✣ 互いに励まし合う ✣
先週、福井教会を訪問しました。この度、教会復興を目指す教会のために祈り応援しようと、福井伝道祷援会が立ち上げられ、その呼びかけ人の一人に加えていただいたので行ってまいりました。道中、車窓から見る緑の美しい景色に心がいやされ、コロナ禍の中で外出を控えることが、いかに人間の心を窮屈にしているのかに気づかされました。到着すると、平良憲誠牧師とお連れ合いの民枝さんが、初の来訪者によって心がパッと明るく開かれた感じがすると喜んでくださり、その喜びに私自身が元気にされました。今、人と接することが制限されてWEBでのつながりが盛んになっています。どんなに遠くの人ともつながることのできる利点があります。でもそこには両者間に漂う空気や「におい」がない。これがWEBの限界であり、つながるということについても考えさせられました。
「福井は、私の全く知らない土地です。東尋坊、永平寺、九頭竜川、鯖江のめがね、越前ガ二、若狭湾に面する原発などと、いくつかのことは覚えました。あとは、この土地を愛することと、何よりも福井教会をたったお一人で支えて来られた兄弟と、そして、私たちがこちらに来たときには、福井教会で礼拝を守ると言ってくださった姉妹との4人での礼拝を楽しむことが、当面の希望に溢れる夢です」と、平良牧師。福井教会をおぼえて祈り、いつか訪ねたいですね。
●6月7日 週報巻頭言 牧師 村上 千代
✣ 病者の祈り ✣
〜ニューヨークリハビリテーション研究所の壁に書かれた 患者の詩〜
大事を成そうとして 力を与えてほしいと神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと 弱さを授かった
より偉大なことができるように 健康を求めたのに
よりよきことができるようにと 病弱を与えられた
幸せになろうとして 富を求めたのに
賢明であるようにと 貧困を授かった
世の人々の称賛を得ようとして 権力を求めたのに
神の前にひざまずくようにと 弱さを授かった
人生を享楽しようと あらゆるものを求めたのに
あらゆるものを喜べるようにと 生命を授かった
求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた
神の意にそわぬ者であるにもかかわらず
心の中の言い表わせない祈りは すべてかなえられた
私はあらゆる人々の中で 最も豊かに祝福されたのだ
●5月31日 週報巻頭言 教会員 M.H.
✣ 新たな出会いを起こす神 ✣
約二千年前に教会が誕生して以来、教会は、社会の人々から、あるいは国家権力によって抑圧や迫害を受けてきた歴史があります。教会は、困難な状況の中で、内部的な危機に襲われ、分裂し、それによって散らされていった人々がいました。しかし、主は、その人たちを放ってはおかず、たどり着いた先で新たな出会いを起こし、散らされた人々の中から「新しい宣教」が起こされていったことを聖書は語っています。
日高嘉彦・龍子元宣教師が遣わされたタイバプテスト神学校のルーツは、1949年から1950年の間に、国内の政情不安のために中国を離れるよう要求された米国南部バプテスト宣教師たちの一部がタイに入国したことに遡ります。宣教師たちは、タイの中国人クリスチャンと共に礼拝し、新しい教会を建て、牧師やリーダー養成のために中国語で教える聖書学校を設立しました。後にタイ語でも教えるようになり、1964年に文部省認可の神学校となりました。日本の私たちが羨むほどの多くの若い神学生が活き活きと学んでおり、全国の教会へと遣わされています。
神は、様々な出来事を通して私たちに希望を示されます。苦しい現実の中で、新しい出会い、新しい創造を起こし、私たちの思いを遥かに超えて働いてくださる神が、私たちと共に歩んでくださるのです。
●5月24日 週報巻頭言 牧師 村上 千代
✣ イエスの名によって ✣
新型コロナウイルスの感染拡大により、経済への影響が深刻化する中、自殺者の増加が懸念されています。日本の自殺者は、1997年までは2万人台の前半で推移していましたが、1998年に一気に8,000人以上増えて3万人を超えました。その背景には、社会経済状況の悪化が言われています。その後、自殺防止対策が強化され、この10年は連続して前年を下回り、昨年は2万人を下回るまでに減少しました。しかし今年は増加が懸念されています。自殺者が出ないよう、「政府の緊急対策」と「自殺対策=生きることの包括的な支援」との連携強化が必要だと言われています。自殺対策支援センターライフリンク代表、清水康之さんは、「実態調査から、自殺で亡くなった人は平均して4つの悩み、課題を抱えていた。1人の自殺を防ぐためには、4つの組織、4つの分野の人たちが連携をして支援に当たらなければならない。だからこそ包括的にやる必要がある」と言います。
人が生きるには「物理的困窮」の解決だけでは難しく、「関係性における困窮」の解消が必要です。そのために教会ができることは、主イエスを証しし、「あなたは決して独りではない。神に造られ、愛されている存在」だとメッセージを発信し、出会ったことに関わること、また私(たち)に今できる具体的な支援をすることだと思います。
●5月17日 週報巻頭言 牧師 村上 千代
✣ 他者と共に生きる ✣
5月の第二日曜日は、一般的に「母の日」と呼ばれ、母への感謝を表す日とされています。「母の日」の起源は国によって違い、日にちも様々で、日本はアメリカに倣っています。アメリカでの起源は、南北戦争中に敵味方を問わず負傷兵のために尽くしたアン・ジャービスが召されて2年後に、教会でもたれた彼女の記念会だと言われています。他にも、J.W.ハウという女性が、南北戦争後に、今後、夫や子どもを戦場に送るのは絶対に拒否しようと立ち上がって発した「母の日宣言」がありましたが、これは普及しませんでした。このように「母の日」には、分断や敵意を乗り越えて、命を大切にすること、平和を希求する女性たちの願いがあったのです。
また、教会では、この日を「花の日」と呼んでいるところがあります。わたしが以前いた教会もそうでした。礼拝後に、教会学校の子どもたちが一緒に近隣の施設などにお花を持って訪問し、働いている方々に日頃の労をねぎらい、感謝を表すのです。年に一回の訪問ですが、出かけて行った子どもたちの目が輝いていたのを思い出します。人は、他者の存在をおぼえ、他者のために自分が用いられる時に、自らも生かされるのでしょう。
この記念の日に、私たちは、人への感謝を表すと共に、互いの存在を尊び、平和を求め、共に生きる者へと、自らが開かれるよう、主の助けを祈りたいと思います。
●5月10日 週報巻頭言 牧師 村上 千代