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投稿者 : webmaster 投稿日時: 2024-04-28 16:21:56 (266 ヒット)

礼拝説教「祈りの生活」  ルカによる福音書(Luke) 11:1-4
★この説教の文字原稿と動画の掲載は終了しました。
週報巻頭言「祈りの生活」

  主イエスがあるところで祈っておられた時、弟子の一人が、その祈りが終わるのを待ちかねていたかのようにこう尋ねました。「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください。」
  ここで「祈りを教えてください」と訳される「祈り」には、原文では名詞ではなく動詞の不定形が使われています。単なる言葉、文言ではなく、祈るという行為、行動がどのようなものであるかを教えてほしいと、この弟子は尋ねたのです。
  祈りとは、確かに神への願い求めでありますが、それだけにとどまりません。その祈りは、祈る人を動かし、日々の生活や行動を変革します。祈りは、私たちの信仰生活を根底で支え、生活を導く行動原理となるのです。
  そのような祈りの見本として、イエスは「主の祈り」として知られる祈りを、この弟子に話して聞かせました。「主の祈り」がどのような祈りであるかを確認しつつ、私たちにとって、祈りがいかに大切であるかを、本日の箇所から分かち合いたいと思います。

●4月28日  週報巻頭言  牧師 木村 一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2024-04-21 16:53:14 (193 ヒット)

礼拝説教「モーセの十戒」  出エジプト記(Exodus) 20:1-7
★この説教の文字原稿と動画の掲載は終了しました。
週報巻頭言「モーセの十戒」

  出エジプトを経験したイスラエルの民はエジプトの国を出てから三ヶ月目に、シナイの荒野に着きました。主なる神はそこでモーセに次のように語りかけられます。「今、もしわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば/ あなたたちはすべての民の間にあって/ わたしの宝となる」(出エジプト記19:5)
  こうして、主なる神がシナイ山においてモーセに授けられた契約の冒頭部分が「モーセの十戒」でありました。これは、主なる神がイスラエルの民を特別に選び、愛されたことのしるしとして授けられた掟(律法)です。この律法を守ることで、主なる神はイスラエルの民をご自分の民として愛し、守ろうとされたのです。
  あらゆる掟(律法)には「命令」としての側面と、それによって与えられる利益すなわち「恵み」としての側面があります。わが国の「道路交通法」もそうですが、それを守ることで、運転者の安全が担保されるのです。モーセの十戒の果たした役割に注意しつつ、本日はその十戒の前半部分より、神の言葉に耳を傾けます。

●4月21日  週報巻頭言  牧師 木村 一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2024-04-14 15:39:55 (323 ヒット)

礼拝説教「主イエスの御手」  マルコによる福音書(Mark) 5:25-34
★この説教の文字原稿と動画の掲載は終了しました。
週報巻頭言「主イエスの御手」

  本日の聖書箇所であるマルコによる福音書5章25節以下には、12年間もの間、出血で苦しんでいた一人の女性の物語が書かれています。彼女の病気との戦いは、まさに気の毒としか言いようのないものでした。「多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであった」と福音書記者マルコは書くのです。
  この女がイエスのうわさを聞いて、群衆の中にまぎれ込み、後ろからイエスの服に触れました。それは、イエスの衣の裾にさわることで病気を癒していただけると思ったからです。当時のユダヤでは、病人が尊いお方の体の一部にでも触れることができれば、その病は癒されるという言い伝えがあったのです。
  するとどうでしょうか。出血がすぐに止まって病気が癒されたことを体に感じたとあります。イエスは自分の内から力が出て行ったことに気付いて、こう言われました。「わたしの服に触れたのはだれか?」と。本日は、この箇所からみ言葉に耳を傾けます。  

●4月14日  週報巻頭言  牧師 木村 一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2024-04-07 18:05:14 (257 ヒット)

礼拝説教「キリストを伝える」コリントの信徒への手紙一 (Cor.) 2:1-5
★この説教の文字原稿と動画の掲載は終了しました。
週報巻頭言「キリストを伝える」

  4月になり、新たな年度が始まりました。今月から教会学校では『コリントの信徒への手紙一』を学びます。コリント教会は、使徒パウロが第2回伝道旅行でギリシャの地に足を踏み入れ、アテネの次に訪れた港町です。この当時のコリントは、人口60万人を超え、地中海世界で最大の港町でありました。
 しかし、ヘレニズム文化のただ中にあって、ギリシャ女神を祀る神殿が立つこのコリントの町で、偶像の神ではないキリストの福音を宣べ伝えることは容易ではありませんでした。まだ信仰歴の浅い、若い信徒たちばかりの教会であるコリント教会は、パウロが不在になると、会員同士の間に分裂(スキスマ)が生じたといいます。
  「わたしはアポロにつく」「わたしはパウロにつく」といった具合に、自分の気に入った指導者を支持する者たちが派閥(グループ)を作り、互いに争い合うようになっていたというのです。
 このような中にあって、パウロはキリストの十字架以外には何も知るまいと決意したと書きます。本日は、ここから神の言葉に耳を傾けます。

●4月7日 週報巻頭言   牧師 木村 一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2024-03-31 16:41:33 (275 ヒット)

礼拝説教「霊の体への復活」  コリントの信徒への手紙一(Cor.I) 15:42〜49
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週報巻頭言「霊の体への復活」

  本日は、主イエス・キリストの復活を祝うイースター礼拝をささげる日曜日です。十字架につけられ、絶叫して息を引き取っられた主イエスは、アリマタヤのヨセフの園に葬られました。墓穴は彫ったばかりの新しいものだったといいます(マタイ27章)。その日は金曜日でした。
  翌日の安息日が終わり、週の始めの日曜日の明け方、マグダラのマリアがイエスの墓に向かいました。主イエスの葬りを丁重に行うために、マリアは包帯や香料(=腐敗防止薬)を買い揃えて墓に向かったと思われます。ところが、墓の中を見るとそこは空っぽで、イエスの遺体がなくなっていたのです。
  呆然として、そこで泣き尽くすマリアの傍らに復活の主が姿を現わされました。マリアは、園の番人だと思って「あなたが主の遺体を運び去ったのですか」と問います。しかし、その人が復活のイエスだったのです。イエスはマリアに「わたしにさわってはいけない」と言われました。復活の体は、手で触れることができないものだったのです。本日はこの事実から、御言葉(みことば)に耳を傾けます。

●3月31日 イースター礼拝  週報巻頭言  牧師 木村 一充


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