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投稿者 : webmaster 投稿日時: 2015-06-04 20:44:02 (1206 ヒット)

✣ 知恵という力を知る ✣

    きょうから礼拝説教では旧約聖書出エジプト記を学びます。礼拝後の教会学校分級テキスト「聖書教育誌」カリキュラム(テーマ「新たな出発」)に沿って読んで行きます。出エジプト記1章の冒頭は、創世記のまとめから始まります。ヤコブとその子ども、孫たち(イスラエルの民)総勢70名がカナンの地からエジプトへ移住します。その後、彼らは400年間エジプトに留まります。
    この400年は、先代アブラハムへ神さまから啓示された約束でした(創世記15:13-14参照)。そこには彼らがエジプトで400年奴隷になることが、すでに預言されています。4代目(400年後、前12-13世紀頃)の者たちがカナンに戻って来る、ともあります。この400年の間にヤコブの子孫(イスラエルの民)は約200万人に膨れ上がったともいわれています(民数記1章参照)。
    彼らはエジプト時代だけ守られたのではありません。バビロン捕囚(前6世紀頃)の時も、紀元70年以降の民族世界離散に際しても、天地の創造主を信じる“神の民”には、“神の恵み”がありました。出エジプト記から聞こえてくるメッセージの一つは、“神を本気で信じる人々を神は忘れない”こと。神の約束(聖書の言葉)は“最高の知恵”です。“新たな出発”への鍵です。

●6月7日 週報巻頭言 山田 幸男


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2015-05-28 19:33:17 (1305 ヒット)

✣ 聖霊の追い風に乗って ✣

    使徒パウロの“ローマへの旅”は思いがけないことの連続でした。エルサレムでは、濡れ衣を着せられて裁判にかけられます。パウロは囚人としてカイサリヤからローマへ船で護送されます。神さまから“ローマで証しせよ”とのビジョンを受けて、神さまに従ったにもかかわらず、“ローマへの道”は厳しい試練の連続でした。
    ローマへ向かう船は嵐に巻き込まれて難破します(使徒27章)。流れ着いたマルタ島では蝮(まむし)に咬まれ、伝染病の危険に直面します(使徒28章)。しかし、聖霊に満たされた使徒パウロは、この危機を突破します。迷信を恐れる人々に“キリストの平安”を、病に苦しむ人々には“キリストの癒し”を与えました。パウロが携えていた“キリストの愛”は、旅行カバンの中に仕舞い込まれたままローマへ運ばれたのではありません。そうではなく、道々、出会う人々に分け与えられ、多くの人々と喜びを共有しながらローマへ届けられたのです。
    私たちは、“ビジョン”のゴールを急ぎ、一分一秒でも早くローマへ到着しようとあせります。しかし、使徒パウロは違う。慌てません。彼はいつもと変わらない歩調で前進します。“神の計画”故、聖霊の風に乗って(導かれて)行くのです。

●5月31日 週報巻頭言 山田 幸男


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2015-05-21 19:19:52 (1317 ヒット)

 ✣ 聖霊に促されて ✣

    きょうは聖霊降臨日(ペンテコステ)です。今から二千年昔、エルサレムで心を合わせて祈る120名ほどの人々が、“上からの力(聖霊)”に満たされて、自分の足で立ち上がり、自分の言葉で福音宣教(伝道)を始めました。こうして現在の教会の原型が誕生しました。“キリスト復活(イースター)”から数えて50日目の出来事です。50番目のことをギリシア語で『ペンテコステ』といいます。
    伝統的な教会暦によると、『ペンテコステ』から『アドベント(待降節)』の前日までが“聖霊降臨節”とされています。代々のキリスト教会は、この期間に“伝道”をテーマとして祈り、福音宣教と、神と人とに仕えること(奉仕)に励みました。教会暦に従えば、今年の“聖霊降臨節”は、きょう(5/24)からクリスマス準備に入る前日(11/28)迄です。
    バプテスト教会では、教会暦をあまり意識しませんが、教会活動にメリハリを持たせるためには、大切であると私は考えています。
    “聖霊”は風にたとえられます(ヨハネ3:8)。風は、見ることも、つかむこともできません。しかし、風は音を立てたり、物を舞い上がらせるなど、現象として認識されます。“聖霊”の働きも同じです。人々が心を熱くされて神の愛を語り出す。実際、伝道し、奉仕している。これが“聖霊”の働きです。

●5月24日 週報巻頭言 山田 幸男


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2015-05-14 15:57:46 (1435 ヒット)

✣ 恐れるな〜わたしがあなたと共にいる ✣

    かつて冷凍食品会社に勤めていた頃、スーパーマーケットの関係者から、生鮮食品売場の野菜や果物は、きれいで見かけの良いものから売れるという話を聞きました。虫が食ったり、かたちの悪い商品は売れ残ってしまうので、なるべくきれいなものを揃(そろえ)たい。その結果、ワックスをかけたり、薬品を使用して、野菜や果物に化粧せざるを得ないのだ、というのです。
    その当時、私はとても驚きました。自然に成長した野菜や果物が、すべて見てくれが良いというのは、むしろ不自然です。虫が食ったあとがあるのは、「おいしさ」と「安全性」の証拠です。自然に育てば、同じ種類の野菜や果物でも、形の大小、色合いの違いが生じるのは当然です。形は悪くても中身がしっかり詰った野菜や果物はいくらでもあります。実際、そうなのです。
    ところが、いざ商品の前に立ったとき、無意識のうちに見てくれの良い方に手を伸ばす「私」がいる…。当時、バプテスマを受けて間もなかった私は、“神の恵み”について考えさせられました。普通に考えれば、「かっこう悪い」「嫌だなあ」と思ってしまうような所に、案外、“祝福”が詰まっているのかもしれない…。神の力の“ダイナミック”さに目を開かれました。

●5月17日 週報巻頭言 山田 幸男


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2015-05-07 19:41:57 (1319 ヒット)

✣ 挫折から栄光へ ✣

    私たちが暮らす現代の日本では、キリスト者は人口比1%と言われています。日本人百人中に、クリスチャンは1人しかいないということです。厳しい現実です。
    きょうの聖書箇所(使徒17章)に記された使徒パウロの“アテネ伝道”は、伝道の行きづまりに悩む私たちに、二千年の時を超えて貴重なヒントを与えています。
    アテネ(現代のギリシア)は、当時の芸術、建築技術、哲学思想の中心地であり、荘厳なパルテノン神殿にはギリシア神話の神々が祭られていました。アテネは、古代ローマ時代には知識人のあこがれの町でした。
    このアテネに使徒パウロが到着します。彼は偶像の神々を信じる人々や、哲学者、気難しい理屈屋を前にして、“イエスの十字架と復活”を宣べ伝えます。しかし、「奇妙なことを言っている」「いずれまた聞かせてもらおう」と軽く一蹴されてしまう。“福音”をあざ笑って去って行く人もいました。
    かつて、どの町でも大きな伝道成果を上げてきたパウロが初めて味わう屈辱です。しかし、彼の目は曇らなかった。信仰に入った者も、何人かいた(使徒17:34)のです。使徒パウロは、苦しい時こそ絶望のただ中に立つ“十字架”と、人の思いを超えた“復活の栄光”を見ていたのです。

●5月10日 週報巻頭言 山田 幸男


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