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投稿者 : webmaster 投稿日時: 2013-11-11 16:07:54 (1389 ヒット)

主はご自身を小さくして

2700年前、ミカが活躍した時代である。年代そのものは、私の生活感覚を超えていて、実感がない。しかし、ミカの預言については実に今日明日のこととして、我々に響いてくる。神の信実が持つ力なのである。

 ミカの時代、実質的にアッシリアに屈服したユダ王国は、エルサレム以外の全町村は、既に支配地であった。ベツレヘムはダビデ王の出身地であり、そのダビデの子孫から救主が出るという名誉ある神の約束(サム下7)も、神への不服従の結果として、4:14にあるように、四面敵に囲まれているような今となっては、「お前はユダの中でいと小さな者」と神から告げられても、返す言葉がないのではないか。

 それにも拘らず、神は「お前の中から、イスラエルを治める者(救主)が出る」と告げられる。それはただただ、神の愛と憐れみ以外の何ものでもない。しかも「その約束は、昨日今日、神が慌てて、急にこしらえらた約束ではなく、永遠の昔、被造物の創造の時からの、神の変わらない約束なのだ」、と言われるのである。アーメン

●11月17日週報巻頭言 松倉治



投稿者 : webmaster 投稿日時: 2013-11-09 19:20:15 (1446 ヒット)

【霊に助けられて】

 普段通りの日常、私は祈ることを忘れがちです。しかし一度(ひとたび)困難に出会うと慌てて祈ります。助けて下さい。癒して下さい。取り払って下さいと。くり返し祈る中でふと気付いたのです。私の為に祈って下さる友がいることに。私が忘れている友が今こうしている間も、私の為に祈っていて下さるのです。自分の事はさておき、ただ私の為に…。なんと嬉しいことでしょうか。私の為に祈って下さる友! 友! 友!
“霊”に助けられて私の祈りが変わって行きます。友の為に祈りたくなるのです。求めるだけの祈りが、感謝の祈りに変えられます。そして呼び求めた主に出会えたのです。私が負うべき十字架を私に替わって背負う主イエス・キリスト。私に先立ち祈って下さる主イエス・キリスト。感謝します。
どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。(エフェソ6:18)

●11月10日 週報巻頭言 飯塚 陽子




投稿者 : webmaster 投稿日時: 2013-11-01 15:05:02 (1629 ヒット)

【死に打ち勝つ力】

 本日は召天者記念礼拝のため、お越し頂き、真に有難うございます。

さて第一コリント15章で、パウロは「死」と「勝利」「とげ」という言葉を使っています。「死よ、おまえの勝利はどこにあるのか。死よ、おまえのとげはどこにあるのか」(55節)

このように「死」と「勝利」「とげ」という言葉が一緒に出て来るという事は、どこかに、死が勝利をほしいままにしていた、死がとげを持っていた、そのような感覚があります。

 ある日親しくしていた方、或いは長年一緒に暮らして来た家族が病に倒れ、この世を去って行く。その様な時、人は自分が無力だと感じる事でしょう。

 それに対し、聖書は、「死よ。お前の勝利など、どこにもないではないか。死よ。お前のとげなど、どこにもないのだ」と訴え続けて来ました。

時に私たちは、死の方が強いと思いがちです。そのような私たちに対して、そうではない、と主張して来たのです。

では、勝利するのは誰なのか。これは十字架上に死なれ、甦られたイエス様です。このお方が、ご自分が死に打ち勝たれた勝利を、信じる者たちにも与えて下さるのです。

●11月3日 週報巻頭言 平山公司


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2013-10-26 09:31:35 (1411 ヒット)

それでも、私は永遠を思う

誰でも多かれ少なかれ、わが身や周辺が直面した出来事に理不尽な思いを抱いた経験はあるでしょう。

「なんという空しさ、なんという空しさ、すべては空しい」。コヘレトも神へ思いをぶつけます。成功も財産も、そして知恵さえも、己と創造主との間を近づけることはできないことを思い知った者の言葉です。人の知恵では、自身や社会に次々と降りかかる不条理に答えを見出すことができないのです。

しかし無力を知らされる一方で、コヘレトは自分に永遠を思い慕う心を主から与えられていることに気づかされ、この訳のわからぬ目の前の出来事にも、永遠なる存在からの意味付けがされているのだという希望を見出していきます。

私たちは、コヘレトに増してこの希望を信頼することができます。十字架の死という不条理が復活によって永遠の命となったことを知らされているからです。

 神との間に深い溝を見て、「むなしい」と叫んでしまいそうになる時、イエスさまは私たちのもとへ向こう岸から渡って来てくださいます。だから、私たちにも「神のなされることは皆その時にかなって美しい」とイエスさまと一緒に宣言する日が、いつか訪れることを信じます。
10月27日 週報巻頭言 入江恵里子  

            
       


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2013-10-15 11:14:07 (1716 ヒット)

イエス・キリストは主なり】

主イエスが復活後、昇天を前に、「あなた方は行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。」と言われたお言葉が実現し、ユダヤとは異教・異文化の地域に福音が伝えられる為の尖兵として選ばれたパウロが最初にヨ−ロッパに渡り、伝道し、最初の教会を作ったのが、マケドニアのフィリピであり、この地の兄弟・姉妹に度々送った書簡の一部である、「フィリピの信徒への手紙二章一〜十一節」で、彼は、信徒たちが一致を保つ様にと勧め、その論拠として、以前から歌われている賛歌を紹介しています。この賛歌はキリストが、天上の、神の子の座を離れてへり下って地上に下り、人々の間でもへり下って、更に十字架の死を受けて地下(冥界)に迄下られたことを見た父なる神が天上に高挙して、の名を賜わり、天地の全存在がこのお方の前にひざまずき、「イエス・キリストは主なり」と賛美を捧げるように命じられたという賛歌です。

 創世記の天地創造の物語を思わせるような壮大な詩を読み、地上の人間関係を超え、又個人での賛美・祈りに加えて、集った私たちの群れが一つ思いになって賛美・祈りを捧げたいと改めて訓えられます。

●10月20日 週報巻頭言 鮎川清臣


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