✣ 地域に仕える教会 ✣
先週は冬休みをいただいたので北九州へ行ってきた。昨年、衆議院議員の女性が「LGBTは生産性がない」と述べて波紋を広げたが、生産性とは何かを考えていた時に、たまたま東八幡教会で「生産性について考える」というテーマで、学び、語り合う場があるというので参加した。講師は北九州市立大学大学院教授の工藤一成先生。
20日の主日は、神学生時代にお世話になった南小倉教会で礼拝した。南小倉教会は礼拝出席20〜25名の小さな群れ。でも活き活きしている。午後は「生笑一座(いきわらいちざ)」を招いての集会が企画されていた。「生笑一座」とは、「生きてさえいれば、いつか笑える日が来る一座」のことで、メンバーは、東八幡の奥田知志牧師、南小倉の谷本仰牧師、元ホームレスの方々。「もう死ぬしかないんじゃないか」という極限を経験した当事者が、いま笑顔で暮らしている。生きづらい思いをしている子どもたちがいれば、「生きてさえいれば、いつか笑える日が来るよ!」と身をもって伝えたいとの思いからこの一座が立ち上げられ、全国の学校や施設に行って公演している。
いのちを大切に、困った時には「助けて」と言える社会を目指し、地域に仕えているそれぞれの教会から多くを学び、教会の働きを深く考えさせられている。
●1月27日 週報巻頭言 牧師 村上 千代
✣ そのとおりにしたところ・・・(ルカ福音書5章6節) ✣
信仰生活には、人知を超えた神の力、働きにふれることがなくてはならない。そこから信仰は始まってくるのである。わたしたちが神を必要としているとか、信仰生活をするのがよいとか、そういうことが信仰生活の原動力ではない。神が私に迫ってきたから信仰せざるをえなくなる、福音を語らなければならなくなるようなものが、私たちの中に興されてくるところに信仰の原点がある。
では一体どうすれば神に出会うこが出来るのか。
キリスト教はどこまでも約束の宗教であり、その約束を履行することが一番大事である。「そのとおりにしてみた」ときに、はじめて聖書の言葉が本当か嘘かが分かる。それは約束であると信じて、それに従うなら、そこで、私たちは今も生きておられる神に触れるのである。その神に触れることから信仰生活が始まる。
榎本保郎書 1日1章 から
●1月20日 週報巻頭言 教会員 吐田 敏宏
✣ 恵み深い言葉 ✣
「主の霊がわたしの上におられる。/貧しい人に福音を告げ知らせるために、/主がわたしに油を注がれたからである。/主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、/目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、/主の恵みの年を告げるためである。」
荒れ野での40日間の誘惑を退け、ガリラヤでの伝道を始めたイエスは、故郷ナザレに来て、会堂でイザヤ書の言葉を朗読し、ご自分が世に遣わされた意味を示された。ルカ福音書の著者は、イエスのわざと言葉、そして十字架の出来事、それがいったい何のためであったのかをまず宣言している。
イエス・キリストの福音は、本来、人間を解放し、社会を解放するもの。そこで公平と正義が実現され、一人ひとりが自由に平和に生きることができる、それがイエスの宣教の原点であり、目的なのである。
沖縄の友人からの年賀状に、元沖縄県知事、故翁長雄志氏の言葉があった。「沖縄県民の『魂の飢餓感』とは、大切な人の命と生活を奪われた上、差別によって尊厳と誇りを傷つけられた人びとの心からの叫びです」。この言葉に胸が痛む。沖縄は県民投票を前に権力によって更に分断されている。抑圧されている沖縄の現実にわたしたちは何をなすべきか祈り求めたい。
●1月13日 週報巻頭言 牧師 村上 千代
✣ 祝福と平和を祈る ✣
新年おめでとうございます。
それぞれの一年が、主の恵みと祝福で満たされますように、世界が平和でありますようにと心から願い祈ります。
●1月6日 新年礼拝 週報巻頭言 牧師 村上 千代
「世界は素敵」(訳詞・谷本仰)
緑の木々 赤いバラ 全ては君とぼくのため
だから思うのさ 世界は素敵
青い空に浮かぶ 白い雲
眩しい陽の光 漆黒の夜
だから思うのさ 世界は素敵
虹の光が 空に映えて
行き交う人々の顔を 七色に染める
みんな手を握りあい 「こんにちは」
だけどほんとは言ってるのさ ”I love you”
赤ん坊が泣く 泣いて育って行く
ぼくなんかよりずっと 多くを学ぶだろう
だから思うのさ 世界は素敵
爆弾と涙の雨 降り止まず
身体も心も 引き裂かれしまま
それでも世界が素敵だとすれば
それは君と僕が夢を捨てぬから
赤ん坊が泣く 泣いて育って行く
ぼくなんかよりずっと ずっと多くを学ぶだろう
だから思うのさ 世界は素敵
だから思うのさ 世界は素敵
だから思うのさ 世界は素敵
✣ 新しい年に向けて ✣
2018年が終わろうとしています。今年最後の主日礼拝となりました。この一年、教会の礼拝を一度も欠かすことなく無事にささげられたことを感謝しています。この二十数年間、大きな災害が起こるたびに、教会に集って礼拝をささげることが決して当たり前のことではないと知らされてきました。いつ何が起こるかわたしたちには分かりません。一回一回の礼拝がとても貴重です。毎週、一回限りのその日の礼拝が無事にささげられたことを主に感謝せずにいられません。新しい年も、毎週の礼拝を当たり前のこととせず、一回限りのその日の礼拝を大切にしていきたいと思います。
また今年は、教会にとって大きな変化の年でした。1〜3月の無牧師期間を経て4月から新しい体制になりました。無牧師期間は、様々な困難の中で、教会員の祈りと献身、近隣教会の祈りと協力によって、その時を乗り越えてきたことをおぼえます。そして新体制になってから早や9ヵ月、とにかく皆で祈りを合わせて進んできました。この一年、教会がどのような時も、主の伴いと、導き、支えがあったことは言うまでもありません。恵みに感謝し、新しい年はどのようなビジョンを共有して歩むのか、皆で考えたいと思っています。
●12月30日 週報巻頭言 牧師 村上 千代