✣ 恵み深い言葉 ✣
「主の霊がわたしの上におられる。/貧しい人に福音を告げ知らせるために、/主がわたしに油を注がれたからである。/主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、/目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、/主の恵みの年を告げるためである。」
荒れ野での40日間の誘惑を退け、ガリラヤでの伝道を始めたイエスは、故郷ナザレに来て、会堂でイザヤ書の言葉を朗読し、ご自分が世に遣わされた意味を示された。ルカ福音書の著者は、イエスのわざと言葉、そして十字架の出来事、それがいったい何のためであったのかをまず宣言している。
イエス・キリストの福音は、本来、人間を解放し、社会を解放するもの。そこで公平と正義が実現され、一人ひとりが自由に平和に生きることができる、それがイエスの宣教の原点であり、目的なのである。
沖縄の友人からの年賀状に、元沖縄県知事、故翁長雄志氏の言葉があった。「沖縄県民の『魂の飢餓感』とは、大切な人の命と生活を奪われた上、差別によって尊厳と誇りを傷つけられた人びとの心からの叫びです」。この言葉に胸が痛む。沖縄は県民投票を前に権力によって更に分断されている。抑圧されている沖縄の現実にわたしたちは何をなすべきか祈り求めたい。
●1月13日 週報巻頭言 牧師 村上 千代
✣ 祝福と平和を祈る ✣
新年おめでとうございます。
それぞれの一年が、主の恵みと祝福で満たされますように、世界が平和でありますようにと心から願い祈ります。
●1月6日 新年礼拝 週報巻頭言 牧師 村上 千代
「世界は素敵」(訳詞・谷本仰)
緑の木々 赤いバラ 全ては君とぼくのため
だから思うのさ 世界は素敵
青い空に浮かぶ 白い雲
眩しい陽の光 漆黒の夜
だから思うのさ 世界は素敵
虹の光が 空に映えて
行き交う人々の顔を 七色に染める
みんな手を握りあい 「こんにちは」
だけどほんとは言ってるのさ ”I love you”
赤ん坊が泣く 泣いて育って行く
ぼくなんかよりずっと 多くを学ぶだろう
だから思うのさ 世界は素敵
爆弾と涙の雨 降り止まず
身体も心も 引き裂かれしまま
それでも世界が素敵だとすれば
それは君と僕が夢を捨てぬから
赤ん坊が泣く 泣いて育って行く
ぼくなんかよりずっと ずっと多くを学ぶだろう
だから思うのさ 世界は素敵
だから思うのさ 世界は素敵
だから思うのさ 世界は素敵
✣ 新しい年に向けて ✣
2018年が終わろうとしています。今年最後の主日礼拝となりました。この一年、教会の礼拝を一度も欠かすことなく無事にささげられたことを感謝しています。この二十数年間、大きな災害が起こるたびに、教会に集って礼拝をささげることが決して当たり前のことではないと知らされてきました。いつ何が起こるかわたしたちには分かりません。一回一回の礼拝がとても貴重です。毎週、一回限りのその日の礼拝が無事にささげられたことを主に感謝せずにいられません。新しい年も、毎週の礼拝を当たり前のこととせず、一回限りのその日の礼拝を大切にしていきたいと思います。
また今年は、教会にとって大きな変化の年でした。1〜3月の無牧師期間を経て4月から新しい体制になりました。無牧師期間は、様々な困難の中で、教会員の祈りと献身、近隣教会の祈りと協力によって、その時を乗り越えてきたことをおぼえます。そして新体制になってから早や9ヵ月、とにかく皆で祈りを合わせて進んできました。この一年、教会がどのような時も、主の伴いと、導き、支えがあったことは言うまでもありません。恵みに感謝し、新しい年はどのようなビジョンを共有して歩むのか、皆で考えたいと思っています。
●12月30日 週報巻頭言 牧師 村上 千代
✣ 輝く星に導かれて ✣
先週の宣教で、婚約者マリアが神の子を宿しているという、とんでもない出来事に巻き込まれたヨセフが、混乱し、揺れの中で考え続け、「恐れるな。私は共にいる」という神の言葉に信頼してマリアの胎内にいる子を引き受ける決断に至った話をした。
ヨセフは生物学的父性をもたないまま社会的父性を引き受けたのだ。それゆえマリアは安心して子どもを産み、その後も、ヨセフは母と子を守り続けた。ヨセフ物語が示す社会的父性は、子どもの虐待などの問題が深刻な今日の社会で重要性をもつと大嶋果織氏(元NCC教育部総主事)はいう。
社会的父性は、生物学的な父に限らず、母親でも友人でも、これを引き受けようとする者なら誰でも担える。子どもたちが安心して生きることができるよう地域ぐるみで「社会的父性」を引き受ける必要があるのではないかと考えていた矢先、東京都港区の児童相談所を含む総合施設の建設に反対する声をテレビで聞いた。差別、偏見…。
クリスマスは、キリストがこの世の権力者や、経済や政治の中心にではなく、多くの苦しむ人々の中に生まれたことを教えてくれる。イエスの誕生を祝う私たちは、悲しみや苦しみにある命へと心を向けるよう輝く星に導いていただきたい。
●12月23日 クリスマス礼拝 週報巻頭言 牧師 村上 千代
✣ 一緒にいてくださる神さま ✣
アドベント第三主日の今日、クリスマスを祝う子どもたちと一緒に礼拝する。合同礼拝での子どもとは、教会学校と「くりくりあおぞらくらぶ」に集う小学生の年齢の子どもたちである。日頃なかなか接点のない「くりくりあおぞらくらぶ」の皆さんと、顔と顔を合わせて共に礼拝できることを嬉しく思い、主に感謝している。
合同礼拝の考え方はさまざまだが、私たち栗ヶ沢教会が合同礼拝をもつことの目的は何かと考えさせられている。通常の礼拝に子どもたちをお客さんとして招くことを合同礼拝と考えるのか。それとも、子どもたちも礼拝をつくる一員として一緒に礼拝をつくっていくのか(例えば、アドベントクランツのキャンドルの点火や聖書朗読の奉仕を担う、等)。前者と後者では、礼拝式は大きく違ってくる。子どもを主体にすると、子どもの集中力を考えてメッセージは10〜15分、礼拝式全体の時間は45分だといわれている。子どもは授業でその時間の長さに慣れているという理由からだ。合同礼拝は、今後考えていきたい課題である。
いずれにせよ、子どもを愛し、受け入れ、どんな時も一緒にいるよと子どもたちを招くイエスが、集った一人ひとりに出会ってくださるようにと祈っている。
●12月16日 第3アドベント合同礼拝 週報巻頭言 牧師 村上 千代