✣ ローマ帝国崩壊の預言 ✣
『ヨハネの黙示録』が書かれた時代は、ローマ帝国の最盛期でした。「すべての道はローマに通ず」と言われ、皇帝は絶大な権力を握り、ローマは世界の中心であり、帝国はいつまでも安泰だと誰もが思っていました。ところが、その帝国の終焉(しゅうえん)をヨハネは幻で見たのです。その様子を『黙示録18章』が伝えています。
《天使は力強い声で叫んだ。「倒れた。大バビロンが倒れた》(黙18:2)。
《大バビロン》とは、かつてイスラエルの民を支配したバビロン帝国のことですが、ここでは「ローマ帝国」を指しています。バビロンもローマも、神の前では《大淫婦》(黙17:1)であり、その不貞行為は神に裁かれます。ヨハネはそれを見たのです。
確かに「ローマ帝国」は滅びました。今はありません。ではなぜ「ローマ帝国」は滅びた(神に裁かれた)のか。理由は明白です。“神の御心”に反することを続けていたから。“神の怒り”を招く行為をやめなかったからです。国家繁栄は悪ではありません。しかし、その繁栄が、「むさぼり」「上から目線の優越感」「自分の腹を神とする」等、《さもしい精神》が土台なら衰退は必然です。実際、洋の東西を問わず、歴史が証言している通りです。『黙示録』が伝える“神の裁き”は、繁栄を謳歌する現代社会も、決して他人事ではありません。
●5月8日 週報巻頭言 山田 幸男
✣ 赤い竜の幻 ✣
神の僕ヨハネ(黙1:1)は、エーゲ海に浮かぶパトモス島に監禁されていました。苦難の中で、彼は心を静めて“神の言葉”に耳を傾けます。この時、彼は、「神さま、なぜ私はこんなひどい仕打ちを受けなければならないのか…」とは祈らなかった、と私は想像します。なぜなら、彼は神の僕です。むしろ、「神さま、お話しください。僕は聞いています(サムエル上3:10)」と祈ったのではないかと考えます。神は彼の祈りに答えて、“特別な幻”を見せました。その幻は1世紀末の七つの教会の人々だけでなく、時間空間を超えて地上のすべての教会の人々(神の僕)へ“希望と忍耐”を伝えるメッセージとなり、今へ至っています。
黙示録12章は“子を産む女”と“赤い竜”の幻の描写です。前者は「当時の教会」を、後者は「ローマ帝国」を象徴します。天上の戦いでは、女は天使に守られ、竜は戦いに敗れて地上へ投げ落とされます。礼拝する人々(教会)は守られるが、悪の勢力(自ら神と称し、神に敵対する者)は容赦なく裁かれると記されています。しかし喜ぶのは早計です。七つの教会の人々は、今は地上にいます。地上に落とされた“竜”はまだ滅ぼされていません。神が地上の教会の人々を守る場所は“荒れ野”(12:14)。神以外に頼る手立ての無い所です。かつてのイスラエルの民の歩みが重なります。
●5月1日 週報巻頭言 山田 幸男
✣ 小羊の血と白い衣 ✣
『ヨハネの黙示録』は新約聖書27巻の一つで立派な正典です。しかし独特な表現が多いので、福音書や書簡のように気軽に読めません。信仰の先輩方は、読みにくい正典をどう読み解いたのでしょうか。これまでに4通りの読み方がなされたようです。
1) 過去主義から読む
…黙示録の内容は、これが記された時代(1世紀)だけの事で、ローマ帝国と教会の激闘を描くとする説。この読み方は黙示録の預言的部分が欠落する。
2) 歴史主義から読む
…使徒時代から世の終わりに至るまで、教会が歩む全過程を示すとする説。しかし、解説者によって解釈が違うので、偏った歴史観に陥る危険を含む。
3) 未来主義から読む
…4章以降が歴史の終末を語ることに注目し、患難期から千年王国へ、更に最後の審判、新天新地へと終末への流れを把握する説。これは預言的信仰に立つものの、七つの教会(1-3章)の現実的課題への見解は置き去りにされている。
4) 理想主義から読む
…いつの時代にも起こり得る「悪の勢力と教会との闘い」を象徴的に語るとする説。神の統治原理が明らかにされ、信仰的に生きることを強調する。これはよく好まれる読み方だが、黙示録の預言的、歴史的な読み取りは希薄になる。
さて、私たちは『黙示録』をどう読むか? もちろん自由です。ただし「御言葉が心に響く」読み方にこだわります。
●4月24日 週報巻頭言 山田 幸男
✣ 七つの封印をひらく ✣
『ヨハネの黙示録』は難解で親しみにくいかもしれません。しかし、今から二千年昔、これを受け取った初代の教会の人々は、『喜びの知らせ(福音)』として読み解きました。文明が遥かに進んだ時代を生きる私たちに理解できない内容を、なぜ1世紀末の人々は“希望”として理解できたのか。
あの時代と現代とでは、生活環境に大きな違いがあります。つまり、見ている景色が違うのです。当時の人々がどんな景色を見ていたかを知ることなしに、彼らが満たされた“希望”を知ることはできません。
では、どうすれば分かるのでしょう。
まず、「旧約聖書」を読むこと。次に時代背景を知る。当時の人々と同じ景色を見るようにする。たとえばユダヤ教の大祭司はどんな格好をしていたか、旧約時代の神殿の形態や、そこには何が置かれていたか、また当時の教会にはどんな課題があったのか、それを知るのです。これが『黙示録』の絵画的表現や象徴的記述を解く鍵です。
初代の教会の人々は、その時に見ていた景色から『黙示録』のメッセージを“希望”として受けとめました。彼らは現代人よりも「聖書」に精通していました。現代人は何でも知っているつもりでいますが、もっと謙虚に聖書に聞くべきです。知らないことは知るように努める。そうすれば“隠された希望”が見えて来ます。
●4月17日 週報巻頭言 山田 幸男
✣ 限りなく美しい世界 ✣
4〜5月の礼拝では聖書教育誌のカリキュラムに従い、「未来に目を向けて」のテーマで『ヨハネの黙示録』を読みます。『黙示録』については、「何を言っているのかさっぱり分からない」と嘆く人もいます。でも『黙示録』が新約聖書の一書物である以上知らん顔で放っておくことも出来ません。
『黙示録』にアレルギーを感じる人は、考え方を変えてください。「分からないから読まない」のではなく、「分からないからこそ、分かるようになるために読む」のです。
初代教会のキリスト者たちは、『黙示録』を“キリスト再臨を預言する良き知らせ”として読み、ローマ帝国による弾圧下で、希望に満ちた信仰の歩みを続けたのです。
『聖書を読んで、本当にアーメンと言えるようになるためには、聖書を書いた人と同じような生き方をしなければならない。黙示録が迫害の中にある人たちに書き送られたものであるなら、私たちも迫害を受ける程、信仰生活に徹し…なければならない。黙示録が私たちの信仰の糧となるためには…日々おのが十字架を背負って…という道を歩んでいかなければ黙示録は理解出来ない。黙示録が私たちにとって、どんなに慰め…励ましの言葉であるかは、私たち自身の生き方による…。』(榎本保郎著「新約聖書一日一章」545頁)。『黙示録』…未知の世界を読み解いていきましょう。
●4月10日 週報巻頭言 山田 幸男