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投稿者 : webmaster 投稿日時: 2019-09-14 14:32:58 (704 ヒット)

✣ 主の慈しみによって ✣

    日本バプテスト連盟(以下、連盟)は、2017年に結成70年という節目を迎え、『連盟70年史』を発行した。先週そのフォーラムがあり出席した。画期的なことは、これまで連盟の歴史に触れられてこなかった性差別のテーマが取り上げられたことである。
    2017年度の総会で、「『連盟70年の歩みから性差別の歴史を悔い改める』声明」が出されたことは記憶に新しい。「…私たちは、私たちの間に様々な違いがあることを、イエス・キリストの福音ゆえに喜び、尊びます(ガラテヤ3:28)。しかし、その違いに優劣をつけ、力の差として利用し、支配・被支配の関係性を生じさせる時、あらゆる差別が起こります。…ジェンダーに基づく性差別を、教会形成や伝道者養成等、連盟総体としての施策にかかわる部分において公然と行ってきました。私たちは、このような性差別を生んできた構造を省み、悔い改めることを通して、私たちの内に潜在するあらゆる差別についても気づき、学び、悔い改め、今後も決して容認しないことへの決意を新たにします。…」
    教会が、ルツを理想の「嫁」とし、「良妻賢母」を求めて女性の役割を固定化し、そこに閉じ込めてきたことは否めない。だがイエスは、女性たちを解放し、自由に生きることをよしとされたのだ。

●9月15日 週報巻頭言  牧師  村上 千代


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2019-09-07 14:18:57 (744 ヒット)

✣ 誰が隣人になったか ✣

    私は、聖書には「正しい」読み方があると思っていました。神学生だった頃には、そうした「答え」を得ようと必死になっていましたし、牧師になってからも、そんな「正解」にのっとって説教をつくり、語っていたように思います。けれども、牧会の中でそうした「正しさ」「答え」「正解」は何の役にも立たず、今、ここで、この人と聖書をどう読んでいくか、何を聞きとっていくのかを問われ、もっと豊かな聖書の読み方があることに気付かされていきました。
    「聖書には何と書いてあるか、あなたはそれをどう読むか」というイエスさまの言葉が私に迫ってきました。自分が置かれている現状、自分を取り巻く環境、自分が抱えている課題の中で聖書と向き合う時、聖書はもっと自由に私に語りかけてくれることを感じました。
    今日は、よく読み親しまれてきた聖書から、違った視点を頂きたいと思いますし、午後には「誰かと一緒に聖書を読む」ことの豊かさを分かち合いたいと思います。
    こうした「自由さ」と、「誰かと共に」ということを大事にしてきたのが、バプテストです。そうしたことも確認し合いながら、今日皆さんと一緒に過ごしていきたいと願っています。

●9月8日 週報巻頭言 松藤 一作(日本バプテスト連盟 宣教部長)


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2019-08-30 21:09:30 (706 ヒット)

✣ 旅立ち ✣

    ユダ地方に飢饉が起こり、エリメレクと妻ナオミは、二人の息子と一緒に、ベツレヘム(「パンの家」の意)から異邦の地であり、異教の地であるモアブに移住します。おそらくナオミの家族は、移住者として、ある程度の安定した暮らしができていたのでしょう。ほんのしばらくのつもりが、長くそこに住むことになり、息子たちはモアブの娘と結婚します。ところが、ナオミは、夫と二人の息子に先立たれ、生活の基盤を失い、一人残されてしまいました。当時の家父長制社会において、女性が一人で生きるのは、非常に困難であることは言うまでもありません。そして、女の幸せや、女としての成就に男性が必要だと信じ続けているナオミにとって、夫や息子たちとの死別は、悲しみだけでなく、彼女の人生そのものが失われたような虚しさや絶望感に包まれることであったのです。
    ナオミは、ベツレヘムに飢饉がなくなり、食べ物が与えられたことを聞いて、二人の「嫁」と一緒に旅立ちます。が、この後に続く物語で、結局はルツだけがついて行くことになりました。ナオミの旅立ちは、単に食べ物を求めてのことではなく、彼女の悲しみ、苦しみに寄り添い、彼女の人生を支えてくださる神、弱い立場の者に寄り添う神のもとに帰る旅立ちであったのです。

●9月1日 週報巻頭言  牧師  村上 千代


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2019-08-24 14:03:26 (656 ヒット)

✣ 和解 ✣

    ヨセフ物語は50章まで続きますが、分級での学びは今日の45章が最後になります。この物語のキーワードの一つは「夢」。ヨセフは、親元にいた時に夢を見ます。収穫の時、兄たちの束が自分の束の周りに集まってきてひれ伏したという夢、太陽と月と11の星が自分にひれ伏した夢です。父も母も兄たちもヨセフにひれ伏すという夢に兄たちは怒り、父親に特別扱いされるヨセフへの妬みも重なって、ヨセフは兄たちにエジプトへ売られてしまいます。エジプトでの奴隷の生活から、えん罪で囚人の生活へと状況は悪くなるばかりでしたが、いつも「主が共におられ」ました。そして今や大臣の座に。といっても、これは彼の出世物語ではありません。かつては自分の能力を誇っていたヨセフでしたが、苦難の中で神に信頼して生きる者へ、夢の解き明かしを「神がなさること」と、信仰を告白する者へと変えられた話だと言えます。
    飢饉が深刻化し、食料調達のためにエジプトに下ってきた兄弟たち。彼らは、目の前にいるその大臣がヨセフだと気づきません。とうとうヨセフは自分の身を明かし、そこで兄たちとの「和解」の出来事が起こったのです。ヨセフは、この一連の出来事を通して、かつて見た自分の夢は、成功物語だったのではなく、神の働きによる「和解の夢」だと気づかされたのかもしれません。

●8月25日 週報巻頭言  牧師  村上 千代


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2019-08-17 13:21:40 (872 ヒット)

✣ 失敗は新しい道のはじまり ✣

    今日は、礼拝後に、市川大野、市川八幡、花野井との「4教会合同平和祈祷会&食事会」がもたれます。この会は、当初4教会交流の食事会だったそうですが、8月は特に平和のために祈る月間であることから、合同平和祈祷会をもつことになったようです。敗戦から74年を迎え、戦争の惨状、苦しみ、悲しみ、痛みを体験した世代が少なくなって戦争の記憶が風化しつつある中、日本の過去の罪を負いつつ今を生きる私たちが、平和を希求し、共に祈ることの大切さをおぼえます。
    今日の聖書には、ヨセフの策略により12人兄弟の末っ子ベニヤミンが奴隷としてエジプトにひとり残されることになった時に、兄のユダが弟の代わりに奴隷になると自ら進んで申し出た話が書かれています。ユダは父ヤコブに寵愛されたヨセフを妬んで、「イシュマエル人に売ろうではないか」と提案した兄です。彼は、自分のその負い目にずっと心が痛んでいたのでしょう。過去の負い目を、今こそ自分は負うべきだと思ったのか、弟の代わりに自分を、と必死に嘆願したのです。そして、物語は新たな展開を迎えます。ここに神は登場していませんが、自分(たち)の誤りや失敗に蓋をせず、謙虚にそこに向き合う中に神がおられ、ゆるしと新たな道への力が与えられると知らされます。

●8月18日 週報巻頭言  牧師  村上 千代


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