✣ ノアの物語 ✣
創世記はアダムの系図を紹介したあと、“ノアの物語”を伝えます。アダムの系図には二つの流れがあります。一つは長男カインの系図。世代が変わり、子や孫の時代になる程、神から離れ、神の恵みを忘れて「人間万能主義」に走った人々(4:17-24)。もう一つはアダムの三男セトの系図(5章)。世代が交代しても神との交わりは変わりません。この人々が死んだときの年齢は、神の祝福を受けて豊かな生涯を過ごしたことを象徴的に伝えています。セトの系図は、神と共に歩み続けた人々の歴史であり、神の民イスラエルの本来の姿です。セトの系図の最後に“ノア(「慰め」の意)”が登場します(5:29)。
“ノアの物語”は「洪水前の世界」「洪水の悲劇」「洪水後の新しい世界」の三部構成です(6-10章)。きょうは「洪水前の世界」に注目します。そこでは人間の能力や魅力が神を礼拝することよりも重視されていました。神の子たち(神の民)も影響を受け、信仰も良心も麻痺し、神の子たちの間にも不法がはびこっていました。神に背を向ける生活は、神の子らにとって「滅び(破滅、死)への道」です。時代が「人間万能主義」を讃えるただ中で、【ノアは神と共に歩んだ】(6:9)と伝えています。
心を痛めた神は、ノアに箱舟を造れと命じます。大昔の口伝ですが、現代社会に一石投じる含蓄のある“物語”です。
●8月6日 週報巻頭言 牧師 山田 幸男
✣ 追放されたアダム ✣
アダムとエバは、神が禁じた【善悪の知識の実】(創世記2:9)を食べてしまった。神は【…食べると必ず死んでしまう】(2:17)と、その理由を明確に伝えました。ところがアダムは、【エデンの園】を追放されるとまでは考えなかったのでしょう。
この物語の面白い所は、すべての人に共通する「人間堕落のプロセス」を伝える点です。
「これくらいなら良いだろう」「こんなもの大した事はない」…誰もが思います。これが命取りになるのです(破滅や死を招く)。
人は誰もが弱さを抱えています。だから自分の弱さを認め、反省する気持ちを持つことが大切だとされます。でも、そこで終わっていたら、再び同じ過ちを繰り返すのが人間の実態です。過ちを繰り返さないために、私たちはどうすればよいのでしょうか。
鍵はキリストです。アダムは神に追放されましたが、イエス・キリストは神への道を回復した“救い主”です。キリストに結ばれて、堂々巡りの生活から脱出するのです。
1)神の近くに身を置く(ヤコブ書4:7-8)
…聖書の言葉、祈り、讃美の輪(礼拝)に加われば、そこに「堕落の余地」はありません。
2)キリストの言葉を心に宿す(マタイ4:1-11)
…アダムとエバは悪魔の誘惑に負けた。が、キリストは誘惑を跳ね返した。
●7月30日 週報巻頭言 牧師 山田 幸男
✣ あなたはどこにいるのか ✣
最初の人アダムとその妻エバは、神が禁じた【善悪の知識の木】(創世記2:17)に手を伸ばし、その実を食べてしまいました。二人は被造物の中で最も賢い生き物【蛇】(3:1)のささやき【それを食べると目が開け、神のように善悪を知るものとなる】(3:5)に惑わされ、神(創造主)を忘れて蛇(被造物)に従ってしまったのです。ここから、それまで【エデンの園】に無かったことが起き始めます。
1)隠す、隠れる…裸でいても、恥ずかしがりはしなかった二人(2:25)、神と向き合うことを喜んでいた二人が、いちじくの葉で恥部を隠す。神の足音が聞こえると、木の間に隠れる。神の言葉に従わなかったので、隠し、隠さなければならない事態が次々と起き、それに振り回されるようになった。
2)窮屈な関係…二人は自分の間違いを認めない。責任転嫁する。互いに仕え、支え合っていた二人は、自分の思い通りにならないと気がすまない、自分勝手で窮屈な関係になってしまった。神と人との基本関係が崩れたので、すべてが狂い始めた。
3)楽園からの追放…アダムとエバは、ついに【エデンの園(神の歓喜)】から追い出されてしまう(3:23)。生きる喜びは失われ、虚しい人生を歩む。それは、楽園で神に背を向けた結果です。
●7月23日 週報巻頭言 牧師 山田 幸男
✣ 神と人、人と神、人と人 ✣
創世記1章が伝えた「天地創造(原初史)」は、2章4節から違う視点で再び語られます。
創世記1章では、第一の日、第二の日…として、神の創造のわざを順序に従って伝えました。しかし、2章では、第1章の27節に焦点を合わせ、神の創造の中心である人に注目します。人の創造を詳しく語ります。
【主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きるものとなった】(2:7)。
人(アダム)は、土(アダマ)の塵から造られた。聖書の人間理解です。ここに聖書の民(選民イスラエル)への大切なメッセージがあります。
1)人の肉体は、既に存在した「土」から造られた。一方、人の霊は神が直接吹き入れた。人だけが、神の霊を吹き入れられた。
2)人の肉体は大地を母とした。人は「土」を必要とする。「土」に親しむ生活がないとき(自然から隔離された状態)、人は自然への郷愁にかられる。
3)人は、【土の塵】から造られたに過ぎない。だから謙遜を忘れてはならない。聖書の民は傲慢になるな、高ぶるな、と警告する。
天地創造の主であり、すべてのいのちの源である神は、生きる者となった人(アダム)を、【エデンの園(「優美な、楽しい、喜ばしい」の意味)】に置き守らせました。
●7月16日 週報巻頭言 牧師 山田 幸男
✣ 安息の意味 ✣
創世記2章は、天地万物の創造を完成した神が、第七の日に【安息】したと伝えています(2:1-3)。旧約聖書を正典とするユダヤ教では金曜日夕方から土曜日夕方まで(実質的には土曜日)を【安息日/シャバット(あんそくび)】として、今も守り続けています。
旧約聖書に記されたイスラエルの民(ユダヤの民)の歴史をよく読んでみると、民が【安息日】を守ったというよりも、【安息日】が民を守った物語が多くあり、はっとさせられます。
七日を一週間の単位とする習慣は、太陰暦(月の満ち欠けによる時間概念)を既に採用していたメソポタミア文明が、古代ユダヤ人の生活や伝承に影響を与えたという説もあります。
第七の日は、神が仕事を休んだように、人も仕事を休む。あらゆる仕事を一時やめる。こうして、人は、神が創造した世界の中で、生かされていることを感謝する。そのために“時間”を取り分ける。聖書独自の世界観です。ここに【安息】の意味があります。
新約聖書では初代教会時代に【キリスト復活】を記念する「週の最初の日(日曜日)」を【主の日/主日】(黙示録1:10)と呼び、この日に礼拝を行うようになりました。【主の日】は人が神のもとへ立ち帰る日。人が神と共に、隣人と共に、新しい週の歩みを始める日。【安息】が実現される大切な日です。
●7月9日 週報巻頭言 牧師 山田 幸男