✣ 主の苦難を心に刻む ✣
昨年12月に、新型コロナウイルスによる感染症が発生、瞬く間に全世界へと広がり、日本も日を追って感染者が増えています。見えないウイルスへの不安や感染の怖れに脅かされ、感染拡大がもたらす影響で社会が混乱の中にあります。今後は、感染者や周りの人々のみならず、弱い立場の人たちの苦しみが一層深刻になることが予想されます。一人ひとりの命が守られますように、感染拡大が一刻も早く収束するようにと祈ります。
わたしたちは、ウイルス感染拡大の収束の目途がつかない中で新年度を迎え、「地域に開かれ、共生を目指す〜新しい体制に向けて、キリストへの応答〜」の主題のもとに新たな歩みをスタートしました。しかし、主の日の礼拝をささげることすら当たり前でなくなったこの時、教会の活動を一部ストップすることや、礼拝場所を自宅と教会に分離することなど、その対応が求められています。そして、衛生管理を徹底し、人に感染させることも、自分が感染することもないように気をつけて、教会の歩みを進めていきます。
受難週を迎えました。今朝わたしたちはイエスの十字架の苦難を心に刻みつつ礼拝します。ウイルスによる世界の混乱のただ中に主がおられることを信じ、わたしたちと共におられる主に助けを祈りつつ、困難の時を乗り越えていきたいと思います。
●4月5日 受難週 週報巻頭言 牧師 村上 千代
✣ 声を聞き分ける ✣
世界中で新型コロナウイルスの感染拡大が益々深刻になり、見えないウイルスへの不安や恐れが増す中、卒業式や入学式が中止になっています。この混乱の中、先週金曜日に、東京バプテスト神学校の卒業礼拝が行われ出席しました。会場の変更があり、出席者は卒業生と関係者のみでの実施でした。今年度卒業生は、神学専攻科修了3名、神学本科卒業2名、信徒リーダーコース修了1名。そして説教者や神学校関係者等、総勢20名の出席でした。人数としてはさびしいものでしたが、説教や、あたたかいご挨拶の言葉に、出席したすべての者たちが、励ましと勇気を与えられる、祝福に満ちた時でありました。
神学校は、ウイルスの脅威がある中、卒業礼拝実施を決めるまで、また決めてからも、不安や悩みがあったと思います。わたしたちは、時に、自分たちの前にはだかる大きな問題や課題に対して決断を迫られることがあります。今回のような状況の中では、式を行うにせよ、行わないにせよ、どちらが正しい判断かということは分からないのです。だいじなことは、その苦悩の中にキリストが共にいてくださっていることを信じ、祈りの中で主の声を聴くことです。今後、わたしたちは様々な場面で決断を求められることがあるでしょう。祈りの中で主の声を聴きつつ、人間の限界の中で決断するのです。
●3月29日 週報巻頭言 牧師 村上 千代
✣ 十字架へと向かうイエス ✣
先日、福岡市での仕事があった際に、別件で北九州市にある東八幡キリスト教会を訪問した。その日、教会でNさんの納骨式が予定されていた。牧師から、一緒に祈りを合わせてもらえたら、と声をかけられ、参列させていただいた。Nさんはホームレスから自立した方で、式は、牧師と、これまで彼に寄り添ってきたNPO法人抱樸館の方々、教会員と幼い子どもたち、総勢10名くらいで行われた。賛美歌を歌い、Nさんと出会った時のこと、彼の人となり、かかわる中で嬉しかったこと、苦労したこと、子どもたちをかわいがってくださったこと、等、それぞれが思い出を語り、牧師が祈りをささげて納骨した。
Nさんは教会員ではない。しかし納骨室には、教会員だった方の他に、これまで路上で出会ってきた身寄りのない方の写真がびっしりと並んでいる。無縁社会の中で置き去りにされたNさんが、人生の終わりの時を、多くの人たちのかかわりの中で生きられ、教会が彼の最期を引き受け、今は、神が彼のいのちを引き受けてくださっている。「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない」(ヨハネ14:18)。十字架への道を歩まれたイエス・キリストの約束の言葉が受肉した姿に、十字架と復活の恵みを感謝しつつ、主に従う自らのあり方が問われている。
●3月22日 週報巻頭言 牧師 村上 千代
✣ キリストに結ばれて ✣
東日本大震災から9年が過ぎました。
昨年の9月、村上先生と教会員4人で仙台に行って来ました。仙台キリスト教会の小河牧師と教会員の方が、津波に襲われて教師や生徒が74名も亡くなった大川小学校や、三陸海岸に連れて行ってくださいました。
土手を高くしたり、まだまだ復興の途中でした。住宅制限があったり、まだ仮設住宅から出られない方々もいました。行方不明の家族を探している方もいました。そして津波で辛うじて助かった方々が、ボランティアで当時のことを「語り部」として伝えていました。生き残った者として語らなければならないという使命をもち、震災を風化させず、命の大切さ、また、教訓になったことを伝えていました。東京から来た若者たちが熱心に耳を傾けていました。「被災地」には、そこを離れなければならなくなった方々、そこにとどまって頑張っていらっしゃる方々、心を痛めていらっしゃる方々がいました。まだまだいろいろな援助が必要だと思いました。テレビのニュース等で見た所が目の前に現れ、改めて津波の恐ろしさが伝わりました。
日々の忙しさに紛れ、自分の周りのことにしか目が向けられなかったことを恥ずかしく思いました。隣人に関心を持ちつつ、出会いを通し、神様への祈りを通して、証しの生き方をしたいと思っています。
●3月15日 週報巻頭言 教会員 S.T.
✣ 東日本大震災から9年 ✣
「目を上げ、わたしたちは山々を仰ぐ。/わたしたちの助けはどこから来るのか。/わたしたちの助けは来る、天地を造られた主のもとから。/主よ、わたしたちの主よ、あなたの御名は、いかに力強く、全地に満ちていることでしょう。」
「2020年3月11日 東日本大震災から9年を数えての祈り」(東日本大震災現地支援委員会)は、上記の言葉から始まっている。「被災地」の方々にとって、大地震、大津波、原発事故の恐怖は忘れることができず、いまだ原発事故の現実に曝されている不安を拭い去ることはできない。しかし、そのような日々の中でも、人々は何とか前に進もうとしている。そして、教会は、主のもとから来る助けを信じて、悲しみや苦しみの中にある方々と励まし合いたいと願っている。2020年1月現在、震災関連で亡くなられた方は、1万5,899人、行方不明の方は、2,529人、現在避難している方は、4万8,181人、そして避難者の内、3万1,022人は福島県から県外への避難者だという(福島県HPより)。
昨年9月、宮城県内の「被災地」を数年振りに訪ね、災害に遭われた人々や「被災地」を忘れないよう、祈っていきたいと改めて思わされた。だが人間は弱い者で、忘れてしまう。だから、3・11という記念の日が大切なのだ。神のゆるしと助けを願い、3・11を覚えて、共に祈りを合わせたい。
●3月8日 週報巻頭言 牧師 村上 千代