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投稿者 : webmaster 投稿日時: 2012-12-24 12:20:22 (1555 ヒット)

            【キリストへの旅路】マタイ2:1−12 
キリストの誕生にめぐりあった東方の学者たち。彼らは、長い旅を経て幼子のところにたどり着きました。幸いな人々です。
けれど、考えてみるなら、彼らの旅はあまりにも無謀で頼りない旅路でした。目的地も定かでない。旅程も決まっていない。会うべき相手すらもわからないままに出発した旅だったのですから。しかし、そこにこそ人間の人生の縮図があるように感じます。
多くの思想、哲学が、人生を旅路に例えて語ります。しかも人生という旅は、誰しもが見通しや計画を立てて始めるものではありません。気が付いたら始まっていて、既に旅路を歩んでいるのです。そして誰にとっても思い通りにいかないのが、この旅路・人生です。見当はずれのところに迷い込み、あわや罠にはまってしまいそうにもなります。容赦ない悪巧みが知らず知らず近寄っています。
そんな「無明長夜」の人生の夜空に、しかし道しるべの星が輝いています。この星が輝いている場所こそが天です。天を仰いで歩むときに、わたしたちはたどり着くのです。旅路の真の目的地に。
12月23日 週報巻頭言


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2012-12-10 12:18:18 (1464 ヒット)

                <アドベントの随想>
「私は主のはしためです。お言葉どおりこの身になりますように。」
ナザレの娘マリアが、受胎を告げにきた天使に答えて語った最後の言葉。マリアは、自分を主の言葉のはしため(しもべ)だと言い切った。主の言葉が引き起こす御業の受け皿となることに決めたのだ。そして、祈り、待ち、思いめぐらせる人と、彼女はなった。
主の御言(みことば)のしもべとなる。これもクリスマスが与えてくれる大きな示唆の一つである。「お言葉どおり、なりますように」という信仰を、自分なりに求めながら、アドベントを過ごしていきたいと思う。そこで、詩を一編。

聖書(みことば)を読もう、
見えてくるまで。
聞こえてくるまで。
聖書(みことば)を読もう、
一つになるまで。
一つとなるまで。
聖書(みことば)を読もう、
出会わされるまで。
遣わされるまで。



投稿者 : webmaster 投稿日時: 2012-12-01 10:43:35 (1524 ヒット)

                【教会は主告白の上に立つ】
●テキスト マタイ16:13-23
主イエスは弟子たちに「ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種によく注意しなさい」とおっしゃいました。パン種とは、酵母のことです。膨らませるイースト菌のこと。つまり、真理や原理を膨らませるところで、まちがった膨らませ方をしてしまうことがあるのです。もともとの生地をいかようにでも膨らませようとする人間の欲望や願望、思惑や思い込みの危険性を主イエスは指摘しています。
ですから「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」と弟子たちに尋ねられたのも、人間の思いこみや願望を浮き彫りにさせるためです。その上で、主はずばり問われるのです。「それでは、あなたがたは、わたしを何者だと言うのか。」
「あなたはメシア。生ける神の子です。」こう答えた弟子に向かって、「あなたは岩(ペテロ)。あなたの上にわたしの交わり(教会)を建てる」と主イエスは宣言なさったのでした。
教会はしばしば、人々の必要や望み、この世での勢いや栄光という「酵母」によって膨らむことがあります。その瞬間に、「サタンよ、引き下がれ!」と、主は教会を弾劾なさるのです。
●12月2日週報巻頭言 吉高 叶


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2012-11-27 10:41:44 (1434 ヒット)

                 【夢を見、幻を仰ぐ魂を】
「かみ食らういなごの残したものを、移住するいなごが食らい、移住するいなごの残したものを、若いいなごが食らい、若いいなごの残したものを、食い荒らすいなごが食った。」                                      ヨエル1:4
これでもか、これでもか、と言わんばかりに災いが降りかかり、完膚無きまでに倒され、再生の手がかりを何一つ持てないでいる自分たちの姿を、イスラエルは「いなごにやられた大地」に喩えました。しかし、誰も見向きもせず、手を着けようとはしない荒れ地を、愛と憐れみをもって保有し続け、そこに臨在し、うめき彷徨う魂を知ってくださる神さまに気づいた時、神の民は顔をあげ、主をほめたたえる心と、夢を見る魂を取り戻したのでした。
私たちが試みの中にあった時、実は、変わることなく誠実であられた神さまを思い出しましょう。神さまの柔和と愛とに、一切を負っているにもかかわらず、神さまを忘れ、高ぶった苦悩をふりかざして反発している私たちであることを悔い改めましょう。
主よ。あなたのしもべを憐れんでください。そして、もう一度、夢を見、幻を仰ぐ魂を、私たちに与えてください。
●11月25日 週報巻頭言  吉高 叶


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2012-10-20 19:29:56 (1714 ヒット)

                 【栗ヶ沢・バプテスト・教会】
栗ヶ沢バプテスト教会という名称そのものに、すでに三つの重要なファクターが織りなされています。どれ一つが欠けても、私たちは私たちではありません。
<栗ヶ沢>には、他のどの地域でもなくこの地域で種が蒔かれ、この地域で芽を吹き、この地域で茎となり花を咲かせてきた、具体的で固有の歴史と表情が刻まれています。
さらに、その固有の歩みは、キリストを主として生きる<教会>というコミュニティーであり、しかもその身体のつくりかたは<バプテスト>という特性を重要なモデルにし、またものさしにして生成してきたのです。
キリストが頭であるならばボディーはどうでも良いというのではなく、教会であるならば場所はどこでも良いという抽象的な存在ではありません。この地域で、キリストの教会を、バプテストの組み立て方でつくろうとした結実として、栗ヶ沢バプテスト教会は存在しています。
ここに、私たちは具体的に存在し、私たちは、無機質な<会員>としてでなく一人ひとりが、無比な存在としてこの教会に加わっているのです。その全てをもって栗ヶ沢バプテスト教会なのです。


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