✣ 子どもたちの幸せを願って ✣
以前、連盟宣教研究所発行の研修用冊子『教会と暴力』第3章「子どもへの暴力」に拙文を書かせていただきました。
「……今日、わたしたちの社会にはさまざまな暴力の問題があり、その中で、成人に比べて、決定権、経済力、法的な「力」などを奪われやすい弱い立場の子どもたちが、「力」を持つ者からのさまざまな暴力によって傷つき、痛み、悲しんでいる現実があります。教会に集う子どもたちの中にも、暴力を受けて苦しんでいる子がいるかもしれません。子どもたちは、この社会において、今ここにいる存在として認められるよりは、おとなの予備軍として将来のために生きることを求められ、……また、教育の現場では、国にとって都合のよい人づくりという国策により、子どもたちの自由がだんだん奪われています。子どもたちは、教会に来るまでの一週間、家庭や学校で、楽しいことばかりでなく、悲しいことや辛いことも経験し、いろいろなものを背負って来ているのです。教会は、豊かな交わりの中で、み言葉を通してイエス・キリストを伝え、子どもたちをケアし、子どもたちと共に生きる群れです。……子どもたちの現実を知り、子どもたちの伴走者、支援者となることが求められます……」。
昨日から夏期学校が行われています。教会は、この時代この社会で、子どもたちが幸せに生きることができるようにと祈りつつ、今朝の合同礼拝をささげます。
●7月22日 夏期学校合同礼拝 週報巻頭言 牧師 村上 千代
✣ 被災地をおぼえて ✣
この度の西日本豪雨による被害は13府県におよび、各地に甚大な被害をもたらしました。この豪雨による多くの死を悼み、家族、親族、友人、知人の突然の死に直面し、苦しみ悲しみの中にある方々に主の慰めと支えがありますようにと祈ります。また、避難所での生活を余儀なくされ不安と困難の中にある方々、この暑さの中で必死に行方不明者の捜索をしている方々、復旧作業や片付けなどで大変な方々、皆様の健康と安全が守られますよう祈ります。
さて、今回のような緊急事態が起こる度にいつも考えさせられるのは、教会の宣教についてです。「大雨の被害お見舞い申し上げます。シャワー貸します!16時〜20時、何かお困りごとがありましたらご相談ください。電話番号……」、先々週、北九州市を襲った豪雨の際に、H教会の前に立てられていた看板です。しかし、こういったことはとっさにできることではなく、教会が日常的に自分たちの教会の宣教について考え活動しているからこそ、できることなのです。東日本大震災の時も、日常的にやっていないと緊急時への対応が難しいことを痛感させられました。私たちはよく「地域に開かれた教会」という言葉を使います。が、具体的にはどういうことでしょうか。栗ヶ沢教会にとっての「地域に開かれた教会」、一緒に考えたい課題です。
●7月15日 週報巻頭言 牧師 村上 千代
✣ 主イエス・キリストによる信仰の救い ✣
使徒パウロは、ベニヤミン族の出身でヘブライ人の中のヘブライ人、律法の義については非の打ち所のないものでした、と自分を語っています。そのため、キリスト教会を迫害することが神に尽くすことだと思っていたパウロは、復活された主イエスにダマスコの途上で出会って、これまで信じていたことが全く違っていて、主イエスが、預言書に書かれていたキリスト、来たるべきメシアであったということを、一瞬にして知らされました。
パウロは、主イエス・キリストを宝だと、わたしたちに教えています。わたしたちは土の器に過ぎません。でもその土の器に、主イエスの恵みによってわたしたちに、福音が与えられていることを確信し、感謝しています。そしてパウロは、「自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません」と宣言しています(使徒20:24)。
わたしたちに与えられた宝なるイエス・キリスト。その福音を宣べ伝える使命を全うすることができますよう、祈り求めます。そしてわたしたちは、神が喜ぶ忠実な僕になることを願っています。日本の人々がすべて福音を知って、信じるように、皆さん、ご一緒に御言葉を伝える働きをしませんか。
●7月8日 神学校週間礼拝 週報巻頭言 神学生 陳 弼蘭(茂原バプテスト教会)
✣ 世界に開かれた教会へ ✣
IJCS牧師、そして、アジアミッションコーディネーターとなって、6年目に入りました。教会でもアジアの諸集会でも、さまざまな国の人たちと接する機会が増えました。ペンテコステの出来事にも表れているように、当時の新約聖書の背景となっている時代に、その地域はすでに多文化共生だったと思われます。
アンティオキア教会は、最初の異邦人教会であり、その後、パウロの3度の伝道旅行の拠点教会になった教会です。この教会は、迫害のためにエルサレムを追われたクリスチャンたちによって、始められた教会でした。その教会が、故郷に潜んでいたパウロを見つけ出し、クリスチャンを迫害していたパウロを、派遣宣教師として支えていく教会になるのです。宣教師になるまでの14年あまりをパウロは、アンテオケ教会で過ごしていたと思われます。(ガラテヤ2:1)
アンテオケ教会でクリスチャンになった人たちが、ギリシャ語でも福音を伝えるようになり、異邦人へと福音が広がっていきます。もともとユダヤ人だけにみ言葉を語っていた教会が、世界宣教に開かれた教会に変えられていきました。「主がこの人々を助けた」(使徒11:21)とあります。
「この町にはわたしの民が大勢いる」(使徒18:10)という主の言葉の「この町」には、さまざまな国の人がすでにいるのではないでしょうか。
●7月1日 週報巻頭言 伊藤 世里江(IJCS牧師・AMC)
*IJCS=シンガポール国際日本語教会、AMC=アジアミッションコーディネーター
✣ 神学校週間によせて ✣
今日から神学校週間です。全国壮年会連合の推進により、全国の教会・伝道所で神学校の働きと神学生を覚えて祈りささげる時を持ちます。そしてこの時の献金が、神学生の奨学金に用いられています。
献身者のために祈るのは年間を通してであることは言うまでもありません。しかし毎年期間を定めて全国の教会・伝道所が祈りを合わせることは、教会に伝道者養成や献身者が起こされるようにとの祈りの課題が意識化されるので、意義あることです。
バプテストには二つの献身者が考えられると思います。一つは、イエスを主と告白し、主に従う者はすべて献身者であるということ、もう一つは、神からの召命に応答し、牧師や主事など教会の働き人となる献身者です。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい」(マタイ9:37、38)。ここでイエスは、収穫のためにあなたが働き手になりなさいとおっしゃらずに、働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさいと言われています。献身は、神のわざです。神の召しに応答し献身する、それが教会の出来事となっていくことであります。
献身者のために祈るこの時、私たち一人ひとりも主に献身する者であることを覚えていたいものです。
●6月24日 週報巻頭言 牧師 村上 千代