✣ 十戒再授与 ✣
イスラエルの民の背信行為(金の子牛事件)によって、“シナイ契約(十戒…モーセをとおして民に与えられた信仰者の行動基準)”は破棄されました。しかし、モーセの懸命な執り成しによって、神さまは民に災いを下すことを思い直し、これからも民と共に出エジプトの旅を続けてくださることになりました。そして、一度破棄した“契約”を再び結ぶとモーセに告げます(出エジプト記34:1)。
ここで注目したいのは、モーセの従順です。彼は、二枚の石板を切り取り、翌朝、神さまに命じられたとおりシナイ山に登りました。シナイの荒れ野に来てから四回目の登山です(19:3、19:20、24:12、34:2)。【モーセという人はこの地上のだれにもまさって謙遜であった】(民数記12:3)とあるように、旧約聖書・出エジプトの物語の中で、モーセは特別な存在として描かれています。イスラエルの民にとって、“モーセ”は偉大な預言者、立派な指導者として、次世代へ語り継がれたのです。“モーセの祈り”だから、神さまは聞き入れ、“モーセが従順”だから、神さまは“シナイ契約(十戒)”を再び授与されたのです。
神さまは愛だから、お願いすれば何でも叶えてくれると考えるのは間違いです。現代人の祈りは“キリストの名(十字架)”によって神さまに受け入れられるのです。
●9月20日 週報巻頭言 山田 幸男
✣ 神に食い下がるモーセ ✣
モーセの冷静で適切な交渉(執り成しの祈り)によって、神さまはイスラエルの民を滅ぼし尽くすことを思い直されました。神さまはかつて民の先祖(族長・アブラハム、イサク、ヤコブ)に約束したとおり、カナンの地を与えるとモーセに告げます。先祖と神さまが交わした“アブラハム契約(土地を与える、子孫を増やす、民は祝福の礎となる)”は、神さまが無条件で与えたものです。途中で破棄されることはありません。
シナイ山でモーセが授かった“十戒(信仰者の行動基準)…シナイ契約”は、本来、神の民の祝福を保証するものでした。しかし、彼らの不信仰(約束を守らない)によって、無条件で与えられた“アブラハム契約”は雲がかってしまいます。神さまはモーセに、「民を約束の地へ導け。しかし、裁きの日に彼らをその罪のゆえに罰する」(出エジプト記32:34)「民がかたくななので、旅の途中で彼らを滅ぼしてしまうかもしれない。だから、民と一緒にいかない」(33:3)と告げます。一方、民には、「直ちに、身につけている飾りを取り去りなさい」(33:5)と悔い改めを強く求めます。民は飾りをはずして悔い改めを表します(33:6)。この後、神の人モーセは、神さまが民と共に行くように交渉。執り成しを成立させます。
●9月13日 週報巻頭言 山田 幸男
✣ 神を怒らせた出来事 ✣
モーセは、神さまから“十の言葉”を記した石の板(十戒)を授かるために、シナイ山に登り、四十日四十夜、山に留まります(出エジプト24:12以下)。麓(ふもと)でモーセの帰りを待つ人々は、モーセがなかなか戻らないためしびれを切らせ、彼らの心は神さまから離れてしまいます。“神の時”を待てないのです。
民はモーセの助け手であるアロンを説得し、「若い雄牛の鋳像」を造らせ、それを拝み始めます。かつて暮らしたエジプトでは、「雄牛」は、力と権威、豊穣と多産を象徴する「偶像神」でした。イスラエルの民は、神さまから“十戒(信仰者の行動基準)”を授かった直後に、「エジプト時代は良かった…」と、後ろを振り向いて偶像礼拝に走り、神さまに背を向けてしまったのです。
困ったときに自分の力で問題解決の努力をすることが「罪」なのではありません。ここでの神の民の問題点は、“出エジプトの旅”は、良い時も悪い時も、神の御手(慈愛)の内にあることを忘れて“神の時”を待てないことです。
モーセをリーダーに選び立てたのは神さまです。モーセは必ず戻ります。が、待てない。神さまとイスラエルの民は“契約関係”にありました。ところが、民は約束を守らない。神さまは激怒する。この怒りを神に選ばれた人モーセが必死に執り成します。
●9月6日 週報巻頭言 山田 幸男
✣ 十戒と十字架 ✣
モーセはシナイ山で神さまから“十戒”を授かります。この出来事は民族宗教としてのユダヤ教成立の起点を伝えています。
私たちキリスト者は、“モーセの十戒”を窮屈な戒めと感じ、どちらかというと、あまり聞きたくない御言葉に分類してしまうのではないでしょうか。「〜ねばならない」「べきだ」と押しつけがましく命じる戒めを、“喜びの福音”として受けとめられる人がいたら、牧師の私も、ぜひ弟子入りさせて欲しいものです。“十戒(シナイ契約)”は何を教えているのか? 諸説あるところですが、答えの一つは旧約聖書時代に生きた「信仰者の行動基準」を教えるものだということです(不信仰はシナイ…だからシナイ契約?)。白髭のおじいさんが子や孫たち(次世代のイスラエルの民)に、神さまに従う生き方の基本(十戒…契約)を教えます。
これを正しく理解する鍵は、出エジプト記19章にあります。出エジプトを体験した人々を、神さまが祝福する三つのキーワードに注目してください。【あなたたちは…わたしの宝となる…祭司の王国、聖なる国民となる(19:5-6)】。“十戒”を実践することは旧約時代の人々の信仰表現でした。では現代のキリスト者の信仰表現とは…? キリストに向き直り、神と人とを愛することです。“十戒”は“聖霊の力”で今も実現されます。
●8月30日 週報巻頭言 山田 幸男
✣ あなたのやり方は良くない ✣
モーセは人々の相談を受けるために、朝から晩まで忙しく働いていました。エトロ(妻の父親)が訪ねて来たのに、ゆっくり話をする間もありません。見かねたエトロが語りました。【あなたのやり方は良くない。あなた自身も、あなたを訪ねて来る民も、きっと疲れ果ててしまうだろう…。】(出エジプト記18:17)。
モーセが一人で頑張っていた理由。それはエジプトの統治体制の真似をしていたとも言われています。モーセは若い頃、エジプト王室で王子としての教育を受けました。エジプト王国の統治はファラオによる専制政治でした。エジプトの遺跡からは、ハムラビ法典のような法体系は発見されていません。すべての事案をエジプト王ファラオが決裁し、命令を受けた者によって実行されていたのです。
エトロはモーセに、預言者と管理者の役割を分離するように助言します。神を畏れ、不正を嫌い、誠実に仕える人々を民の上に立て、管理者の責任を委ねるよう提案したのです。エトロはミディアン人(異邦人)の祭司でした。妻の父親とはいえ、異教徒です。しかし、モーセはこの助言に耳を傾け、受け入れます。この先、モーセは管理者の務めを解放され、預言者の働きに専念します。良い助言者を持つ人は幸いです。キリスト者には最高の助言者“イエスさま”がおられます。
●8月23日 週報巻頭言 山田 幸男


