メインメニュー
インフォメーション
リンク
投稿者 : webmaster 投稿日時: 2025-09-28 17:36:41 (101 ヒット)

礼拝説教「主の訓練」  ヘブライ人への手紙(Hebrews)  12: 7-12
・text script(for printing) ← Click here
週報巻頭言「主の訓練」

  百獣の王と呼ばれる獅子(ライオン)は、母親がその子を谷底に突き落とし、子ライオンが、自力でそこから這いあがってくるように教育、訓練するといいます。それは、その子が大人になり強く生きてゆくために必要なことなのです。
  新約聖書のヘブライ人への手紙にもこれと同じことが書かれています。「わが子よ、主の訓練を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても力を落としてはいけない。なぜなら、主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである」(ヨブ5:17,箴言13:24ほか)
  神さまは、信仰者を試練や苦難を経験させることで、これを鍛えられ、強くしてくださいます。それゆえに、あなたがたはこれを訓練として耐え忍びなさい、とヘブライ書は勧告するのです。
  人生の荒波に呑まれそうになることが、私たちにおいてもしばしばあるものです。そのような時に、それを訓練として耐え忍び、あとで振り返って「あの時は大変だったが、あの経験があったから今の自分があるのだ」と言えるようになりたいものです。

●9月28日  週報巻頭言  牧師 木村一充



Today's Summary  " Training by the Lord "  by Rev. Kazu Kimura

   The lion, known as the king of beasts, is said to push its cubs down into the valley below, training them to climb back up on their own. This is essential for the cubs to grow strong and survive as adults.
   The same is written in the New Testament's Letter to the Hebrews: “My son, do not despise the Lord's discipline, and do not lose heart when he rebukes you. For the Lord disciplines those he loves, and he punishes everyone he accepts as a son” (Job 5:17, Proverbs 13:24, etc.).
   God refines and strengthens believers by allowing them to experience trials and hardships. Therefore, the Book of Hebrews exhorts us to endure these as training.
   Life's rough seas often threaten to swallow us whole. In such moments, we should strive to endure them as training, so that later we can look back and say, “Though it was difficult then, it was that experience that made me who I am today.”


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2025-09-21 17:31:56 (165 ヒット)

礼拝説教「迷い出た羊」  マタイによる福音書(Matthew)  18: 12-14
・text script(for printing) ← Click here
週報巻頭言「迷い出た羊」

  本日の「迷い出た羊」のたとえ話は主イエスが語られた譬え話でも一番短いものの一つです。ユダヤでは、羊がよく迷いましたが、それには理由がありました。パレスチナはその中央を丘陵地帯が縦走していますが、その幅はわずか3〜5キロで、牧草はそこにまばらに生えているだけであり、牧場を仕切る柵や擁壁はありませんでした。ゆえに、羊たちはしばしば迷い出てしまい、両側の峡谷に落ち込むことがあったのです。そうなると、俊敏でない羊は身動きが取れなくなり、そのまま死んでしまうことも少なくありませんでした。
  そのような迷い出た羊を探し出す仕事を担ったのが羊飼いでした。イエスの時代のパレスチナでは、通常、羊は個人のものではなく村全体の所有物だったため羊飼いは一人でなく、二人または三人が共同で見張り役をつとめました。そのため、九十九匹の羊を残して、迷い出た一匹の羊を探し求める働きを担う羊飼いを立てることができたのです。本日の聖書は、イエスがそのような迷い出た羊を探し求めるよき羊飼いであることを示しています。

●9月21日  週報巻頭言  牧師 木村一充



Today's Summary  "the Lost Sheep" by Rev. Kazu Kimura

   Today's parable of “the Lost Sheep” is one of the shortest parables told by the Lord Jesus. In Judea, sheep often strayed, and there was a reason for this. Palestine is traversed by a central ridge of hills, only 3 to 5 kilometers wide, where sparse grass grew. There were no fences or retaining walls to enclose the farms. Consequently, sheep often strayed and fell into the valleys on either side. Once there, slower sheep often became trapped and unable to move, frequently perishing.
   The shepherd was the one tasked with finding such wandering sheep. In Palestine during Jesus' time, sheep were typically not privately owned but belonged to the entire village. Therefore, shepherds did not work alone; two or three would share the duty of watchfulness. This allowed them to appoint one shepherd to leave the ninety-nine sheep and go in search of the one that had gone out. Today's Scripture passage shows that Jesus is that good shepherd who seeks out the wandering sheep.


