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投稿者 : webmaster 投稿日時: 2019-11-02 14:38:18 (817 ヒット)

✣ わたしは復活であり、命である ✣

    本日は、召天者記念礼拝です。午後から、ラザロ霊園において墓前礼拝と、5月に召されたM.M.さんの納骨式が行われます。教会でも墓前でも、わたしたちは、先に召された方々をおぼえ、一人ひとりの生涯を支え導き共に歩んでくださった神に感謝し、礼拝をささげます。そして今日、この時、先達の信仰を振り返り、集っているわたしたちも、先達と同様に、神の愛とキリストの恵みにあずかっていることを覚え感謝したいと思います。
    今年は、召天者にお二人の名前が加えられました。もうこの地上で会うことのできないさびしさがありますが、わたしたちには、再会を待ち望むという希望があります。この希望によって一つにされているわたしたちは、主への感謝をもって、与えられた日々を大切に生きていきたいものです。
    今日の聖書箇所で、マルタが「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と言うと、イエスは、わたしが復活であり、命である、と言われました。復活は、いつなのか分からない遠い事柄ではなく、今、あなたの前にいるわたし自身のうちにあることだとイエスはおっしゃるのです。復活であり、命であるイエスを信じる者は、死に向かうのではなく、死を背にして命へと向かう力を主からいただくのです。

●11月3日 召天者記念礼拝 週報巻頭言  牧師  村上 千代


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2019-10-26 14:39:17 (744 ヒット)

✣ 絶えることのない主の見守り ✣

    「ヤハウェよ、あなたは私を探り、知ってくださる。/私が座すのも立つのも、あなたは知っておられる、遠くから、あなたはわが思いをわきまえられて。/私が出るのも入るのも、あなたは察してくださる。わが歩みのすべてを、あなたは承知しておられて。/じつに、わが舌にまだひとつの言辞さえなくとも、ヤハウェよ、あなたはすべてを知っておられる。/後ろからも前からも、あなたは私を囲み、わが上にあなたの掌をおいてくださった。/その知識は私にはあまりに不思議、あまりに高く、私には及びません。」(詩篇139:1後半〜6、月本明男訳、下線筆者)
    この詩人は、「私」の行動も、心の奥底にある思いも、すべてをご存じで、祝福してくださる神が、小さな存在である「私」に思いを寄せてくださる不思議、神への思いを詠う。それだからこそ、「私」は神の前に自分を隠すことも、神から逃れることもできない(7節〜)。ヨハネ福音書に「弟子のシモン・ペトロは『主だ』と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。」、とある(21:7)。私たちは、恥ずかしい自分を隠そうとし、主から逃れようとする。しかし主は、私たちが隠れている間も愛をもって見守っておられ、水から上がって来るのを待っていてくださっていることを思う。

●10月27日 週報巻頭言  牧師  村上 千代


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2019-10-19 15:25:03 (806 ヒット)

✣ 夜明け前 ✣

    今日の宣教題について、ある方から「小説の題名からですか」と問われた。この題は、島崎藤村の小説で知られているからだ。しかし、宣教題はそれとは違う。恵泉教会の賛美グループ「アムハアレツ」(地の民)が、イザヤ書21章、詩編130編をもとにつくった歌の題からつけさせていただいた。

  「東の空遠く 夜明けは来るのだろう
     廃墟の片隅に 来るのだろう
     来るのだろう
         夜回りよ 夜回りよ あしたは近いか
         望み待つ あしたは 来るのだろう
     崩れた町に立ち 何を見たのだろう
     夜中の今はもう 何どきになるのだろう
         夜回りよ 夜回りよ あしたは近いか
         望み待つ あしたは 来るのだろう
     誰もが踏んできた 罪の代償を
     自ら払うべき時が今 来たのだろう
         夜回りよ 夜回りよ あしたは近いか
         望み待つ あしたは 来るのだろう」
                                             (詞・千野 肇)

    現代における「廃墟」は、足元にも、世界のあちこちにも存在する。罪の現実、悲しみや苦しみの現実、希望を失いそうな現実の中で、わたしたちは救いを求める。
    詩編130編の詩人は歌う。わたしの魂は、見張り(夜回り)が朝を待つにもまして、主を待ち望むのだ、と。

●10月20日 週報巻頭言  牧師  村上 千代


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2019-10-12 16:36:18 (806 ヒット)

✣ 助けはどこから ✣

    「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。/わたしの助けはどこから来るのか。/わたしの助けは来る/天地を造られた主のもとから。」(詩編121:1、2)
    2011年3月11日の東日本大震災で一時避難所となった教会を手伝いに行った時、教会の掲示板にこの言葉が貼られていた。震災前からすでにあったものなのかもしれない。突然の未曽有の出来事で多くの命が奪われ、甚大な被害がもたらされ、「神さま、なぜ」と立ち尽くすことしかできないような状況のただ中で、教会の前を通る人は、どんな思いでこの言葉を見ていたのだろうか。
    この歌は、バビロンに強制移住させられ捕囚にされたイスラエルの民が、やがてエルサレムへの巡礼がゆるされるようになった時代のものだと言われている。絶望的な状況の中で、信仰が揺らいでいたイスラエルの民の問いに、詩人は確信をもって答える。「わたしの助けは来る。天地を造られた主のもとから」、と。助けは、人から来るのでも、エルサレムの山々から来るのでもないのだと。
    日常が崩され、生活の土台を失い、先の見えない不安の中で、なお神に信頼がおけるかがここで問われている。同時に、わたしたちが苦難のただ中で神への信頼が揺らぐ時、神の見守りを切に願う仲間の祈りがあることもここで知らされ励まされる。

●10月13日 週報巻頭言  牧師  村上 千代


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2019-10-05 14:22:23 (724 ヒット)

✣ キリストにおいて一つ 〜南アフリカ報告〜 ✣

    この夏、南アフリカ共和国(南ア)に3週間行ってきました。南アは、アフリカ大陸の国々に対して大きな影響力を持っています。一昨年に訪れたザンビアという国は、世界的な銅の産出国ですが、その銅を精錬する技術が自国にないため、南アがその粗銅を加工して世界中に輸出していました。大陸において経済的に大きな力を持つ南アですが、私が過ごしたケープタウン(日本でいう横浜のような大都市)から車で30分も走れば、まだまだ「スラム」はたくさんあります。現在、南アの失業率は29%で世界ワースト2位。街には、仕事のない若者がたくさんいます。
    アパルトヘイト(人種隔離)政策の撤廃から25年。ネルソン・マンデラ氏の「虹の国」の思想は今でも敬愛されていますが、経済的解放の戦士(EFF)という政党が「白人から土地を奪い返せ」をスローガンに、貧しい「黒人」若年層から大きな支持を集めています。また、現地で知り合ったパレスチナ人には、「私の国ではアパルトヘイトは今も続いている。」と言われ、世界が抱える問題の複雑さに愕然としました。私のホストマザーは、EFFのテレビ中継を見た後、「このことにすら神様の大きな計画がある。祈りましょう。」と一緒に祈ってくれました。敵意という隔ての壁を取り壊し、二つのものを一つにしてくださるキリストを信じ、世界の平和のために働いていきたいです。

●10月6日 週報巻頭言  教会員  H.T.


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