✣祝福を呼び込む知恵✣
イエスさまは静まるときを持つために、弟子たちを連れて離れた場所へ退きました。そこへある女性が訪ねて来ました。彼女は異邦人です。当時、ユダヤ民族以外の民は神さまの祝福を受けられないとされていました。彼女には原因不明の病で苦しむ娘がいました。娘を癒して欲しい…わらにもすがる思いで彼女はイエスさまのところへやって来たのです。ところが、イエスさまは必死に願う彼女に何も答えない。このとき、この女性はどうしたか。泣き崩れてあきらめた? 弟子たちに泣きついた? 怒って立去った?すべて違います。彼女は答えてくれないイエスさまに、それでも尚、求めました。『主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます』(マルコ7:28)。大切なパンを分けていただけないなら、食卓から落ちるパン屑で結構ですと言って、イエスさまの前にひれ伏したのです。この物語は、マタイとマルコ、二つの福音書に記されています。マタイ福音書によると、イエスさまは、『婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように』(マタイ15:28)と答え、その時、娘の病気は癒されたと記されています。信仰の本気度を問われる思いがします。
●5月18日 週報巻頭言 山田 幸男
「豊かな報いがある」
きょうは「母の日」です。「母の日」は教会から始まりました。20世紀初頭、米国の田舎の教会に、教会学校教師として奉仕するジャービスという婦人がいました。ある日曜日、彼女は“あなたの父母を敬え”の御言葉から、「お母さんの愛に感謝を表す方法を考えてください」と子供たちに語りました。彼女の娘、アンナもその話を聞いていました。歳月を経て、ジャービス婦人が亡くなったとき、アンナは追悼式で子供の頃に教会学校で聞いた母親のあのメッセ-ジを思い出し、参列者に紹介しました。そして、母親が大好きだったカーネーションをたくさん飾って母親を偲びました。参列者はこの出来事に深く感動したそうです。この話を伝え聞いたクリスチャン実業家ワナメーカーが、彼の経営する百貨店にカーネーションを飾り、「母親に感謝する会」を盛大に催します。1908年5月の第二日曜日のことでした。これが全米に波及。1914年、米国大統領ウイルソンが米国の全国行事として発令します。こうして「母の日」は米国から全世界へ広がりました。教会学校教師の蒔いた種(福音)が、人の思いを超えて、豊かな実を結んだのです。
●5月11日 週報巻頭言 山田 幸男
「壁を破る力」
復活したイエスさまはガリラヤ湖で漁をしている弟子たちにあらわれました(ヨハネ21:4)。ここで注目したいのは復活したイエスさまが『舟の右側に網を打ちなさい』と言ったとき、弟子たちはそのとおりにしたことです。夜通し働いて何も獲れなかったのに、イエスさまに従うと大漁でした。弟子たちの中にはペトロはじめ、元漁師がいました。彼らは漁のプロです。漁のことなら何でも知っています。プロがやってダメだったわけですから、その日の漁はダメなはずです。復活したとは言え、イエスさまは元大工。漁師にすれば、「大工は黙っていろ!」と言いたいところでしょう。しかし、弟子たちは知ったかぶりせず、謙虚になってイエスさまに従いました。 私たちは“御言葉の力”を頭では分かっています。ところが“御言葉”を実行しないのです。収穫(神の恵み)に与れないのは、神さまが意地悪をしているからではありません。自分の経験、自分の計画、自分のやり方を“御言葉”よりも優先していませんか? イエスさまの言葉に従えば予想もしない素晴らしい出来事が起きる。聖書は繰り返し、そう伝えています。
●5月4日 週報巻頭言 山田 幸男
「新しい人生が始まる」
復活信仰とは“いのちを持つ信仰”です。いざ、ここというときに具体的に力を発揮する信仰です。希望と愛とが泉のように心の底から湧き上ってくる信仰です。“キリストの復活”を無理に信じようとしても、自分の内側から生ける水が流れ出るようにはなりません。 なぜか? 大切なものが欠けているからです。それは“神と和解する体験”です。その最初のステップは“罪の悔い改め”です。自分自身が十字架のキリストの方へ向き直ることです。聖書の言葉を誰かにつきつけて、その人を裁くのではなく、自分自身を吟味するのです。次のステップは“罪を赦された体験”です。現実の自分と向き合う。都合よく神さまを忘れている自分がいる、御言葉を生活の中で生きることを拒否する自分がいる。この自覚です。自分を問うとき、イエスさまの“十字架の愛”が、初めて“高価な恵み”として迫ってきます。「罪」の自覚が増すほど、“神との和解の体験”も深まる。福音の逆説(パラドックス)です。こうして不信仰な人程“キリスト復活”を確信して『新しい人生』を歩み始めるのです。
●4月27日 週報巻頭言 山田 幸男
「取り残されたトマスにも」
イースターを迎えると、こんなつぶやきが聞こえてきます。
「キリストの十字架はわかるが、復活はわからない」「十字架は信じるが、復活は信じない」
キリストの弟子の中にも同じことを言った人がいました。トマスです。彼は物事を理性的に判断する実証的な人でした。彼はわかっていないことをわかったようには言えない。正直な人です。正直であることは大切です。
しかし、それは裏返えせば「頑固」だとも言えます。自分の目で見て、自分の手で触ってみないと「キリストは復活した」と言えない。嘘は言えない。そのトマスも、他の弟子たちより一週間遅れて“キリストの復活”を体験します。トマスが“復活”を体験したきっかけは弟子たちの交わりへ戻ることでした。それは“礼拝”です。そこには復活を疑うトマスを排斥しない仲間がいました。
“復活したキリスト”は素直になれないトマスのかたくなさをものともせず、彼の心に入ります。“復活”はトマスごときが疑って崩れるようなものではありません。
崩れたのは“復活”ではなく、「トマスの罪」でした。その後、トマスは“キリストの足跡”を残しました。
●4月20日週報巻頭言 山田 幸男


