礼拝説教「希望・それは新たなる力」 イザヤ書 40:28-31
・文字原稿(スマホ & PC閲覧用)★今週分の掲載はありません。
(印刷用)★今週分の掲載はありません。
・動 画  ★今週分の掲載はありません。
週報巻頭言「希望・それは新たなる力」

 ギリシャ神話の一つに「パンドラの箱」として知られる大変印象的な物語があります。プロメテウスが天界から火を盗んだことをゼウス(至上神)は怒ります。そこで、ゼウスは彼の弟エピメテウスに、怒りのしるしとして美しい女性であるパンドラ(すべての贈り物、の意)を送りました。彼女の美貌に魅せられたエピメテウスはパンドラと結婚します。ところが、彼女は「絶対に開けてはいけない」と言われていた箱を持参していました。その箱を彼女は開けてしまうのです。そこには、地上のあらゆる「悪」が詰め込まれていたのでした。それが、世界中に飛散してしまったという話です。
 ところが、その箱の片隅から、なおか細い声が聞こえてきたといいます。それは「おーい、僕もここから出してくれよ」という声でした。その発声者が「希望」だったというのです。
 本日はイザヤ書40章から、第2イザヤの預言の言葉を聞きます。バビロン捕囚の末期に登場したこの無名の預言者は、イスラエルの民に、捕囚からの解放と祖国への帰還を告げ知らせました。苦難の50年間は終わり、新たな歩みへの希望が与えられることを預言したのです。

●8月20日 週報巻頭言  教会員 H.T.


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2023-08-13 16:08:46 (289 ヒット)

礼拝説教「平和を実現する」" Achieve Peace"  マタイによる福音書(Matthew) 5:9
★この説教の文字原稿と動画の掲載は終了しました。
週報巻頭言「平和を実現する」

  本日のマタイによる福音書5章1節以下は、いわゆる「山上の説教」として知られる有名な箇所で、ここでは主イエスの八つの祝福の言葉(「幸いなるかな」)が、弟子たちに向けて語りかけられています。
  本日の9節は、その一つである「平和を実現する者」に対する祝福が語られるところです。1節から8節までは、形容詞で示される人の性質(心の貧しい、柔和な、憐み深いなど)を備える人への幸いが語られていますが、9節で初めて「平和を実現する人」と、動詞で修飾される人が登場します。ここに深い意味があります。すなわち、「平和」は静止しているものではなく動的なものであり、それは争いの後にやってくるのではなく、むしろその前に来るもの、争いに先んずるものなのです。
  教会は「キリストの平和」をこの世界に向かって宣べ伝えます。それは、イエス・キリストの十字架によって起こった神と人との和解の出来事を、この世に伝える働きです。人にはできない「神の子」のみがなし得た和解の業と罪の赦しを、教会は平和の福音として語るのです。

●8月13日 平和祈念礼拝 週報巻頭言  牧師 木村 一充



Today's Summary ” Achieve Peace” by Rev. Kazu Kimura

    Today's Gospel of Matthew 5:1 and following is the famous passage known as the so-called "Sermon on the Mount," where the eight blessed words of the Lord Jesus ("Blessed are you") are addressed to His disciples.
    Today's verse 9 speaks of blessings for peacemakers," one of them. Verses 1 through 8 speak of blessings for those who possess the qualities of those indicated by adjectives (poor in spirit, meek, merciful, etc.), but in verse 9, for the first time, "peacemakers," those who are qualified by verb (to make peace), are introduced. There is a deeper meaning here. That is, "peace" is dynamic, not static, and it does not come after conflict, but rather before it, prior to it.
    The Church proclaims "the peace of Christ" to this world. It is the work of the Church to tell the world about the event of reconciliation between God and man that took place through the cross of Jesus Christ. The work of reconciliation and the forgiveness of sins that only the "Son of God" could do, which no man can do, the Church speaks of as the gospel of peace.


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2023-08-06 17:06:02 (283 ヒット)

礼拝説教「悪を洗い去れ」" Wash Away the Evil"  エレミヤ書(Jeremiah) 4:13-19
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週報巻頭言「悪を洗い去れ」

  8月になり、この国と世界の平和を覚えて過ごす特別な月を迎えました。本日は、旧約聖書のエレミヤ書からみ言葉に聞きます。
  エレミヤは、紀元前627年、ヨシア王の治世の第13年に予言者としての召命を受けました。エレミヤが預言活動をおこなった時代は、南王国であるユダが、アッシリアを滅ぼしオリエントを支配した新興国バビロンの西南アジアへの侵攻により、まさに風前の灯という時期でした。
  そのような時代に、エレミヤは「諸国民の預言者」として立てられたのです。
 エレミヤは、預言活動を始めるに当たり、二つの幻を見ます。一つ目はあめんどうの花です。それはヘブル語でシャーケードと言いますが、これは「見張る」(ショーケード)という言葉の語呂合わせになっています。つまり、時代の流れの中でユダ王国の行く末を見極め、王国が誤った道を歩むことがないように監視する者となれという神が示したシンボルでした。
 二つ目は「傾きかけた、北からの煮えたぎる鍋」です。それはバビロンの軍事的脅威を表します。このような時代に、エレミヤは、人々に神の義とまことの神への「立ち返り」を説いたのです。

●8月6日  週報巻頭言  牧師 木村 一充



Today's Summary ”Wash Away the Evil” by Rev. Kazu Kimura

    August is here, and we have a special month to remember the peace of this country and the world. Today, we hear from the Word of God from the Old Testament book of Jeremiah.
    Jeremiah received his call to prophecy in 627 B.C., in the 13th year of the reign of King Josiah. Jeremiah was prophesying at a time when the southern kingdom of Judah was in the midst of a desperate struggle against the invading Babylonians, who had destroyed the Assyrians and taken over the Orient.
    In such a time, Jeremiah was established as "a prophet of the nations".
    Jeremiah sees two visions as he begins his prophetic work. The first is the flower of the amenemand. It is the Hebrew word shirkade, which is a corruption of the word "watch" (shawkade). In other words, it was a symbol of God's desire for the kingdom of Judah to discern its future in the course of the times and to be a watchman to prevent it from going down the wrong path.
    The second is the " leaning, simmering pot from the north." It represents the military threat of Babylon. In these times, Jeremiah preached to the people about God's righteousness and "turning" to the true God.


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