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投稿者 : webmaster 投稿日時: 2013-08-31 22:49:58 (1404 ヒット)

 【主を讃美しよう】

私たち人間にとって音楽はなくてはならないものです。どこに行っても音楽がかかっています。音楽がなかったら何と寂しい世の中になることでしょう。
音楽は神さまが私たち人間に与えて下さった賜物です。そして、讃美には力があります。思い切ってすべてのことを感謝し、主を讃美してみませんか。
感情的には感謝したくないこともあるかもしれません。しかし自分の感情をわきにおいて、思い切ってすべてのことを主に感謝し、主を讃美してみましょう。
そのとき主はご自身を現し、その力を解放してくださいます。また、讃美にはメッセージがあります。メッセージはある意味、受身と思われがちですが、自分の口で讃美をもって告白する事で、頭の中に入り、心に響き、その人に語りかけるからです。さあ、主を讃美しましょう。そして力を与えていただきましょう。 
●9月1日週報巻頭言 面川正史



投稿者 : webmaster 投稿日時: 2013-08-24 17:55:46 (1465 ヒット)

 【この神は救い主、助け主】

今日の聖書箇所に私たちが直接出会ったとすれば、恐らく事件の進展が恐ろしくて、簡単には読めないのではないか。ダレイオス王の思いと、我々の思いと重なる所があるのではないか。実に緊迫した出来事である。我々の人生も神に助けられっぱなしなのではないか。
「神様の物語をものがたる」という聖書教育の総主題は、「聖書は神の救いの歴史である。」に基づいている。今日のダニエル書6章も、救いの歴史の中の一幕である。この先は恐ろしくて読みたくもない、と思える箇所も神の救いの歴史から漏れることはない。
ダニエルは神の御業によって、無傷で助かる。ダニエルを陥れようとした連中は、ライオンに骨までも噛み砕かれてしまう。彼らは悪い奴だが、ライオンの餌食になったでは、神はそれでも愛の神かと批判の声が出そうである。しかし、聖書の何処にそういうことが書いてあるか。
神はそれほどお人よしではない。もっとも、死後の彼らが将来どうなるかは、聖書はここでは沈黙している。そんなことより、ダレイオス王が「この神はいける神、世々にいまし、主の主権は滅びることなく、 ……」と、主を誉め讃える者となったということこそ大事である。
●8月25日 週報巻頭言 松倉治





投稿者 : webmaster 投稿日時: 2013-08-16 11:09:40 (1390 ヒット)

 【ぶよとらくだ】

災いは忘れたころにやってきます。関東大震災から72年後に阪神大震災があり、更にその16年後に東日本大震災が起こりました。「地震」は、聖書では神さまが何かなさろうとする時に起こります。イエスさまが十字架上で息を引き取られた時に「地震が起こり」、また3日目に甦られた時に「大きな地震が起こった」とあります。地震という天災を、私たちは予知し食い止めることは出来ません。その時のために、心の準備を事前にしておくことくらいしか出来ないでしょう。

1945815日、日本はポツダム宣言を受諾し、第2次世界大戦が終わりました。それを遡ること72年、岩倉具視を全権大使とした欧米使節団が帰国し、日本の近代国家作りが始まりました。この時日本は、国際社会の仲間入りをすべく、大日本帝国憲法を発布し、天皇制・軍事国家として国際社会の一員としてスタートを切ったのでした。そして、日清戦争、台湾併合、日露戦争、日韓併合、第1次世界大戦を経て広島・長崎への原爆の投下により近代日本が歩んで来た「天皇制・軍事国家」としての実を刈り取ることになったのでした。天災は食い止められなくても、人災は人の意志によって食い止められると信じます。

●8月18日週報巻頭言 石井祐司




投稿者 : webmaster 投稿日時: 2013-08-10 21:06:25 (2000 ヒット)

【M・ニーメラーが見た夢の話】

戦後、国際平和運動の指導者として活躍したドイツのM・ニーメラー博士が、東京の日比谷公会堂でこのような話をされたことがありました。それは最後の審判の日の夢の話でした。正面には審判者なる神さまが座しておられ、その御前には幾千幾万という人々が自分の審きを待っているという実に壮大な夢でした。
勿論ニーメラー自身も神の審判を待つ一人でしたが、突然神さまが一人の誰かに尋ねられたのです。「そこにおるお前は、何かよきものを携えてきたか」と。
するとニーメラーの後ろから、あのベルリンのスタジアムで聞いたヒトラーの声がこう答えたのです。「わたしに多くの賞賛と数限りない反対がありましたが、誰もあなたのみ子イエスの福音を語ってくれた者がなかったからです。」ニーメラーの夢はここで終わったそうですが、この日から彼の今までの平和運動のありようが変わったというのです。
今までのように「ただヒトラーへの反対と批難だけでは新しいドイツを再建することはできない。むしろ教会がヒトラーとその追従者たちに福音を伝えることをしなかった教会の罪と責任を神のみ前に懺悔告白することから始めなければならない」というようにニーメラーは反省をしたというのです。(ヘブライ人への手紙 9: 27参照)
●8月11日週報巻頭言 井置利男




投稿者 : webmaster 投稿日時: 2013-07-29 16:15:04 (1380 ヒット)

 【聖書と科学】

科学的な考え方が正しいと思われがちな現代社会では、「初めに、神は天地を創造された」の聖句で始まる創世記には、戸惑いを覚える人が多いのではないだろうか。そしてそれが躓きとなり、聖書の入口で立ち止まり、聖書の中に入れないでいる人が多いのではないだろうか。
しかし科学を通して明らかにされる「真理」は、決して「絶対的真理」ではなく、「相対的真理」であることが分かれば、その戸惑いも大いに解消されるのではないかと思う。例えば、「マクロな科学」の最先端を行く宇宙・天文学において、ビッグバン説が、宇宙誕生の最有力説になっているが、その根幹であるビッグバン以前の原始宇宙が、如何して存在したのかと言う謎は、人類にとっては永遠に解決出来ない問題であろう。同様に「ミクロな科学」の最先端を行く素粒子論や進化論の主役であるDNAの応用生物医学なども、熱心に研究の扉を叩き続ければ、「相対的真理」の扉は開かれて行くと思うが、「絶対的真理」の扉を開くことは、人類にとっては永遠に不可能な問題であろう。「絶対的真理」は、創造主のみが支配されておられるもので、人類、特に科学する者は、その一部の「相対的真理」を、創造主から垣間見させて頂いていると言う方が妥当ではないかと思う。従って、私たちは、聖書に立ち戻り、誘惑に負け禁断の木の実を口にすることなく、謙虚に、熱心に、科学的真理を探究して行くことが大切であると思う。
●8月4日週報巻頭言 杉野栄美


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