✣ 希望の光を灯す ✣
講壇横に立てられたアドベント・キャンドル(四本)すべてに“明かり(光)”が灯りました。今週金曜日は“キリスト降誕日”です。もし私たちの心に“明かり(光)”が灯らなければ、どんなに立派なクリスマスの飾りつけをしても虚しいだけです。四本のキャンドルの“光”は小さな明かりに過ぎませんが、これには意味があります。
私はこの“小さな光”を新約聖書の言葉(1コリント13:13)に重ねて、“信仰の光(信じる心)・希望の光(諦めない心)・愛の光(受けるより与える心)”と見立て、更に馬小屋に生まれた“救い主(イエスさまの光)”を加えて、クリスマスを迎える“準備の光”に位置づけています。“光”は不思議です。どんなに小さくても、闇が深い程、周囲を明るく照らします。“光”の大小は問題ではありません。“光”は見えない世界を見えるようにします。“イエスさまの光”は私たちに“神の視点”を与えてくれます。
ところで、あなたの“心の光”は、今、輝いていますか? よく分からないと言う人に“心の光”を灯す方法を伝授します。
二千年前、ベツレヘムの馬小屋に生まれたイエスさまを、あなたの心に受け入れるのです。イエスさまの輝きがあなたの“心の光”を灯してくれます。イエスさまの愛があなたの心を明るくします。
●12月20日 週報巻頭言 山田 幸男
✣ 見よ、神の小羊だ ✣
洗礼者ヨハネの前にイエスさまがあらわれました。ヨハネは自分の方へ向かって来るイエスさまを見て、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」(ヨハネ1:29)と叫びました。
ヨハネ福音書によると、洗礼者ヨハネは、“すべての人を照らすまことの光”であるイエスさまが来ることを、人々へ知らせるために神さまから遣わされた人だと紹介されています(1:6-8)。洗礼者ヨハネは、自分が主役(救い主)ではないことをわきまえていました。イエスさま登場のとき、このように良い働きをした脇役がいたのです。
来週は教会行事の中で最大のイベント『クリスマス(降誕祭)』です。『クリスマス』は、クリスチャンだけのお祭りではありません。世界中のすべての人に与えられた“喜び”です。この季節、商店街はクリスマス・セールでにぎわっています。この光景に、まじめなクリスチャンは、「本当の意味がわかっていない」「名ばかりのクリスマスだ」と、正論を盾にして目をつりあげます。でも、クリスチャンが恐い顔をしていたら、教会には誰も来なくなってしまいます。むしろ洗礼者ヨハネのように、クリスチャンは商店街へ入って行き、『クリスマス』の“本当の意味”を知らせるのです。
神さまはすべての人を“喜びの宴”へ招いています。喜ぶ人は“微笑み”ます。“微笑み”が神の力を発揮します。
●12月13日 週報巻頭言 山田 幸男
✣ 言(ことば)と命と光 ✣
世界で最初のクリスマスをお祝いしたのは、マリアとヨセフ、野宿していた羊飼いたち、そして東の方から来た占星術の学者たちでした。彼らは天からのメッセージを“信じた”という点で共通していました。
マリアは天使による“受胎告知”を信じました。ヨセフは夢の中で天使が告知した“恐れるな”というメッセージを信じました。羊飼いたちは徹夜で羊の群れの番をしているとき、天使が近づいて来て宣言した“今日ダビデの町に救い主がお生まれになった”というメッセージを信じました。羊飼いたちは仕事を中断してベツレヘムへ向かいました。一方、占星術の学者たちは、夜空に輝く星(天上の不思議な光)に導かれ、遠い旅路を経て、粗末な家畜小屋で探していた救い主に出会いました。
マリアとヨセフ、羊飼いはイスラエル民族(神の選民)です。天からのメッセージを“神のご計画”と信じるのは当然です。しかし、占星術の学者たちは異邦人(ペルシャ人で偶像礼拝の民)なのに信じた。当時、選民と異邦人の間に深い溝がありました。
ところが、世界で一番初めにお祝いされたクリスマスでは選民と異邦人が一緒に喜んでいたのです。あれから二千年、キリスト降誕物語は現代社会へ問いかけます。“光”はすべての人を包む…
●12月6日 週報巻頭言 山田 幸男
✣ 聞くと言ったのに ✣
ついにエルサレム陥落のときが来ました(前587年、或いは586年)。南ユダ王国の人々は、一部の貧しい民を残し、バビロン帝国へ捕囚民として移送されます。このとき、預言者エレミヤも一緒に連行されました。
ところが、バビロン王ネブカドレツァルは側近にエレミヤの鎖を解くように命じます。王はエレミヤを親バビロン派の預言者とみていました。また、廃墟となったエルサレムとユダの地復興のために、バビロン王からユダ総督に任命されたゲダルヤも、親バビロン派の捕囚民とみなされていました。総督ゲダルヤはユダの地に残った貧しい同胞と共に生活復興に努めます。鎖を解かれたエレミヤは、バビロンへ行って特別待遇を受けることもできたのですが、敢えてユダの地に残った同胞と共に生きることを選びます。彼は最後まで、「不信仰な神の民」のために、神によって派遣された預言者であり続けました。総督ゲダルヤと預言者エレミヤに支えられたユダの地の復興活動が始まると、荒れ野から戻って来た敗残兵たちが(彼らは反バビロン派=親エジプト派)がクーデターを起こし、ゲダルヤを暗殺してしまいます。
この騒動はバビロン王の知る所となり、王の怒りを恐れた者たちは、エレミヤに神さまから祝福される道を示して欲しいと懇願します。が、エレミヤが示した神の声は、彼らの思いとは違っていました。
●11月29日 週報巻頭言 山田 幸男
✣ 愚かに見える優れた希望 ✣
聖都エルサレムは近い将来バビロン帝国に占領される…ゼデキヤ王は捕えられユダ王国はこの戦争に負ける…エレミヤは人々の期待に反する預言を語り続けました。民衆のみならず、王まで怒らせた預言者エレミヤは、ついに宮殿の獄舎に拘留されてしまいます。エルサレム陥落の1年前のことでした。
その獄舎をエレミヤの親戚の者が訪ねます。親戚の者は、獄中のエレミヤに郷里の土地を買い取って欲しいと申し出ます。バビロン軍に占領されそうな現実を考えれば、土地を買うのはまったく無駄なこと。ずる賢い親戚が、まじめな親族を騙しているようにも思えます。預言者エレミヤが、どれほど神に従順で無垢な人であったとしても、この話を了解するのは馬鹿げていることに気づいたはずです。ところが、エレミヤは、これを“神の啓示”と信じて了解します。代価を支払い、証書を記し、証人を立て、正式な売買契約を実行します。
作成された証書はエレミヤの弟子バルクに託されます。この行為には深い意味がありました。エルサレム周辺の土地は、一時、敵に奪われるが、時が来れば再び戻される。これは70年後の“イスラエルの繁栄回復”を象徴する預言的行為でした。
●11月22日 週報巻頭言 山田 幸男