✣ その上を行く賢さ ✣
「不正な管理人のたとえ」は、ルカ福音書だけに記された謎めいたお話です。著者ルカは、ギリシア人、職業は医師で福音書と使徒言行録を記しました。ルカは聖霊の働きを重んじ、女性や子供たち、弱者や貧しい人々に関心を寄せるなど、倫理的な傾向の強い福音書記者です。そのルカが書いたにしては筋の通らない「たとえ」です。でも、だからルカの考えが入らないイエスさま独自の教えであるとも言えるのです。
この「たとえ」は、“最後の審判”に備えるように勧める話だというのが伝統的な解釈です。この先入観を横に置いたときに先ず気になるのは、なぜイエスさまはこの話を「弟子たち」に聞かせる必要があったのかという点です(16:1)。イエスさまは、やがて「十字架」に掛けられます。持ち時間は少ない。「十字架」後、弟子たちの伝道は困難を極めるでしょう。それ故、イエスさまは弟子たちに、世の人々以上の“抜け目のないやり方”で“賢くふるまう”ように教えたのです。決して詐欺や横領を勧めたのではありません。福音の喜びを伝える方法をよく考えよ、そして行動せよ、と弟子たちに勧めたのです。
ルカ福音書は同じ課題を現代の教会(私たち)に問いかけています。
●3月1日 週報巻頭言 山田 幸男
✣ 帰るところがある ✣
神さまは熟練した職人のように、“手もとに備えた道具”を上手に使い分けて素晴しいわざを成し遂げます。その道具とは、「イエスは主なり」と信仰を告白した人々(クリスチャン)のことです。
聖書の物語を注意深く読むと、神さまはTPO(時・場所・目的)にかなう“厳選した道具(選ばれた人々)”を用いていることに気づかされます。それと同時に、神さまは手もとにあるすべての道具に大きな働きを求めていないことも教えられます。奇跡のために用いる“大きな器”もあれば、“中位の器”や“小さな器”もあります。少し形の変わった“いびつな器”が重宝されることもあります。神さまにとっては、すべてが必要不可欠な道具です。熟練した職人は、多様な道具を上手に使い分けます。神さまの働き方も似ています。
腕の良い職人は道具を選ばないともいわれます。これは道具が錆びていたり、壊れていない前提での話。“使える道具”なら大丈夫という意味です。
さて、そこで、あなたの信仰は…? 錆びていませんか? 信仰生活が壊れていませんか? きょう御言葉が心に響いたならキリストに従いましょう。良い職人(神さま)には良い道具(忠実な僕)が似合います。
●2月22日 週報巻頭言 山田 幸男
✣ 本当の豊かさとは ✣
右巻で伸びるインゲンのつるを無理やり左巻にしたらどうなるか。なんと、収穫量は2倍になったそうです。ある大学での研究結果です。その実験ではインゲンを三つのタイプに分けました。
A…自然のまま、つるを右巻にした。
B…ひもで縛って、つるをまっすぐに。
C…強制的に、つるを左巻にした。
毎朝、手を加えて巻き具合を操作したところ、収穫したサヤの数に明らかな差が生じました。自然のままのAに比べて、Bは1.5倍、左巻のCは2倍の収穫という結果でした。サヤの大きさや重さは三つのタイプともほぼ同じ条件で行われました。この実験から、つるをいじって自然に逆らわせるほど収穫量が増えることがわかりました。
実験した教授によると、逆巻の刺激でインゲンに適度な緊張が生じ、光合成等の代謝系が活発化したことが考えられるというのです。取材した新聞記者が、「人間の場合は?」と尋ねると、即座に「一緒です。人間も、ストレスにならない適度な緊張が成長につながる。」と教授は答えました。この教授は、身勝手な事件が相次ぐ現代社会へ目を向けて、「子供たちは緊張していないから、頭を使わない。生きる力は困難に立ち向かうところから生まれる。」とも語りました。逆説的福音です。
●2月15日 週報巻頭言 山田 幸男
✣ 自己流正義の限界 ✣
ある日の新聞に、『腐ったと誤解 蜜入りリンゴ』という投稿記事がありました。笑ったあとで、少し考えさせられました。内容を要約して紹介します。
『二十数年前、長野県に住む兄夫妻から木箱に入ったリンゴが届いた。三人の子供が見守る中、一個を半分に割った。「だめだ。腐っている」。子供たちの期待はため息に変わり、届いたばかりのリンゴは生ゴミに…。兄夫妻にリンゴが腐っていたと言えず、「ありがとう」とだけ伝えた。
翌年、またリンゴが届いた。友人に見せると、「すごいリンゴだなあ。本場の高級リンゴだ」と言った。私はリンゴの皮をむくと中は真っ白と信じていたが、「腐っている」と思い込んでいたのはリンゴの蜜だったのだ。友人に教わらなかったら、二十数年間、毎年贈られて来たリンゴをためらいもなく捨てていたと思う。友人は、長野の兄さんが腐ったリンゴを贈ると発想するお前の脳の方が腐っている、と笑った。』(2008年7月9日朝日新聞「声」より)
「知ってるつもり」「決めつけ」「思い込み」がとんでもない「的外れ」の結末を招きます。十字架の光は「私の的外れ」に気づかせてくれます。他人ごとのように笑っているあなたは大丈夫ですか?
●2月8日 週報巻頭言 山田 幸男
✣ あなたの罪は赦された ✣
「あなたに言いたいことがある」(ルカ7:40)。イエスさまは信仰熱心な人シモンに対して、「あなたは“神の愛(アガペー;無償の愛)”を本当に知っているのか」と厳しく告げました。
それは、シモンの家でイエスさまを囲む食事の席でのことでした。ある女性が加わったとき雰囲気が激変します。彼女は突然、イエスさまの足を自分の涙でぬらし、髪でぬぐって香油を塗りました。主催者シモンは、イエスさまがこの女の罪を見抜き、戒めると期待しました。神の教え(律法)には、汚れた者に触れるな、あなたが汚れるからとあるからです。罪に汚れた女は排斥するべし、この女にイエスさまと交わる資格はない、シモンはそう思ったのです。
ところが、イエスさまは罪深い女を受入れ、しかも彼女はイエスさまがメシア(救い主)だと知っているが、信仰熱心なシモンは知らない、と語りました。居合わせた人々は、皆、驚きました。
聖書はこの女性が抱える罪について沈黙します。大切なことは、過去ときっぱり決別して未来へ向かう、この視点です。イエスさまの宣言「あなたの罪は赦された」は“神の愛(アガペー)”です。彼女の新しい人生は“イエスの十字架”が保証します。
●2月1日 週報巻頭言 山田 幸男