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投稿者 : webmaster 投稿日時: 2013-11-30 15:48:33 (1383 ヒット)

福音の核
パウロは、大回心後、西暦 46 年から 58年まで 12 年間でべ3回の宣教旅行を 行い、4回目の宣教旅行の途中でローマに 軟禁され西 67 年にペテロと共に殉教さ れた。その間、パウロは諸教会宛に数々の手紙を送り新約聖その内 13 篇が収められている。

コリントの信徒への手紙一は、その内の一篇であり、パウロの建てた最大のコリント教会宛の書簡である。パウロがコリントを離れた後、教会内に信仰上の諸問題が発 生したため、パウロが憂いて、詳細に信仰 的見解、指図、訓戒などを述べた手紙である。

この手紙には十字(11214 、復活のキリ15 章)の三つの 霊峰があるが、聖霊の霊峰(1214 章)の 間にもう一つ愛の13 がある。 ここでパウロは、聖霊の賜物も大切であるが、如何にみ霊にある愛が、福音の核心であるかを告白している。

パウロは、信仰、愛、希望を一如一貫の 相として持つことが大切であるが、その中 で愛が最も大いなるものであると説いている。
今朝は、そのパウロの教えを皆さんと
ご一緒に学びたいと思う。

●12月1日週報巻頭言 杉野 栄美



投稿者 : webmaster 投稿日時: 2013-11-22 21:56:13 (1472 ヒット)

【全世界のすべての人に】
私たち「日本バプテスト女性連合」は、イエス・キリストが世界の救い主で
あることを告白し、日本を含めて全世界の人びとにキリストの福音を伝えます。また、世界のさまざまな痛みの中で苦しみ悲しむ人びとに寄り添い、共に福音にあずかります。

これが、神より私たちに与えられた使命であると信じこの使命を果たすために、互いに助け合い、励まし合います。

 

「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」

マルコによる福音書16章15節

●女性会ハンドブックより



女性会がつくる礼拝 報告と証し
「全世界のすべての人に」吐田和子

「女性連合総会・信徒大会に参加して」 箕輪治子



投稿者 : webmaster 投稿日時: 2013-11-11 16:07:54 (1421 ヒット)

主はご自身を小さくして

2700年前、ミカが活躍した時代である。年代そのものは、私の生活感覚を超えていて、実感がない。しかし、ミカの預言については実に今日明日のこととして、我々に響いてくる。神の信実が持つ力なのである。

 ミカの時代、実質的にアッシリアに屈服したユダ王国は、エルサレム以外の全町村は、既に支配地であった。ベツレヘムはダビデ王の出身地であり、そのダビデの子孫から救主が出るという名誉ある神の約束(サム下7)も、神への不服従の結果として、4:14にあるように、四面敵に囲まれているような今となっては、「お前はユダの中でいと小さな者」と神から告げられても、返す言葉がないのではないか。

 それにも拘らず、神は「お前の中から、イスラエルを治める者(救主)が出る」と告げられる。それはただただ、神の愛と憐れみ以外の何ものでもない。しかも「その約束は、昨日今日、神が慌てて、急にこしらえらた約束ではなく、永遠の昔、被造物の創造の時からの、神の変わらない約束なのだ」、と言われるのである。アーメン

●11月17日週報巻頭言 松倉治



投稿者 : webmaster 投稿日時: 2013-11-09 19:20:15 (1480 ヒット)

【霊に助けられて】

 普段通りの日常、私は祈ることを忘れがちです。しかし一度(ひとたび)困難に出会うと慌てて祈ります。助けて下さい。癒して下さい。取り払って下さいと。くり返し祈る中でふと気付いたのです。私の為に祈って下さる友がいることに。私が忘れている友が今こうしている間も、私の為に祈っていて下さるのです。自分の事はさておき、ただ私の為に…。なんと嬉しいことでしょうか。私の為に祈って下さる友! 友! 友!
“霊”に助けられて私の祈りが変わって行きます。友の為に祈りたくなるのです。求めるだけの祈りが、感謝の祈りに変えられます。そして呼び求めた主に出会えたのです。私が負うべき十字架を私に替わって背負う主イエス・キリスト。私に先立ち祈って下さる主イエス・キリスト。感謝します。
どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。(エフェソ6:18)

●11月10日 週報巻頭言 飯塚 陽子




投稿者 : webmaster 投稿日時: 2013-11-01 15:05:02 (1674 ヒット)

【死に打ち勝つ力】

 本日は召天者記念礼拝のため、お越し頂き、真に有難うございます。

さて第一コリント15章で、パウロは「死」と「勝利」「とげ」という言葉を使っています。「死よ、おまえの勝利はどこにあるのか。死よ、おまえのとげはどこにあるのか」(55節)

このように「死」と「勝利」「とげ」という言葉が一緒に出て来るという事は、どこかに、死が勝利をほしいままにしていた、死がとげを持っていた、そのような感覚があります。

 ある日親しくしていた方、或いは長年一緒に暮らして来た家族が病に倒れ、この世を去って行く。その様な時、人は自分が無力だと感じる事でしょう。

 それに対し、聖書は、「死よ。お前の勝利など、どこにもないではないか。死よ。お前のとげなど、どこにもないのだ」と訴え続けて来ました。

時に私たちは、死の方が強いと思いがちです。そのような私たちに対して、そうではない、と主張して来たのです。

では、勝利するのは誰なのか。これは十字架上に死なれ、甦られたイエス様です。このお方が、ご自分が死に打ち勝たれた勝利を、信じる者たちにも与えて下さるのです。

●11月3日 週報巻頭言 平山公司


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