✣ 共感・連帯 ✣
先週月曜日、「礼拝〜会衆讃美を豊かに〜」というテーマで東ブロックの集会があり、12教会から約100名の参加で行われました。講師の江原美歌子連盟教会音楽室長による講演、分団に分かれての語り合い、賛美指導、など、参加した方々はきっと楽しまれたことでしょう。そして改めて、共に集うことの恵みを実感したのではないでしょうか。日本の教会の多くは小さな群れです。小さいから弱いということではありませんし、それぞれが福音宣教の働きに喜びをもって仕えています。しかし、少子高齢化の時代の中で、どの教会も苦闘している現実があります。だからこそ、皆で集まって主にある交わりを喜び、仲間たちとつながって励まし合うのです。
今日の聖書、ルツ記4章では、ルツが男の子を産むと、近所の女たちが、ナオミに子どもが生まれた、と喜び、主をほめたたえます。家系を継ぐために男の子を産まなければならないという抑圧の中で生きている女たちだからこそ、ナオミの痛みに共感し、連帯したのでしょう。さらに彼女たちは、その子にオベド「(神の)しもべ」と名前をつけました。ここでは、ルツに対する「おめでとう」はなく、ルツの言葉はひと言もありません。このことは何を意味しているのでしょうか。各自で考えてみたいことです。
●9月29日 週報巻頭言 牧師 村上 千代
✣ 互いを思いやる ✣
この度の台風15号で被害に遭われた方々、停電や断水で未だ困難な生活を強いられている方々をおぼえて祈りつつ、先週の月〜火、前々から計画していた宮城県津波被災地と、仙台教会を訪問した。栗ヶ沢教会に通っていたYさんに会い、震災から8年半経った被災地の状況を知るための旅である。
仙台へと向かう途中、高速道路脇に示されている放射線量の高さに驚き、そこを走っていることを一瞬後悔した。だが、原発地域の方々の犠牲の上にわたしたちの日常があり、そこで生きるしかない方々が大勢おられることを考えると他人事ではすまされない。心に痛みをおぼえながらひたすら走った。
仙台教会に着き、小河義伸牧師と教会員のお世話で津波被災地を回った。南三陸町では、赤い鉄骨だけが残っている総合防災庁舎を見ながら、生存者が大学生たちに語っているのをたまたま聞くことができた。生き残った者の苦しみや複雑な気持ちを抱えながら、でも一瞬にして命を奪われた人たちの分も生きていかなければと、前に進んでいる姿に一筋の希望を見、神が人間に備えてくださっている生きる力を知らされ励まされた。被災地の復興はまだまだ、それに人々の悲しみや心の傷は簡単に癒えるものではない。これからも神の慰めと支えを祈り、主から示される我らのなすべきことを行いたい。
●9月22日 週報巻頭言 牧師 村上 千代
✣ 主の慈しみによって ✣
日本バプテスト連盟(以下、連盟)は、2017年に結成70年という節目を迎え、『連盟70年史』を発行した。先週そのフォーラムがあり出席した。画期的なことは、これまで連盟の歴史に触れられてこなかった性差別のテーマが取り上げられたことである。
2017年度の総会で、「『連盟70年の歩みから性差別の歴史を悔い改める』声明」が出されたことは記憶に新しい。「…私たちは、私たちの間に様々な違いがあることを、イエス・キリストの福音ゆえに喜び、尊びます(ガラテヤ3:28)。しかし、その違いに優劣をつけ、力の差として利用し、支配・被支配の関係性を生じさせる時、あらゆる差別が起こります。…ジェンダーに基づく性差別を、教会形成や伝道者養成等、連盟総体としての施策にかかわる部分において公然と行ってきました。私たちは、このような性差別を生んできた構造を省み、悔い改めることを通して、私たちの内に潜在するあらゆる差別についても気づき、学び、悔い改め、今後も決して容認しないことへの決意を新たにします。…」
教会が、ルツを理想の「嫁」とし、「良妻賢母」を求めて女性の役割を固定化し、そこに閉じ込めてきたことは否めない。だがイエスは、女性たちを解放し、自由に生きることをよしとされたのだ。
●9月15日 週報巻頭言 牧師 村上 千代
✣ 誰が隣人になったか ✣
私は、聖書には「正しい」読み方があると思っていました。神学生だった頃には、そうした「答え」を得ようと必死になっていましたし、牧師になってからも、そんな「正解」にのっとって説教をつくり、語っていたように思います。けれども、牧会の中でそうした「正しさ」「答え」「正解」は何の役にも立たず、今、ここで、この人と聖書をどう読んでいくか、何を聞きとっていくのかを問われ、もっと豊かな聖書の読み方があることに気付かされていきました。
「聖書には何と書いてあるか、あなたはそれをどう読むか」というイエスさまの言葉が私に迫ってきました。自分が置かれている現状、自分を取り巻く環境、自分が抱えている課題の中で聖書と向き合う時、聖書はもっと自由に私に語りかけてくれることを感じました。
今日は、よく読み親しまれてきた聖書から、違った視点を頂きたいと思いますし、午後には「誰かと一緒に聖書を読む」ことの豊かさを分かち合いたいと思います。
こうした「自由さ」と、「誰かと共に」ということを大事にしてきたのが、バプテストです。そうしたことも確認し合いながら、今日皆さんと一緒に過ごしていきたいと願っています。
●9月8日 週報巻頭言 松藤 一作(日本バプテスト連盟 宣教部長)
✣ 旅立ち ✣
ユダ地方に飢饉が起こり、エリメレクと妻ナオミは、二人の息子と一緒に、ベツレヘム(「パンの家」の意)から異邦の地であり、異教の地であるモアブに移住します。おそらくナオミの家族は、移住者として、ある程度の安定した暮らしができていたのでしょう。ほんのしばらくのつもりが、長くそこに住むことになり、息子たちはモアブの娘と結婚します。ところが、ナオミは、夫と二人の息子に先立たれ、生活の基盤を失い、一人残されてしまいました。当時の家父長制社会において、女性が一人で生きるのは、非常に困難であることは言うまでもありません。そして、女の幸せや、女としての成就に男性が必要だと信じ続けているナオミにとって、夫や息子たちとの死別は、悲しみだけでなく、彼女の人生そのものが失われたような虚しさや絶望感に包まれることであったのです。
ナオミは、ベツレヘムに飢饉がなくなり、食べ物が与えられたことを聞いて、二人の「嫁」と一緒に旅立ちます。が、この後に続く物語で、結局はルツだけがついて行くことになりました。ナオミの旅立ちは、単に食べ物を求めてのことではなく、彼女の悲しみ、苦しみに寄り添い、彼女の人生を支えてくださる神、弱い立場の者に寄り添う神のもとに帰る旅立ちであったのです。
●9月1日 週報巻頭言 牧師 村上 千代