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投稿者 : webmaster 投稿日時: 2019-08-24 14:03:26 (652 ヒット)

✣ 和解 ✣

    ヨセフ物語は50章まで続きますが、分級での学びは今日の45章が最後になります。この物語のキーワードの一つは「夢」。ヨセフは、親元にいた時に夢を見ます。収穫の時、兄たちの束が自分の束の周りに集まってきてひれ伏したという夢、太陽と月と11の星が自分にひれ伏した夢です。父も母も兄たちもヨセフにひれ伏すという夢に兄たちは怒り、父親に特別扱いされるヨセフへの妬みも重なって、ヨセフは兄たちにエジプトへ売られてしまいます。エジプトでの奴隷の生活から、えん罪で囚人の生活へと状況は悪くなるばかりでしたが、いつも「主が共におられ」ました。そして今や大臣の座に。といっても、これは彼の出世物語ではありません。かつては自分の能力を誇っていたヨセフでしたが、苦難の中で神に信頼して生きる者へ、夢の解き明かしを「神がなさること」と、信仰を告白する者へと変えられた話だと言えます。
    飢饉が深刻化し、食料調達のためにエジプトに下ってきた兄弟たち。彼らは、目の前にいるその大臣がヨセフだと気づきません。とうとうヨセフは自分の身を明かし、そこで兄たちとの「和解」の出来事が起こったのです。ヨセフは、この一連の出来事を通して、かつて見た自分の夢は、成功物語だったのではなく、神の働きによる「和解の夢」だと気づかされたのかもしれません。

●8月25日 週報巻頭言  牧師  村上 千代


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2019-08-17 13:21:40 (869 ヒット)

✣ 失敗は新しい道のはじまり ✣

    今日は、礼拝後に、市川大野、市川八幡、花野井との「4教会合同平和祈祷会&食事会」がもたれます。この会は、当初4教会交流の食事会だったそうですが、8月は特に平和のために祈る月間であることから、合同平和祈祷会をもつことになったようです。敗戦から74年を迎え、戦争の惨状、苦しみ、悲しみ、痛みを体験した世代が少なくなって戦争の記憶が風化しつつある中、日本の過去の罪を負いつつ今を生きる私たちが、平和を希求し、共に祈ることの大切さをおぼえます。
    今日の聖書には、ヨセフの策略により12人兄弟の末っ子ベニヤミンが奴隷としてエジプトにひとり残されることになった時に、兄のユダが弟の代わりに奴隷になると自ら進んで申し出た話が書かれています。ユダは父ヤコブに寵愛されたヨセフを妬んで、「イシュマエル人に売ろうではないか」と提案した兄です。彼は、自分のその負い目にずっと心が痛んでいたのでしょう。過去の負い目を、今こそ自分は負うべきだと思ったのか、弟の代わりに自分を、と必死に嘆願したのです。そして、物語は新たな展開を迎えます。ここに神は登場していませんが、自分(たち)の誤りや失敗に蓋をせず、謙虚にそこに向き合う中に神がおられ、ゆるしと新たな道への力が与えられると知らされます。

●8月18日 週報巻頭言  牧師  村上 千代


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2019-08-10 14:53:45 (670 ヒット)

✣ 平和をつくりだす ✣

    愛知県で開催されている「あいちトリエンナーレ2019」の企画展の一つ「表現の不自由・その後」が3日限りで中止に追い込まれました。この出来事は「時のしるし」です。
    河村名古屋市長は、「あいちトリエンナーレには10億円を超える税金が使われているのに行政の立場を超えた展示が行われている」ことを問題として、「中止を含めた適切な対応」を大村愛知県知事に求めました。その後大村知事は中止を発表。テロ予告や脅迫を含むメール、電話が殺到したとして「芸術祭全体の安心安全、今後の円滑な運営のために判断した」と伝えられています。加えて菅義偉官房長官らが同展への補助金交付の差し止めを示唆するコメントを発表しています。
    行政は、まずテロ予告等の脅迫行為を反社会的な犯罪として取り締まるべきです。行政・政権と異なる意見の表明を行政が許さないとするなら、税金使用の有無に関わらず、憲法21条に違反します。「一切の表現の自由は、これを保障する」(1項)、「検閲は、これをしてはならない」(2項)。これらは主権者に対する義務ではなく、政治権力(行政官や議員ら)をもっている者たちに対する義務です。むしろ政権与党こそ、税金を使ってでも異見や批判を歓迎するべきです。それが民主政治を成り立たせるのです。※連盟憲法アクションメルマガ32号より

●8月11日 平和祈念礼拝 週報巻頭言  牧師  村上 千代


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2019-08-03 14:43:50 (669 ヒット)

✣ 私ではなく、神さまが ✣

    今朝は、夏期学校に参加している小学生の皆さんと一緒に礼拝します。うれしいですね。皆さんにとって、教会での二日間が、楽しい思い出となることを願っています。
    私は、子ども時代に一度も教会に行ったことはありませんでしたが、我が家から歩いて数分の教会には、当時、小・中学生がたくさん集まっていました。十数年前に高校同窓生のMLでその教会のことが話題になり、同窓生たちも教会に通っていたことを知りました。皆さんが教会での楽しかった日々を思い出し、懐かしんでいました。
    ヨセフ物語に、えん罪で獄に入れられていた主人公ヨセフが、囚われていた給仕役の長に自分の無実を訴え、「あなたが釈放されて復職できたら私のことを思い出してほしい」と願う場面があります。ところが彼は、ヨセフのことを思い出さず、忘れてしまいました。しかし二年後に、ファラオの夢がきっかけで、彼はヨセフを思い出し、ヨセフの新たな人生が始まったのです。
    人間って忘れるものです。夏期学校に参加の皆さんも、教会のことを忘れるかもしれません。でも何かをきっかけに教会を思い出し、教会に来てくれるといいなと思います。教会はいつでもあなたの居場所、それを知ってもらえたら嬉しい。

●8月4日 夏期学校・子ども合同礼拝 週報巻頭言  牧師  村上 千代


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2019-07-27 14:30:58 (831 ヒット)

✣ わすれられたヨセフ ✣

    今月のはじめ、品川バプテスト教会山中臨在(ともなり)牧師就任感謝礼拝に出席した。
    品川教会のルーツは1962年に遡り、伝道開始から57年の歴史をもつ教会である。「1962年8月11日付のキリスト新聞に、『福音不毛の地に、大井バプ教会の祈り実る、新教会発足』という見出しで、品川バプテスト教会の門出が伝えられていた」と、教会の50周年記念誌に書かれている。伝道所が開設された品川の荏原地区は、それまでいくつかの教会が伝道に着手したものの、戦争その他の理由で、いずれも途中で途絶えてしまい、牧師の間でも「教会不毛の地」といわれたところであったようだ。「しかし、この地で50年間、福音伝道を続けているのだから、もう教会不毛の地とは言えない」と結ばれている。まったくその通り。神にわすれられたかに思えたこの地は、決してわすれられてはいなかったのである。
    教会の初期の頃、この地区には勤労青年が多く、教会が彼/彼女らの居場所、拠り所となり、そこからキリストに出会って教会につながる方々が起こされたと伺った。山中牧師を迎え、これからも青少年を励まし、全年齢層への福音宣教に仕え、品川から世界へと宣教のビジョンを掲げて歩み出した教会の姿にとても励まされた。

●7月28日 週報巻頭言  牧師  村上 千代


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