✣ この目で救いを見た ✣
新約聖書ヤコブの手紙4章6節に、「神は高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになる」とあります。「高慢」はあらゆるものを破壊します。神さまを信じない人も「高慢」の害は知っています。「高慢」から生まれる「強情」に心を支配されて好機(チャンス)を逃してしまう。「見栄」を張って人間関係に要らぬヒビを入れてしまう。「知ったかぶり」をして、あとで大きな恥をかく…。心当たりはありませんか?
「高慢」は自分だけでおさまりません。周りにいる人々を巻き込んで迷惑をかけたり、時には取り返しのつかないダメージを残してしまう。誰もが「高慢」の弊害を知っています。しかし、頭では分かっていてもやめられず、同じことを繰り返してしまう。これが私たちの現実です。
二千年昔、救い主イエスは、にぎやかな大都市ではなく、田舎の寒村に誕生しました。ウルトラマンのように勇ましく登場したのではなく、無力な赤ちゃんとして世に降りました。生まれた場所は馬小屋(家畜小屋)。ひざを折り、腰を曲げ、頭を下げないと、飼い葉おけに眠るイエスさまにお会いできません。これは、よく知られた格言「実るほど、頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」を見える形で伝えています。
●12月28日 週報巻頭言 山田 幸男
✣ 恐れるな ✣
私たちは「自分を認められたい」と常に願っています。これは人間の自然な欲求であり、決して悪いことではありません。もし問題があるとすれば、「他の人よりも上に立つことが神さまの御こころ」であるかのように錯覚してしまうこと、或いは、「成功や勝利だけが神さまの祝福」であるかのような思い違いをしてしまうことです。
二千年昔、高貴な“神の子キリスト”はベツレヘムの馬小屋(家畜小屋)にお生まれになりました。“神の子”なら、エルサレムの立派な神殿か、豪華な王宮に生まれる方がふさわしいのではないか。なぜ粗末な場所にお生まれになったのでしょうか。
その理由は、そこは誰でも来られる場所だからです。新約聖書にこうあります。『キリストは神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、しもべの身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって…十字架の死に至るまで従順でした。』(フィリピ2:6‐8)。
人は上へ昇ることによって栄光を得ようとします。ところが、“キリスト”は下へ降ることによって栄光を現しました。自ら消耗して、周囲を照らすロウソクの灯のように、静かに輝き続けます。
●12月21日 週報巻頭言 山田 幸男
✣ 光を灯すクリスマス ✣
“クリスマスの光”はすべての人を照らします。クリスマスの意味を知っている人も、知らない人も、すべてです。神さまに差別はありません。クリスマスには、二つの「愛」の違いが明らかにされます。「人間の愛(新約聖書の言語・ギリシア語でエロス)」と「神の愛(同じくアガペ)」です。
二つの「愛」には決定的な違いがあります。エロスは見返りを求める「限定的な愛」で、いつかは消えてしまう。一方、アガペは見返りを求めない「無限の愛」、永遠に変わらない「不滅の愛」です。アガペは“キリスト降誕”によって歴史の中に受肉化し、すべての人に啓示されました。実際、今の季節は、お寺の幼稚園もイスラム教徒も、世界中の人々が“神の愛”に思いを馳(は)せています。すべての人がクリスマスを喜んでいる事実があるのです。
この季節、子どもたちばかりでなく、聖書を知らない大人も、“サンタクロースの伝説”からアガペを体験します。喜びを体験した子どもたちが大人になると、今度は自分の子どもたちに“サンタクロースの伝説”を伝えます。こうしてアガペは未来に継承されます。神の御心は、すべての人がアガペを知り、その“光”に包まれることです。心に“光”を灯しましょう。
●12月14日 週報巻頭言 山田 幸男
✣ 恐れから喜びへ ✣
神殿で務めをしていた祭司ザカリアの前に天使があらわれました。驚き戸惑う祭司に、天使は「恐れるな」と語ります。
「恐れるな」。この言葉は新約聖書のキリスト降誕物語に関わる記事に必ず出て来ます。マタイ福音書ではヨセフに、ルカ福音書ではマリヤに、羊飼いたちにも天使が「恐れるな」と告げています。神さまの出来事は、人の知恵や力を超えた所から来るので、居合わせた人々は圧倒され、どうしても恐れてしまうのです。
ザカリアは、「あなたの妻は男の子を生む」との天使の宣言を信じることができず、口が利けなくなってしまいます。しかし、天の声を信じなかった彼を非難できるでしょうか。彼の妻エリサべトは、「不妊の女で…既に年をとっていた」(ルカ1:7)とあります。そうした現実を無視して、天使は大真面目に祭司ザカリアに告げるのです。
私たちは、この話の結末を知っています。そこに“神の計画”がありました。洗礼者ヨハネの誕生です。生まれて来る男の子には特別な使命がありました。その子は老夫婦の所有物ではありません。その子は、人々を神に立ち帰らせるために“神の計画”で世へ派遣されました。「恐れるな」の声は“神の祝福”が始まる合図でした。
●12月7日 週報巻頭言 山田 幸男
✣ 新しいことが始まる ✣
19世紀後半、米国南部バプテストの女性宣教師ロティー・ムーンは、中国伝道にその生涯をささげました。彼女の伝道スピリットは今も“世界バプテスト祈祷週間(今年は11/30〜12/7)”の中に生きています。私たちの教会の歩みもこのスピリットなしには語れません。その昔、米国南部バプテストの女性たちの祈りとささげものによって日本にも宣教師が派遣されました。全国各地に教会がたち、その後、学校、病院、福祉施設などもたてられました。
かつては受けるだけだった日本からも、今では世界各地へ宣教師が派遣されるようになりました。21世紀は私たち日本のバプテストが“福音の種”を蒔く使命を果たすのです。世界伝道のために祈りましょう。世界伝道の必要が満たされるように献金をささげましょう。“世界バプテスト祈祷週間”に、私たちは以下を実行しましょう。
1) 世界(外)に目をむけて視野を広げる。
2) 神と人、人と人の和解の使者になる。
3) 私の隣人に愛をあらわす。
論じるだけの愛は虚しい。伝道もかけ声だけでは何も起きないし、何も変わりません。愛も伝道も行動があって実を結ぶのです。世界伝道の願いは小さな祈りから始まりました。まず祈りましょう。
●11月30日 週報巻頭言 山田 幸男


