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投稿者 : webmaster 投稿日時: 2017-11-02 20:31:45 (933 ヒット)

✣ 復活を否定する人々とイエス ✣

    復活を否定する人々がイエスさまに近寄り、あれこれ質問しました。イエスさまは、「復活するのにふさわしいとされた人々」のことを告げ、その人たちは「天使に等しい者」「神の子」であり、あなた方とは違うと突き放しました。
    同じ話がマタイとマルコの福音書にもあります(マタイ22章、マルコ12章)。そちらでは、直後に【最も重要な掟(神と人とを愛せよ)】が記録されています。
    「あなたは全人類を愛しますか?」と問われたら、「はい、愛します」と誰もが答えるでしょう。しかし、「今、そこにいる人を愛しますか?」と問われたら事態は一変します。現実を直視させられるからです。
    復活を否定する人々に、イエスさまは神の絶対恩寵(最後の審判後の世界)を語る。人の理解を超えた雲の上の世界の話です。飛行機で雲の上を飛んだことのある方はご存知でしょう。眼下の雲が太陽の光を反射、眩しい銀世界が広がる。夜は満天の星空。雲の下では人々が雨風に悩まされている。でも、雲の上はいつも穏やかです。
    イエスさまがいる所。そこは地上の条件に縛られない世界(神の国)だ、と聖書は教えます。すべて任せてよい世界がある。あなたも絶対恩寵の対象です。イエスさまがあなたを招いています。

●11月5日 召天者記念礼拝 週報巻頭言  山田 幸男(前・栗ヶ沢バプテスト教会 牧師)


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2017-10-26 19:35:05 (981 ヒット)

✣ 沈黙の神様 ✣

    一切皆苦。生も苦、老いも苦、病も苦、死も苦。人生は苦しみの連続です。せめて「苦しみ」の根源的な原因がわかれば慰めにもなり、解決策も立てられるのですが、思い通りにならないのが「苦しみ」です。
    人生の「苦しみ」に対する最も原始的で直感的、かつ数多の宗教が主張する解答が「因果応報論」です。「悪い行い」をすれば、「悪い報い」として、病気や事故、身内の不幸、その他あらゆる災いと苦難がやってくる、という考え方です。この思想の危険性は、「幸福な人」には「善い行いの結果、今の幸いがある」として、権力者の蛮行や金持ちの悪行を正当化すること、また、苦しむ弱者には「悪行の結果、今の苦しみがある」と迫り、さらに多大な苦しみを負わせて憚らないことにあります。人は罪ある自己中心的な動物ですから、自分を甘やかし隣人を裁くために、この因果応報論を都合よく用いるのです。神様の愛から離れ、隣人愛から離れ、弱者を裁き、自分の悪行を正当化する。新約聖書における祭司や律法学者、ヨブ記におけるヨブの友人たちの態度がまさにこれでした。因果応報論に基づく彼らの主張は直感的でわかりやすく、また正当なように思えます。しかし、それは神様の御心なのでしょうか。
    イエス様は明確に答えておられます。「(この人が苦しむのは)本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。(ヨハネ福音書9:3)」今回は、ヨブ記からこの「人生の苦しみ」について聞きたいと思います。

●10月29日 週報巻頭言  教会員A


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2017-10-19 18:50:48 (1507 ヒット)

✣ 「わたし」のもとに ✣

    本日のメッセージ主題は「『わたし』のもとに」です。その「わたし」と言われるお方について、共に聞き、共に出会って行きたいと思っています。一方、そのメッセージを取り次ぐ私は何者なのか、その自己紹介をいたします。
    私は福岡県の久留米キリスト教会の牧師家庭にて生まれ育ちました。ゆえに神の存在を絶対的価値として抱き、11歳の頃にバプテスマを受けクリスチャンとなりました。教会という場所が家庭であり、教会員は家族でした。両親はもとより、私を囲む多くの信仰者の生き方から多くのことを学び、そこに神存在のリアリティー、そして十字架の主イエス・キリストの救いを確信して、今日まで歩んできました。途中「牧師にだけはならない(なれない)」と豪語していた私でしたが、大学浪人期の19歳の時に「神学校に行きなさい」との招きが胸に響き、献身、そして21歳で神学校の道に進みました。それは私の思いではなく、「わたし」たるお方の御計画であったと信じます。26歳で神学校の学びを修め、函館6年、別府12年半、そして現在の相模中央教会での務めにあたらせて頂いています。
    牧師としての最大の喜びは、何よりも「バプテスマ」です。一人の人がイエス・キリストに救われること、これ以上の喜びはありません。一期一会、主が設けてくださった皆様とのかけがえのない出会いに感謝し、私ではなく「わたし」たるお方との出会いのみが皆様の心に記憶されることを願い、ご奉仕させて頂きます。

●10月22日 週報巻頭言
 秋の特別伝道礼拝 講師 吉田 真司(相模中央教会牧師)


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2017-10-12 19:14:12 (993 ヒット)

✣ 嵐の中で聞く神の声 ✣

    理不尽な理由でサタンと神の賭けの対象となったヨブ。「罪もない私に苦しみを与える神とは一体何者か」とヨブは激しく問い続けます。しかし神は沈黙されて答えません。
    その神がついに嵐の中からヨブに答えられます。「これは何者か。知識もないのに、言葉を重ねて、神の経綸を暗くするとは」「わたしが大地を据えたとき、お前はどこにいたのか」ヨブは逆に神に問われてしまいます。
    わたしはお前の全てを知っているが、お前は私の何を知っているのか。自分の小さな知恵の故に悩んだり、疑ったりして生きているのはどうしてか。さあ目を開いてわたしの創造の業、この美しい世界を見よ。わたしはこの全世界と同じだけお前を愛している。神はご自身をヨブに示して下さいました。
    「なぜですか」の答えではないけれど、神の声を聞くことによって、ヨブは心から悔い改め、「主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」という心を取り戻しました。まさに神がサタンに勝利した瞬間です。
    栗ヶ沢教会では新しい牧師を求める日々が始まりました。自分の望みばかりを述べ立てず、時には黙して神の言葉を聞きたいと思います。

●10月15日 週報巻頭言  教会員  箕輪 治子


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2017-10-05 18:48:07 (920 ヒット)

✣ 絶望から希望へ ✣

    ルツ記は士師記と同じ時代を背景にしていますが、士師記とは対照的に、ルツ記の明るさは心を和ませます。
    ルツ記のテーマは、第一は混乱の時代に生きた、神と人に忠実な人物を示す事です。主人公のルツは、異邦人モアブの女性で、姑のナオミの信じる主なる神を自分の神と信じ、ナオミの民ユダを自分の民として、故国モアブから、ベツレヘムにやって来たのです。
    第二は神の深いご計画です。ルツは「たまたま」ボアズの畑に導かれ、彼と結婚します。彼は「買い戻し=贖い」の権利を持つエリメレクの親戚でした。そして外国人ルツとの間に子孫としてダビデ王が生まれ、更には主イエスがお生まれになったのです。
    ルツ記はまた、美しい愛の物語とも言えます。その一つは、ナオミとルツの姑・嫁の愛であり、もう一つは、ボアズとルツの男女の愛です。
    更には、姑ナオミの「行きて帰りし信仰物語」と言えるかと思います。
    御教会は10月から新しい信仰の旅路が始まりました。旅路には困難や試練が伴うかも知れませんが、必ず主は解決の道を与えて下さると堅く信じて歩みたいものです。

●10月8日 週報巻頭言  平山 公司(アーク福音ミニストリー 牧師)


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