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投稿者 : webmaster 投稿日時: 2017-05-25 19:56:56 (861 ヒット)

✣ 思い上がるな ✣

    使徒パウロは同胞(イスラエルの民)がキリストに結ばれることを切実に願っていました。【わたしには深い悲しみがあり、…心には絶え間ない痛みがあります】(ロマ9:2)と、同胞への思いを綴っています。「神の選民(イスラエルの民)の堕落」と「異邦人の救い」をパウロは雄弁に語ります。「ローマの信徒へ手紙 9〜11章」に記された内容を大胆に要約してみました。

1)パウロの同胞は“神に選ばれた民”
    選民の特権は取り消されない(11:29)。しかし、選民の歴史は、選民の中の“神に忠実な人々”が祝福を受け継いだと伝えている。

2)神は“異邦人”も祝福する
    神は、神に背を向けた選民を反面教師として“救い”を異邦人に向けた。異邦人の中にも神に従う人々がいる。パウロは、そのような異邦人へ福音を宣べ伝える使徒とされた。

3)選民は“砕かれた心”を回復せよ
    律法によって神の御心を知るも、それを実行しない選民がいた。一方、熱心に実行して自己陶酔し、他者を裁く選民もいた(かつてのパウロ)。選民は異邦人から「軽蔑」された。

4)異邦人は“接ぎ木された枝”
    「選民の堕落」「異邦人の救い」は神の計画。選民は再び神に立ち返る(11:32-33)。異邦人は、“接ぎ木された枝(11:24)”に過ぎないのだから、高ぶるな。神を恐れよ。

●5月28日 週報巻頭言  牧師  山田 幸男


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2017-05-18 19:08:05 (801 ヒット)

✣ キリストに結ばれる幸い ✣

    「ローマの信徒への手紙(ローマ書)」は、使徒パウロが伝道旅行中にコリントの町(今のギリシャ南部)で記したと伝えられています。この手紙の冒頭には、世界の中心地ローマへ行き、伝道したいとのパウロの熱い思いが記されています(1章)。自己紹介に続いて、パウロが体験した福音の力、信仰義認やバプテスマの意味、更にキリスト者の新しい生活について、たたみかけるように綴(つづ)られています。
    「ローマ書」は「難しいから嫌い!」という人もいます。その気持ち、私も分かります。今は講壇から説教を語る私も、かつてはそうでした。しかし、伝道者になる召命を受けたら、「嫌いだから読まない」では通りません。
    そんなわけで、“強いられた恩寵”として神学生時代に「ローマ書」を何度も読みました。不思議なもので、繰り返し読むうちに面白さがわかるようになりました。心に響く御言葉と出会いました。その一つが8章28節。【神は、神を愛する者たち、すなわちご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにしてくださることを、わたしたちは知っています】(口語訳)。
    神学校卒業後、赴任した教会の礼拝堂正面に、この聖句が掲げてありました。新米牧師は大いに励まされました。32年後の今も、私を力強く支える御言葉です。

●5月21日 週報巻頭言  牧師  山田 幸男


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2017-05-11 19:17:55 (921 ヒット)

✣ 死んで生きる ✣

    バプテスト派の教会では、バプテスマを「洗礼」ではなく「浸礼」と呼びます。全身を水に沈めます。これは死と復活の象徴です。即ち、古い人は十字架のキリストと共に葬られ、復活のキリストと共に生きる新しい人になるのです。
    バプテストとは「浸礼を受けた人」という意味です。バプテスト教会は新しくされた(死んで生きる)人々によって構成されます。特徴はバプテスマの形式(浸礼)だけでなく、復活のキリストと共に生きる“証し(応答する信仰)”です。“証し”はキリストを伝える最善の方法です。
    そうは言っても、バプテスマを受けたら一足飛びにすべて新しくなる訳ではありません。新しい生活が始まると、脇目も振らずゴールに向かって全力疾走する人もいれば、マラソンのように着実に進む人もいます。ゆっくり歩いて行く人、疲れて休む人、その人を介抱して一緒に行く人もいます。間違えないでください。新しい生活は競争ではありません。
    進み方は違っても、皆、復活のキリストと共に新しい命を生きている。ここに“バプテスト教会の証し(応答する信仰)”があります。
    新しくされた人は、ゴールへ至る速さよりもプロセス(途中経過)を大切にします。キリストの愛の豊かさ、幸いを体験しながら、神が約束したゴールへ必ず到達する。死んで生きるからそう信じることが出来るのです。

●5月14日 週報巻頭言  牧師  山田 幸男


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2017-05-04 19:04:00 (864 ヒット)

✣ 苦難と忍耐、そして希望 ✣

    『…ある人が「神は誰にでも宿題を与えておられる。こんな幸せな人はなかろうと思うような人も、体の丈夫な人も、家族の問題、事業の問題…いろいろの問題を持っている…その一つ一つを考えてみると、神から宿題を与えられているようなもの」と語っていた。
    苦難をどのように受けとめ…そこから飛躍していくか…意味を見いだすことが大事…私たちは意味のないことを忍耐できない…意味を見いだすから…希望を持つ…。』(榎本保朗著「新約聖書一日一章」262頁より)。
    使徒パウロは信仰義認に続いて、“神に義とされた人(キリストの十字架と復活を信じた人)”の生き方を語ります。特徴は、【神の栄光にあずかる希望を誇る】(ロマ5:2)こと、それに加えて【苦難をも誇る】(5:3)ことです。
    なぜ苦難をも誇るのでしょうか? それは、“義とされた人”【苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む】(5:3-4)ことを知っているから、とパウロは力強く語ります。
    ここでいう【忍耐】とは、一人で頑張るのではなくキリストと共に苦難を生きること。【練達】心の不純物を取り除かれて純化されること。その結果、“神の光”を見て本当の【希望】に満たされる。“義とされた人”は、「この世」ではなく【神を誇る】(5:11)。パウロの実体験による逆説の福音です。

●5月7日 週報巻頭言  牧師  山田 幸男


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2017-04-27 19:38:29 (1047 ヒット)

✣ 信仰義認 〜新しい生き方 ✣

    使徒パウロはローマ伝道のビジョンを神から示され(使徒18:21、23:11)、第三回伝道旅行のときに「ローマの信徒への手紙」を書きました(55-58年頃、コリントにて。推定年齢55-58歳)。
    まだ会ったことのない人々へ自己紹介と福音理解を伝え、ローマ伝道への協力を要請します。しかし、内容のほとんどは「キリスト教の教理」です。何故、パウロはこんな難しい手紙を書いたのでしょう。理由はローマの教会の成立過程にあります。いつ、だれが“福音”をローマに伝えたのか? 聖書に答えがあります。

1)デアスポラ
…パレスチナ地方を旅行していたローマのデアスポラ(離散のユダヤ人)が、福音に触れ、ローマに戻ってから伝道した(使徒2:10)

2)ヘレニスト
…教会迫害で散らされたヘレニスト(ギリシア語を話すユダヤ人キリスト者)が宣教の使命感からローマへ行き伝道した(使徒11:19以下)

    二千年昔、世界の中心地ローマへ最初に“福音”を伝えたのは、イエスの12弟子でも使徒パウロでもない。普通の信徒たちでした。一説によると、紀元50年頃には既に有力な教会が存在したと伝えられています。大都市には多様な背景を持つ人々がいました。“福音”を信じた人々は、それぞれの流儀で信仰生活を始めたので、ローマの教会は混乱しました。そこでパウロは“信仰義認(神の絶対恩寵)”を強調。新しい生き方を示します。

●4月30日 週報巻頭言  牧師  山田 幸男


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