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投稿者 : webmaster 投稿日時: 2013-09-22 19:56:59 (1888 ヒット)

 『われもし死ぬべくば死ぬべし』

エステル記のお話から三つのことを学ぶことができます。

一つ目はモルデガイの神への信仰です。そこには「神の御約束」と「神の摂理」への信仰が現わされています。
この神の御約束とは、神は選びの民を必ず守り、助け、救われることです。そして、エステル記の中心テーマになるのが神の摂理であり、神はご自身のみわざを進めるために摂理の道具としての器を用いられるということです。「この時のためにこそ、あなたは王妃の位にまで達したのではないか」のモルデガイの言葉の中に「摂理信仰」がはっきりとあらわされています。

二つ目の学びはエステルの神への全き信頼です。「このために死ななければならないのでしたら、死ぬ覚悟でおります」というこの言葉に象徴されています。

三つ目の学びは選びの民のとりなしの祈りについてです。「このために死ななければならないのでしたら」と死をも御手にゆだね、エステルは王の前に出るためにスサのすべてのユダヤ人にとりなしの祈りを依頼しました。
これによって、神の前の働き手はモルデガイやエステルと言った特定の器だけでなく、すべてのユダヤ人が器として用いられたのです。

●9月22日週報巻頭言 前野 一郎      
 

                            


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2013-09-15 16:21:55 (1561 ヒット)

 『少年少女育成において 私たちがめざすもの』

私たちは、少年少女が信仰と生活を一体化し、神を愛することと人を愛すること

が調和しているキリスト者になって欲しいと願っています。一人一人の生活の場

で、教会に基盤を置きながら、みことばにとらえられ、キリストから与えられた

使命に応えて、心を尽くして世に仕える、そのようなキリスト者へと育まれて行く

ことこそ、私たちの目指すところです。

● ● ●

具体的ないのちの現場で、精一杯仕えているキリスト者の生き様やその働きに出

会い、そこからさらに、彼・彼女たちをそのような生き方に突き動かしている原

体験や人との出会い、そして、みことば・イエス・キリスト・教会と出会って、少

年少女が、自分の信仰の生き生きとした実感を深め、イエス・キリストに賭けて

生きて欲しいと願っています。

● ● ●

少年少女が真に育っていく場は、「教会」です。そこには、礼拝があり、祈りがあり、交わりがあります。その豊かさの中でこそ、少年少女は育って行きます。

日本バプテスト連盟・青少年専門委員 *『少年少女・隣人に出会う旅』
パンフレットより抜粋                                

 2013年9月15日週報巻頭言

本日は礼拝の中で3人の青年が、それぞれ、「韓国」「岩手・宮城」「ルワンダ」を訪問しての証しをしてくださいました。神様からのすばらしいメッセージをいただきました。特別の祝福が青年たちの上にありますようにと祈ります。






投稿者 : webmaster 投稿日時: 2013-09-02 22:08:07 (1491 ヒット)

 『赦されても赦さない人がいます。愛されても愛さない人がいます。』

イエス様はたとえ話によって、福音の真理の数々を教えてくださいました。

たとえ話に込められたメッセージを正確に聞き出すために、二つの原則があり

ます。一つは、たとえ話の直前を見ることです。それによって、たとえ話のテーマが

わかります。

二つは、たとえ話には、普通でないことが出てきます。そこにメッセージのポイント、

話のつぼ、があります。今日のたとえ話は有名です。

まず、直前を見ましょう。21−23節です。憎き姉妹兄弟を無限に赦す。できるわ

けがありませんね。どうしたらできるのか。これがテーマになって、たと

え話が展開されているのです。

たとえ話に入って、普通でないポイントを探します。

1)6000億円の借金。古代の世界。貸す人も借りる人もいないでしょう。

2)きれいに赦す。あり得ないですね。

3)未来永劫に返済不能を赦された人がその足で、100万円の貸しのある友を

探しだして、投獄する。

どんなメッセージが聞こえてきますか?

●8月9日週報巻頭言 岸 義紘        

                            


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2013-08-31 22:49:58 (1475 ヒット)

 【主を讃美しよう】

私たち人間にとって音楽はなくてはならないものです。どこに行っても音楽がかかっています。音楽がなかったら何と寂しい世の中になることでしょう。
音楽は神さまが私たち人間に与えて下さった賜物です。そして、讃美には力があります。思い切ってすべてのことを感謝し、主を讃美してみませんか。
感情的には感謝したくないこともあるかもしれません。しかし自分の感情をわきにおいて、思い切ってすべてのことを主に感謝し、主を讃美してみましょう。
そのとき主はご自身を現し、その力を解放してくださいます。また、讃美にはメッセージがあります。メッセージはある意味、受身と思われがちですが、自分の口で讃美をもって告白する事で、頭の中に入り、心に響き、その人に語りかけるからです。さあ、主を讃美しましょう。そして力を与えていただきましょう。 
●9月1日週報巻頭言 面川正史



投稿者 : webmaster 投稿日時: 2013-08-24 17:55:46 (1538 ヒット)

 【この神は救い主、助け主】

今日の聖書箇所に私たちが直接出会ったとすれば、恐らく事件の進展が恐ろしくて、簡単には読めないのではないか。ダレイオス王の思いと、我々の思いと重なる所があるのではないか。実に緊迫した出来事である。我々の人生も神に助けられっぱなしなのではないか。
「神様の物語をものがたる」という聖書教育の総主題は、「聖書は神の救いの歴史である。」に基づいている。今日のダニエル書6章も、救いの歴史の中の一幕である。この先は恐ろしくて読みたくもない、と思える箇所も神の救いの歴史から漏れることはない。
ダニエルは神の御業によって、無傷で助かる。ダニエルを陥れようとした連中は、ライオンに骨までも噛み砕かれてしまう。彼らは悪い奴だが、ライオンの餌食になったでは、神はそれでも愛の神かと批判の声が出そうである。しかし、聖書の何処にそういうことが書いてあるか。
神はそれほどお人よしではない。もっとも、死後の彼らが将来どうなるかは、聖書はここでは沈黙している。そんなことより、ダレイオス王が「この神はいける神、世々にいまし、主の主権は滅びることなく、 ……」と、主を誉め讃える者となったということこそ大事である。
●8月25日 週報巻頭言 松倉治





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