【聖書と科学】
科学的な考え方が正しいと思われがちな現代社会では、「初めに、神は天地を創造された」の聖句で始まる創世記には、戸惑いを覚える人が多いのではないだろうか。そしてそれが躓きとなり、聖書の入口で立ち止まり、聖書の中に入れないでいる人が多いのではないだろうか。
しかし科学を通して明らかにされる「真理」は、決して「絶対的真理」ではなく、「相対的真理」であることが分かれば、その戸惑いも大いに解消されるのではないかと思う。例えば、「マクロな科学」の最先端を行く宇宙・天文学において、ビッグバン説が、宇宙誕生の最有力説になっているが、その根幹であるビッグバン以前の原始宇宙が、如何して存在したのかと言う謎は、人類にとっては永遠に解決出来ない問題であろう。同様に「ミクロな科学」の最先端を行く素粒子論や進化論の主役であるDNAの応用生物医学なども、熱心に研究の扉を叩き続ければ、「相対的真理」の扉は開かれて行くと思うが、「絶対的真理」の扉を開くことは、人類にとっては永遠に不可能な問題であろう。「絶対的真理」は、創造主のみが支配されておられるもので、人類、特に科学する者は、その一部の「相対的真理」を、創造主から垣間見させて頂いていると言う方が妥当ではないかと思う。従って、私たちは、聖書に立ち戻り、誘惑に負け禁断の木の実を口にすることなく、謙虚に、熱心に、科学的真理を探究して行くことが大切であると思う。
●8月4日週報巻頭言 杉野栄美
【神さまとお話ししましょう】
●7月28日 週報巻頭言 杉野説子

【有権者の優越感(?)】
今日は、参議院選挙の投票日です。いつもそうですが、投票日が近づくと各政党と候補者たちは、自分こそ日本の現在と未来を担う適任者だと呼びかけながら必死になって選挙運動を行います。有権者はこのときだけ、民主主義の真の意味−すなわち、民 (たみ )が主 (ぬし)になるような錯覚で、優越感に陥ります。しかしそれも束の間、選挙が終わると元の僕の立場に戻り、またその優越感を味わうには次の選挙まで待たなければなりません。士師時代、王様を立ててくださいというイスラエルの民の要求によってサウル王が立てられ、その結果、様々な問題に苦しんだことが思い出されます。(上サムエル記 8章)結局、正しい王国になるまでには、神様に油注がれたダビデ王の登場を待たなければなりませんでした。つまり、人間の意志で立てられた指導者には、限界があるということです。本来、真の王様は神様だけです。
自分と民を幸せにする政治家は、民と主(しゅ)を恐れます。素晴らしい選挙公約もいいですが、今日、われわれに最も必要なのは、ザアカイのようにイエス様を受け入れ、自分の財産の半分さえ主に献げる信仰を持ち、イエス様に「この人もアブラハムの子」と認められるような政治家ではないでしょうか?
●7月21日 週報巻頭言 文廷翼
【弱さから組み立てられる】
祈っても祈っても、その身から取り去られることのなかったとげ。当時パウロがどのような弱さの中に苦しんでいたのかわかりませんが、今を生きている私たちに対しても、とても乗り越えることができない、とその場にうずくまってしまうような弱さのとげが与えられること・与えられていることがあります。何千、何万回と祈り、長期間にわたって祈り、もう心身がしびれきって、その感覚すらも失ってしまうほどに祈っても、解決されない私の弱さ、苦しみ。「もうどうやって祈ってよいのかわからない」。私のそのような呻きにイエスさまは応えられます。「その弱さの中にこそ、私の居場所がある。そここそ私があなたにあらわされる場所である」と。イエスさまとの出会いによって、私の中の弱さを見つめる視点が少しずつ、けれどもまったく変えられていきました。私が考えていた弱さは、弱さではなかったし、私が願っていた強さは、強さではありませんでした。この栗ヶ沢教会でのバプテスマから30年以上が経ちます。相変わらず私は弱いままです。しかし、そんな私の中心に神さまとつながる場所が与えられています。それが私の強さです。
●7月14日 週報巻頭言 入江恵里子
主イエスと私たちの間にはドアが1枚あるとたとえられます。 普通の家のドアには内側と外側にドアノブがあり、どちらからでも開けられます。 しかし、主イエスとの間のドアは私たちの側にしかドアノブがなく、主イエスの側から開けられることはないのです。
私たちは自分の側からドアを開け、大きな口を開けて甘いみことばをいただきましょう。
