✣ 助けはどこから ✣
「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。/わたしの助けはどこから来るのか。/わたしの助けは来る/天地を造られた主のもとから。」(詩編121:1、2)
2011年3月11日の東日本大震災で一時避難所となった教会を手伝いに行った時、教会の掲示板にこの言葉が貼られていた。震災前からすでにあったものなのかもしれない。突然の未曽有の出来事で多くの命が奪われ、甚大な被害がもたらされ、「神さま、なぜ」と立ち尽くすことしかできないような状況のただ中で、教会の前を通る人は、どんな思いでこの言葉を見ていたのだろうか。
この歌は、バビロンに強制移住させられ捕囚にされたイスラエルの民が、やがてエルサレムへの巡礼がゆるされるようになった時代のものだと言われている。絶望的な状況の中で、信仰が揺らいでいたイスラエルの民の問いに、詩人は確信をもって答える。「わたしの助けは来る。天地を造られた主のもとから」、と。助けは、人から来るのでも、エルサレムの山々から来るのでもないのだと。
日常が崩され、生活の土台を失い、先の見えない不安の中で、なお神に信頼がおけるかがここで問われている。同時に、わたしたちが苦難のただ中で神への信頼が揺らぐ時、神の見守りを切に願う仲間の祈りがあることもここで知らされ励まされる。
●10月13日 週報巻頭言 牧師 村上 千代
✣ キリストにおいて一つ 〜南アフリカ報告〜 ✣
この夏、南アフリカ共和国(南ア)に3週間行ってきました。南アは、アフリカ大陸の国々に対して大きな影響力を持っています。一昨年に訪れたザンビアという国は、世界的な銅の産出国ですが、その銅を精錬する技術が自国にないため、南アがその粗銅を加工して世界中に輸出していました。大陸において経済的に大きな力を持つ南アですが、私が過ごしたケープタウン(日本でいう横浜のような大都市)から車で30分も走れば、まだまだ「スラム」はたくさんあります。現在、南アの失業率は29%で世界ワースト2位。街には、仕事のない若者がたくさんいます。
アパルトヘイト(人種隔離)政策の撤廃から25年。ネルソン・マンデラ氏の「虹の国」の思想は今でも敬愛されていますが、経済的解放の戦士(EFF)という政党が「白人から土地を奪い返せ」をスローガンに、貧しい「黒人」若年層から大きな支持を集めています。また、現地で知り合ったパレスチナ人には、「私の国ではアパルトヘイトは今も続いている。」と言われ、世界が抱える問題の複雑さに愕然としました。私のホストマザーは、EFFのテレビ中継を見た後、「このことにすら神様の大きな計画がある。祈りましょう。」と一緒に祈ってくれました。敵意という隔ての壁を取り壊し、二つのものを一つにしてくださるキリストを信じ、世界の平和のために働いていきたいです。
●10月6日 週報巻頭言 教会員 H.T.
✣ 共感・連帯 ✣
先週月曜日、「礼拝〜会衆讃美を豊かに〜」というテーマで東ブロックの集会があり、12教会から約100名の参加で行われました。講師の江原美歌子連盟教会音楽室長による講演、分団に分かれての語り合い、賛美指導、など、参加した方々はきっと楽しまれたことでしょう。そして改めて、共に集うことの恵みを実感したのではないでしょうか。日本の教会の多くは小さな群れです。小さいから弱いということではありませんし、それぞれが福音宣教の働きに喜びをもって仕えています。しかし、少子高齢化の時代の中で、どの教会も苦闘している現実があります。だからこそ、皆で集まって主にある交わりを喜び、仲間たちとつながって励まし合うのです。
今日の聖書、ルツ記4章では、ルツが男の子を産むと、近所の女たちが、ナオミに子どもが生まれた、と喜び、主をほめたたえます。家系を継ぐために男の子を産まなければならないという抑圧の中で生きている女たちだからこそ、ナオミの痛みに共感し、連帯したのでしょう。さらに彼女たちは、その子にオベド「(神の)しもべ」と名前をつけました。ここでは、ルツに対する「おめでとう」はなく、ルツの言葉はひと言もありません。このことは何を意味しているのでしょうか。各自で考えてみたいことです。
●9月29日 週報巻頭言 牧師 村上 千代
✣ 互いを思いやる ✣
この度の台風15号で被害に遭われた方々、停電や断水で未だ困難な生活を強いられている方々をおぼえて祈りつつ、先週の月〜火、前々から計画していた宮城県津波被災地と、仙台教会を訪問した。栗ヶ沢教会に通っていたYさんに会い、震災から8年半経った被災地の状況を知るための旅である。
仙台へと向かう途中、高速道路脇に示されている放射線量の高さに驚き、そこを走っていることを一瞬後悔した。だが、原発地域の方々の犠牲の上にわたしたちの日常があり、そこで生きるしかない方々が大勢おられることを考えると他人事ではすまされない。心に痛みをおぼえながらひたすら走った。
仙台教会に着き、小河義伸牧師と教会員のお世話で津波被災地を回った。南三陸町では、赤い鉄骨だけが残っている総合防災庁舎を見ながら、生存者が大学生たちに語っているのをたまたま聞くことができた。生き残った者の苦しみや複雑な気持ちを抱えながら、でも一瞬にして命を奪われた人たちの分も生きていかなければと、前に進んでいる姿に一筋の希望を見、神が人間に備えてくださっている生きる力を知らされ励まされた。被災地の復興はまだまだ、それに人々の悲しみや心の傷は簡単に癒えるものではない。これからも神の慰めと支えを祈り、主から示される我らのなすべきことを行いたい。
●9月22日 週報巻頭言 牧師 村上 千代
✣ 主の慈しみによって ✣
日本バプテスト連盟(以下、連盟)は、2017年に結成70年という節目を迎え、『連盟70年史』を発行した。先週そのフォーラムがあり出席した。画期的なことは、これまで連盟の歴史に触れられてこなかった性差別のテーマが取り上げられたことである。
2017年度の総会で、「『連盟70年の歩みから性差別の歴史を悔い改める』声明」が出されたことは記憶に新しい。「…私たちは、私たちの間に様々な違いがあることを、イエス・キリストの福音ゆえに喜び、尊びます(ガラテヤ3:28)。しかし、その違いに優劣をつけ、力の差として利用し、支配・被支配の関係性を生じさせる時、あらゆる差別が起こります。…ジェンダーに基づく性差別を、教会形成や伝道者養成等、連盟総体としての施策にかかわる部分において公然と行ってきました。私たちは、このような性差別を生んできた構造を省み、悔い改めることを通して、私たちの内に潜在するあらゆる差別についても気づき、学び、悔い改め、今後も決して容認しないことへの決意を新たにします。…」
教会が、ルツを理想の「嫁」とし、「良妻賢母」を求めて女性の役割を固定化し、そこに閉じ込めてきたことは否めない。だがイエスは、女性たちを解放し、自由に生きることをよしとされたのだ。
●9月15日 週報巻頭言 牧師 村上 千代