✣神に遠くて近い人、近くて遠い人✣
創世記4章は、最初の人アダムとエバの子どもたちに起きた事件です。聖書が伝え
る「人類最初の殺人事件」は兄が弟を殺す悲劇。兄カインと神さまをつなぐ「縦の線」
が切れたとき、兄カインと弟アベルをつなぐ「横の線」も切れてしまったのです。
神さまは、なぜ、弟アベルの献げ物に目を留め、兄カインの献げ物には目を留めな
かったのでしょう?…聖書の神は肉食系か?…という人もいますが、そういう問題
ではありません。この物語は、人が差し出す献げ物には、神さまに受け入れられる
ものと、受け入れられないものがある、この厳然とした事実を伝えています。
神さまは、献げる人の“心”をみます。カインの献げものは、彼自身の優越感を
満足させる手段の一つでした。良し悪しを決めるのは神さまなのに、最高の献げ物を
したと思い込んでいました。一方、アベル。彼は神の民なら誰もが知る“悔い改めの
献げ物(羊の初子〈ういご〉)”をささげました。アベルは、あるがままの自分を受け
入れてくださる神さまに感謝したのです。『信仰によって、アベルは…優れたいけに
えを神に献げ…』(ヘブライ11:4)。新約聖書の光が疑問の謎を解きます。
●6月29日週報巻頭言 山田 幸男
✣あなたはどこにいるのか✣
『主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった…』
(創世記3:1)とあります。
女はこの蛇が仕組んだ巧妙な罠(わな)におちてしまいます。
女は神さまが言ってもいないことを言い始めます。神さまは男(アダム)に『…善
悪の知識の木からは、決して食べてはならない…』(2:17)と命じましたが、『…触れ
てもいけない…』(3:3)とは言っていない。神さまは、触れるなとも見るなとも言って
いません。大切なのは『食べない』ことです。女の失敗を善意の解釈とみることもで
きますが、善意であれ、悪意であれ、神さまの言葉は、神さまが語った言葉として、
そのまま大切にしなければなりません。私たちも、同じ間違いをしていないでし
ょうか。聖書のことばに対して、私たちがあれこれ思いを巡(めぐら)せて、余計な
ものを付け加えたり、大切なことを差し引いたりする。そんなことをしていたら、神
さまが備えている本来の祝福から、私たちは遠ざかってしまうことになります。混沌
の世界へ誘惑する巧みな知恵(蛇のささやき)に惑わされた人間は、エデンの園から
追放されてしまいます。でも、神さまはそんな人間を何故か見捨てないのです。
●6月22日 週報巻頭言 山田 幸男
✣男と女と神の領域✣
エデンの園で、アダムは創造主なる神さまのために一生懸命働き、充実した日々を過ごしていました。そのアダムに、神さまは助ける者を与えようとして、獣や鳥、あらゆる生き物を連れて来てお見合いさせます。しかし、“ふさわしい助け手(パートナー)”としての被造物は見つからなかった。それもそのはず。アダムは神さまから、『…命の息を吹き入れられ…生きる者となった』(創世記2:7)特別な被造物です。他の生き物とは違う“尊厳(神の息吹)”を与えられています。それなら、アダムと同じ“尊厳”を備えた被造物でなければ“パートナー”にはなれません。『主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされ…人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り…女を造り』(創世記2:21-22)と聖書は語ります。神さまはアダムが眠っている間(神秘のうち)に女を創造し、アダムに与えました。二人は一体となり、喜んで神さまに仕えました。「科学的ではない、ナンセンス!」と反論する方、聖書の読み方を間違えないでください。これは古代の伝承。大切な真理を象徴的に伝えています。男と女をつなぐのは“創造主(神)”であり、神のもとで互いに助け合い、幸せになるのです。
●6月15日 週報巻頭言 山田 幸男混沌(カオス)から秩序(コスモス)へ
旧約聖書・創世記を読む人は、いきなり神の前に引きずり出されます。神存在の説明もなしに、聖書は、『神は天地を創造された』(1:1)、『神は言われた…光あれ…すると光があった』(1:3)と、神を押しつけて来る。私も、初めて創世記を読んだときにはイヤな書き方をしていると思いました。
ところが、聖書を読みたいという強い思いから、教会の聖書研究会に出席し、牧師さんによる聖書のことばの説き明かしを聞いたとき、「聖書には読み方がある」ことを知りました。聖書は、神を信じる人々が“神の啓示”を受けて書き記したもの。彼らは“創造主と被造物”の間には厳然とした区別があると考えている。信じる、信じないは別として、先ずその視点で読む。これが聖書を読むときの大前提です。「進化論(すべては偶然の産物であり、何の意味もなく誕生し、進化し、何の意味もなく死んで行く)」のインテリ思考は横へ置き、“絶対者なる神”が目的を持ってこの世のすべて(この私も)を創造したのだとの視点で読む。
すると、私の場合は、自分が存在するこの世界がそれまでとは違って見えて来ました。“光”は私の内側にも輝いて、神が分からない私を、混沌から秩序へ、確かに導き始めたのです。
●6月1日 週報巻頭言 山田 幸男