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本日の箇所の前の章、マルコによる福音書5章で、カファルナウムの会堂長ヤイロの娘を癒された主イエスは、そのあと故郷のナザレにお帰りになりました。そこで、安息日をむかえ、会堂で、御言葉(みことば)を教えられ始めます。すると、多くの人々は「この人はこのようなことをどこから得たのだろう。…この人は、大工ではないか。」と言って、イエスの教えに耳を傾けようとしなかったばかりか、むしろイエスにつまずいたといいます。「つまずく」と訳される原語には、英語のスキャンダルの語源になっている動詞が使われています。その行為によって、多くの人を失望させ、或いはその信用を失ってしまうような行為をしたということです。
この事を、私たちはどう考えればよいでしょうか。イエスの華々しいカファルナウムでのデビューぶり、またその名声や預言者としての評判が、イエスの故郷、ナザレではそれほどよくなかったということを、私たちはどう捉えればよいのか。今朝は、ここに焦点をあてて、なぜイエスは故郷ナザレで人々に受け入れられなかったのかという理由について考えます。 そこから響いてくるメッセージに耳を傾けてゆきます。
●9月22日 週報巻頭言 牧師 木村一充
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本日の聖書であるダニエル書は、イスラエル南王国がバビロニア王ネブカドネツァルによって滅ぼされた後、バビロンに連れ去られたユダヤ人の中から、王の側近として仕えたダニエルに関する物語です。
ダニエルは、王の夢を解き明かすことによって高い地位を与えられました。そこで、彼は王に願って3人の者(シャドラク、メシャク、アベド・ネゴ)を、バビロン州の行政官に任命してもらいます。しかし、彼らは王宮に仕える何人かのカルデア人(バビロニア人のこと)より、妬みゆえに、中傷を受けることになりました。すなわち、彼らが王の命令を無視して王の神々に仕えることをせず、また金の像を拝むことを拒んでいるというのです。「わたしの建てた金の像を拝むつもりでいるなら、それでよい。もしも拝まないなら、直ちに燃え盛る炉に投げ込ませる。お前たちをわたしの手から救い出す神があろうか。」(ダニエル書3:15) しかし、彼ら3人の行政官たちは、ネブカドネツァル王のこの脅しに対して、敢然と次のように答えます。「わたしたちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません。」 本日はここから神の言葉に耳を傾けます。
●9月15日 週報巻頭言 牧師 木村一充
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本日の聖書箇所である使徒言行録3章には、ペンテコステの日から、数日後に起きたエルサレム神殿での出来事が、たいへん印象的に記されています。
ペトロとヨハネが、午後3時の祈りの時間に合わせて、神殿に上っていきました。すると、生れながら足の不自由な男がそこに運ばれてきました。彼は、毎日この時間に合わせて、「美しい門」の前に置いてもらっていた、と聖書は記します。「運ばれる」とか「置く」という表現から分かることは、この男が一人の人間としてではなく、あたかもモノであるかのように扱われていたということです。
彼は、ペトロとヨハネが境内に入ろうとするのを見て、施しを乞いました。しかし、ペトロは答えて言います。「わたしには金や銀はない」これを聞いて、物乞いはがっかりしたことでしょう。しかし、その次にペトロが放った言葉、それが次の言葉でした。「しかし、わたしが持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」そして、彼の右手を取って立ち上がらせたのでした。本日は、この出来事から、神のメッセージを読み取ってゆきます。
●9月8日 週報巻頭言 牧師 木村一充
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詩編23編は、150編ある詩編の中でも特に美しい詩文がちりばめられた、たいへん格調高い詩編として知られています。ここで、詩人はダビデの名を借りて自らの主なる神を牧羊者(羊飼い)にたとえ、その憐れみ深い取りはからいを、羊飼いの仕事に喩えて説明します。「主は、われを緑の牧場に伏させ、憩いのみぎわ(汀)にともないたもう」(2節)は、その一例です。
通常、草食動物たちは、草原で腹ばいになって休むということをしません。彼らはライオンや豹(ひょう)、ハイエナや野犬などの肉食獣に襲われたとき、全速力で逃げられるよう、つねに立って草を食べるのです。
ところが、今日の詩編の作者は、主なる神が自分たちか弱い羊を、主なる神が羊飼いとなって、緑の牧場に伏させ(腹ばいにさせ、憩いのみぎわに伴ってくださる、と書いています。
羊は草食動物の中でも、もっとも弱い動物であり、足も遅く、ひどい近視のために外敵(捕食動物)が身近に迫っていることさえ判別できないといいます。主なる神はそのように弱い私たちを、憐み深い牧者となって養ってくださるのです。本日は、この詩編23編から、神の言葉を分かち合います。
●9月1日 週報巻頭言 牧師 木村一充
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エフェソの教会は、使徒パウロが第2回伝道旅行の最後の訪問先である小アジアの首都エフェソで、開拓伝道によって立てた教会です。パウロは、この地に2年にわたって滞在し、ここでキリストの福音を宣べ伝えました。結果的に、パウロが訪れたギリシャの諸都市のうち、このエフェソでの滞在期間がもっとも長期になりました。この手紙は、パウロがエフェソを離れた後、さまざまな試練にさらされた同教会の信徒たちに書き送った手紙です。
パウロは、この手紙の最後で「主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。」(6章10節)と述べます。神の武具を身に着け、霊の戦い(信仰の戦い)に勝利せよ、というのです。具体的には、真理を帯とし、正義の胸当てを着け、平和の履物、信仰の盾、救いの兜(かぶと)を身に着け、戦いの前線に出て行きなさい、といいます。
わたしたちは、日々の生活で常に罪の誘惑にさらされ、さまざまな「世の力」による脅かしを受けています。そのような誘惑に立ち向かい勝利するために、目を覚まして根気強く祈りつづけるよう、パウロは勧告するのです。
●8月25日 週報巻頭言 牧師 木村一充