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2025-09-14 18:21:27 (168 ヒット)

礼拝説教「白髪になるまで」  イザヤ書(Isaiah)  46: 1-4
週報巻頭言「白髪になるまで」

  本日は、高齢者祝福礼拝として礼拝をささげます。旧約聖書に登場する信仰の父祖たちの亡くなった年齢を調べてみると、みな相当に年老いてから召されています。このことは、旧約聖書の著者たちが、長寿を主なる神からの祝福の結果であると 考えていたことを示しています。ただ、長く生きればよいというわけではありません。召されるその時まで、神によって持ち運ばれたことが大切なのです。
  本日のイザヤ書46章には、「ベル」や「ネボ」という名前の神が登場します。これらはバビロンの神々ですが、祭りの際に、それら青銅の像が荷車に乗せられ家畜によって運ばれました。しかし、その重さに耐えかねて家畜たちが倒れると、神々の像も一緒に倒れ伏したとあります。国家を守るバビロンの神々が、お祝いの儀式の最中(さなか)に、獣たちと一緒に倒れる様子は、滑稽にすら思えます。イザヤは、イスラエルの神が「持ち運ばれる神」ではなく、逆にイスラエルの民を白髪に至るまで持ち運ぶ神であることを、明らかにするのです。本日は、この箇所から神の言葉に聞いてゆきます。

●9月14日  高齢者祝福礼拝  週報巻頭言  牧師 木村一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2025-09-07 17:36:40 (164 ヒット)

礼拝説教「助け起こす祈り」  使徒言行録(Acts)  9:10-15
週報巻頭言「助け起こす祈り」

  本日の聖書箇所である使徒言行録9章には、「サウロの回心」と呼ばれる出来事が記されています。サウロは、教会の迫害者としてシリアの諸教会あての書状を手にしてダマスコに向かいます。そこのキリスト者を捕らえて、エルサレムに連行するためでした。
  ところが、その途上で、彼は復活の主に出会います。サウロは道に倒れ、「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか?」というイエスの声を聞くのです。このあと、サウロは目が見えなくなります。
  さて、ダマスコにはアナニアという信仰者がいました。主はアナニアに声を掛け、「立って、『直線通り』と呼ばれる通りへ行き、サウロという名のタルソス出身の者を訪ねよ。彼は、祈っている」と言われます。アナニアは、サウロがどれほど教会を迫害してきたかを知っていたため、難色を示しました。しかし、主は「あの者は、わたしが選んだ器である」と言われるのです。敵対者であっても、助けるようにと主は言われたのです。本日は、このアナニアの祈りに注目しつつ、神の言葉に耳を傾けたいと思います。

●9月7日   週報巻頭言  牧師 木村一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2025-08-31 18:03:21 (209 ヒット)

礼拝説教「強く雄々しくあれ」  ヨシュア記(Joshua)  1: 5-9
週報巻頭言「強く雄々しくあれ」

  本日の聖書箇所である「ヨシュア記」は、モーセの後継者となったヨシュアが主の助けと導きによってイスラエルの民と共に約束の地カナンに入り、そこの先住民と戦って勝利し、カナン全土を征服して、ユダ、エフライムなどの9部族とマナセの半部族にこの地を相続地(嗣業の地)として割り当てた45年間の歴史を書き記す書物です。モーセは、神が言われた通り約束の地に入ることができず、ピスガ山(死海の北部、ヨルダン川東の山地)の山頂で、約束の地を眼下に見ながら召されてゆきました。まだ目もかすまず、気力も衰えていなかったと聖書は書きます。しかし、命を与えまた取られるお方は神さまです。出エジプトの事業は、ヨシュアに引き継がれました。
  しかし、カナン侵攻がどれほど困難な事業であるかをヨシュアは分かっていました。指導者が動揺したり、たじろいていては、民の士気が上がりませんが、ヨシュアもまた弱さを抱える人でした。そのようなヨシュアに、「強く雄々しくあれ」との主のみ声がかけられます。今朝は、ここからみ言葉に耳を傾けます。

●8月31日   週報巻頭言  牧師 木村一充


« 1 (2) 3 4 5 ... 166 »

日本バプテスト連盟   栗ヶ沢バプテスト教会

  〒270-0021 千葉県松戸市小金原2-1-12 TEL.047-341-9459


 栗ヶ沢バプテスト教会 Copyright© 2009-