✣ 主イエスに結ばれた者として ✣
現代社会が抱える問題の一つに「無責任」があります。政治、経済の世界で、教育、医療、福祉の現場で、他にもさまざまな場所で「無責任」がまかり通っています。
「ケシカラン!」と叫ぶ私たちも、知っていながら知らないふりをする、自分のことは棚に上げて人を責める、上辺をつくろって済ませる等、家庭で、職場で、学校で、或いは教会で、自分の果たすべき務めを、いい加減にしていないでしょうか。
「現代は、先が見えない不安な時代だからやむを得ない…」という人もいます。しかし、こういう時代だからこそ、“真実の光”が必要ではないでしょうか。
では、“真実の光”を世に届けるのは誰か? 聖書は、神の手足として召し出された“キリスト者”だ、と言っています。ところが、“キリスト者”の福音理解が不十分、言動が「俗人」と変わらない…これでは“真実の光”は輝きません。
使徒パウロは、初代教会のそのような“キリスト者”に対して、【あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者になりなさい】(エフェソ5:1)と厳しく戒めました。
旧約聖書「士師ギデオン」の晩年の物語は、立派な実績を残した信仰の人も、例外なく「世俗化」する教訓を伝えています(士師記8:27)。牧師退職に際し、私はこの物語を心にしっかり刻もうと思います。
●9月24日 週報巻頭言 牧師 山田 幸男
✣ 神と共に豊かに生きる ✣
今回の青年が作る礼拝は「神と共に豊かに生きる」をテーマにしております。私たち青年会は、新約聖書(ルカ12:13-21)のみ言葉と、それぞれが持ち得た知見を通して、このテーマについて考えたいと存じます。
イエス様のみ言葉である上記ルカの福音書では、「自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」とありますが、イエス様がご降臨される以前の記録である旧約聖書においても、「あなたは、『自分の力と手の働きで、この富を築いた』などと考えてはならない。むしろ、あなたの神、主を思い起こしなさい。富を築く力をあなたに与えられたのは主であり、主が先祖に誓われた契約を果たして、今日のようにしてくださったのである。」(申命記8:17-18)とあり、謙虚な気持ちで主と向き合うことが説かれています。
世界では、軍事力による国家間の挑発行為、宗教の名を騙って行われる弱者への暴力、多民族国家の中の国なき民の問題、依然存在感を示している自民族中心主義等々、心が痛むことや不安にさせることは枚挙に暇がありません。
しかし、そのようなときであるからこそ、苦難に苛まれる人々に心を寄せるとともに、今一度イエス様のみ言葉に立ち返り、主との向き合い方を見つめ直すときなのではないかと信じます。
●9月17日 青年がつくる礼拝 週報巻頭言 教会員 T. Y.
✣ あなたのその力で行け ✣
イスラエル12部族の一つマナセ族のエピソードです。神の民はカナン地方を荒し回る遊牧民(ミディアン人、アマレク人)の襲撃に苦しめられていました。そのとき、主の御使いが【ギデオン:「伐採者」「切り裂く」の意味】に、神の民を救う指導者になるように告げました。ギデオンが酒ぶねの中で小麦を打っているときのことでした。
本来、小麦は高台の広場で打つものです。ギデオンは遊牧民を恐れ、隠れて仕事をしていたのです。そんな臆病な男に、御使いは、【勇者よ、主はあなたと共におられる】と語り、“神の働き人”へ招きます(士師記6:12)。
ところが、このときギデオンは即座に応答しません。戸惑い、従えない理由を並べます。
新約聖書・福音書のキリスト降誕物語で、イエスさまの母となるマリアは天使の御告げを受けたとき、同じように戸惑いました(ルカ1:28-29)。
しかし、マリアは【神にできないことは何一つない】(ルカ1:37)との天使の宣言を受けて、その後の歩みを“神の御手”に委ねました。
一方、ギデオンは、最終的には神に従いますが、従う前に【しるし(証拠)】を求めます。納得できたら従うというのです。【しるし】は何度も示されました。こうして臆病な男は、【…ミディアン人を…打ち倒すことが出来る】(6:16)の預言を信じ、神の力を知る人(士師ギデオン)になっていったのです。
●9月10日 週報巻頭言 牧師 山田 幸男
✣ 神々の罠 ✣
旧約聖書・士師記(ししき)は、モーセの後継者として活躍したヨシュアの死から始まります。年代は紀元前12-10世紀(今から3200年程昔)。選民イスラエルの歴史を伝えます。その頃、選民を統一する指導者はおらず、統治機構も首都と呼ぶ中心地もありません。イスラエル12部族は、それぞれ独立行動をしながら、ゆるやかな連合体として歩んでいました。
士師記は、その時代に神に選び立てられた12人の【士師:さばきづかさ】の活躍を伝えます。今月の説教では弱小部族(マナセ族)の勇者ギデオンに注目します(6-8章)。【士師】は中国語に由来、旧約原語では“ショフェテイーム(「治める」「さばく」)”が書名です。イスラエルに王制が誕生するまでのリーダーを【士師】と呼び、地方分権を基本とする部族体制と、その後の中央主権的王制との違いを表します。ヨシュア記を「勝利の書」とするなら、士師記は「失敗の書」とされます。理由は、選民が神(ヤハウエ)に背き、カナンの神々に心奪われ、堕落した姿を繰り返し伝えるからです。背信⇒さばき⇒懇願⇒救出。…喉もと過ぎれば再び背信!
堕落と悔い改めを繰り返す選民。彼らは他国を真似て諸部族を治める王を強く求めるようになります。しかし、士師記の強調点は、選民は何度も神を捨てたが、神はその民を見捨てなかったことです。
●9月3日 週報巻頭言 牧師 山田 幸男
✣ バベルの塔と世の混乱 ✣
箱舟によって洪水の危機を免れたノア。その後、三人の息子セム、ハム、ヤフェトが系図を受け継ぎます。アダムからノアまでが10代、ノアの息子セムからアブラム(アブラハム)までが10代です。
こうして、創世記の原初史(1-11章の創世神話)は、イスラエルの民が「信仰の父」と仰ぐ族長アブラハムの生涯へ至ります。
族長アブラハムを目指す系図の途中で起きた重大なエピソードを【バベルの塔】の物語が伝えます。この物語は、天地の創造主(神:ヤハウエ)と共に歩むイスラエルの民にとって、彼ら自身の「立ち位置」を諭す“信仰の物語”です。
かつて人々は【…同じ言葉を使って、同じように話していた】(創世記11:1)。
ところが、優れた技術や知恵を手にした人々は、自ら神のようになろうとして、天をめざし、大きな塔を建て始めた。このとき、神は人々の言語を乱し、意志の疎通が出来ないようにして人々を散らし、愚かな行為を止めさせた、というのです。
【バベルの塔】物語は神の民が抱く疑問に答えます。一つは、神の民とは違う文化圏の人々がいて、違う言葉を話す謎。もう一つは、古代中東に実在したジグラット(高塔神殿)の謎とその顛末。かつて、人々が【神の門(バベル)】と呼んだ場所から、世界の【混乱(バラル)】が始まったという教訓です。
●8月27日 週報巻頭言 牧師 山田 幸男